適材適所は理想だが、そうでないところに人生のドラマがある。また自分で思い込んでいる性格が社会で鍛えられることで案外別の才能が伸びることもままあり、「材」と「所」はいくつもあると思ったほうがよい。
ところが20歳頃にはどういう道に進むかを自分で決めるか、他者に決められるかして、「材」と「所」は唯一として決まる。その「所」から一旦外れると「材」は役立たず、同じ収入が得られる別の「所」には入り込みにくくなる。そこで「引きこもり」や「ならず者」、あるいは「ホームレス」になったりするが、そのことで思い出す人物がいる。昔書いたことがあるが、筆者と同じ年齢のKで、彼は結婚して子どもをふたりもうけながら、奧さんから離婚を迫られ、家庭裁判所が間に入って別れた。離婚原因は働かず、大の酒好きで、またTVに向かって放尿するなど、酒癖が悪かった。舞台役者を志して上京したはいいが、芽は出ず、故郷に帰る電車の中で同郷女性と出会い、そのまま京都に住んで彼女と結婚し、同じ仕事をし始めた。間もなくある女性が筆者に、「面白い男性がいるのよ」と言ってKを紹介したが、初対面でお互い値踏みするもので、筆者はKが勇ましい割に気が小さいことを喝破し、ちょっとした嫌味を交えて意見したところ、すぐさまその言葉にKは食らいついたが、それは本性を見透かされたための狼狽であった。ともかく、それから10数年つかず離れずの付き合いで、離婚して2、3年はたまに電話があったのに、その後音信が途絶えた。彼の年齢ではもうろくな仕事はない。高槻で少し暮らし、いずれ大阪に行くと言っていたが、消息不明だ。そもそも奧さんと同じ地味な仕事をしたのが似合っていなかった。適所ではなかったのだ。ではどういう仕事が似合っていたか。役者を目指すだけあって女性には惚れられやすかったのだろう。Kは離婚前後に何度も言ったことがある。「わしの嫁は本当は大山くんのような男が好きなんや」。これにはどう答えていいかわからなかった。離婚から数年後に筆者はKの奧さんとばったりとある場所で出会った。彼女は若い男から同世代の男まで、数人を雇って女親分さながらの風格で、また筆者に一目置く物腰であった。詳細を書けば面白い小説になるが、「わたしの仕事は大山さんのようにクリエイティヴではないから……」という言葉が印象的であった。彼女はKのことを創造に人生を賭ける男と最初は思ったのだろう。ところがそれは見誤りであった。彼女とはKの話は一切せずに別れたが、今も同じ場所に住んでいるかどうかは知らない。それはそうと、創造で稼いで家族を支える男が世の中にどれほどいるだろう。Kには最初からその雰囲気は微塵もなかったが、勇ましいことを口にする男に若い女はすぐに惚れるものだ。贔屓目に見れば、その男らしい口調は時代が違えば本領が発揮されるが、平和な日本ではKの出番はなかったということだろう。
今日は先月20日に祇園会館で見た映画について書く。先月の市民新聞でこの映画のことを知った。無料とあったのでカレンダーに出かける予定を書き込み、当日は歴彩館に調べものに行った後、市バスで開場の午後2時の15分前に着いた。前に並ぶ人が窓口でチケットを買っているので訝ったが、500円を支払う必要のあることがわかった。それはともかく、祇園会館へは吉本が笑い芸人の舞台用に権利を買い取ってからは一度も行ったことがなく、10数年ぶりだ。いつからか、毎年開催される京都国際映画祭では映画の上映に使用される。当日は同映画祭の最終日で、無声映画が弁士と音楽の伴奏つきで上映された。出かける気になったのは、坂東妻三郎が主演であるからだ。筆者は彼主演の「無法松の一生」を、おそらく20年ほど前の同じ映画祭で見たが、その時は当時発見された検閲で切り取られたかなりの部分を本来の場所に嵌め込んだ特別編集の上映で、その新発見部分はさておき、結末にいたく感動して、今でも日本映画の最高峰と思っている。簡単に言えば、男の健気さ、純真さを描く。主人公の「松」は教養のない車夫で、「無法松」と題されるのは「無頼漢」に通じているからだ。当然女房はおらず、楽しみは酒だけといった男だ。その「松」は中尉の寡婦に恋をし、彼女の幼ないひとり息子をとてもかわいがる。その子が立派に成長し、そして「松」は孤独死するが、「松」は彼女から受け取った紙に包まれた代金はすべてそのまま保管していた。そのことを彼女は「松」の知り合いから聞かされて泣く。それが最後の場面だ。映画では彼女が「松」の恋心をどう思っていたかは描かれない。「松」の思いを受け入れて関係を結ぶことにならない筋立ては非現実的なようだが、そう思うのは下司であって、「松」は神々しい思いで彼女を見ていた。またそのように描かねば当時の身分社会では不道徳と思われ、検閲も通らなかった。それに「松」が精神的な父親代わりになっていた中尉の息子が、自分の母と「松」が妙な関係になっていることを知れば双方を軽蔑するはずで、「松」はそのことをよく知っていたであろう。「松」の生きる楽しみは、彼女からいただく謝礼の包みが増えることで、それを護符と思っていた。大切な人から受け取ったものは使うに忍びない。相手は気に留めるほどのことでもないと思う場合が多々あろうが、愛とはしばしば一方通行だ。芸能人とそのファンがそういう関係の代表と言える。その幻想的な愛は実るはずがないが、そういう愛でもなければ生きて行く心の支えが持てない人がいる。「松」の場合は、相手は言葉を交わすもっと親密な女性で、彼女とその子どもを見守ることが「松」の人生の意味になった。女性にすれば「松」の思いを知っても何も応えられることはなく、また「松」もそのことをよく知るだけに一途さを誰にも口外せずに貫いた。
前置きが長くなった。『雄呂血』はWIKIPEDIAによれば最初『無頼漢』という題であったのが、検閲でそれが使えなくなった。大正14年の無声映画で、ところどころに文字だけの場面があって、それを読めば物語がわかるが、大正特有の個性的なデザイン文字でもあって読みにくい。82歳であったか、当日は男性弁士がよく通る声で語り、またピアノと太鼓、トランペットの3人の伴奏も巧みで、最初からぐんぐん引き込まれ、とてもわかりやすかった。弁士の名演は人間国宝級だ。坂東妻三郎は『無法松の一生』とは違って化粧が濃く、また侍なので、顔つきが歌舞伎役者のように誇張気味に終始するが、大正14年の撮影カメラでは光度の問題もあって厚化粧はやむを得なかったのだろう。物語は『松』と同じく、男の一途な思いを描くが、見方によっては融通の利かない武骨さであって、その意味で現在の若者には同調されやすいのではないか。冒頭の場面からそう思わせる。坂妻演じる主人公の平三郎は師の漢学者の誕生祝いに他の門弟とともに酒宴に出席し、家老の息子から自分の盃で酒を飲むように迫られる。平三郎は当日は無礼講で全員平等であるからと言い、丁重に拒否するが、何度もしつこく迫られ、ついに暴力を振るう。また平三郎は師の娘とは恋愛関係にあったが、その娘の悪口を言いながら歩いている侍たちを諫めたことが師に発覚し、ついに破門される。正義感が強く、武士としてあたりまえのことをしているのに、それが次々と裏目に出る。今時の会社では忘年会などの上司を交えた飲み会に参加したくない若い社員が多いようだが、彼らは平三郎の態度に同意するだろう。理不尽なことを迫られると頑なになる。本当は理不尽ばかりではないのだが、白黒をはっきりとさせたがる人はいる。平三郎が家老の息子の嫌味をうまく受け流し、盃をいただいていたならばこの映画のその後はなく、平三郎は無頼漢にならずに師の娘と結婚し、やがて師のような漢学者になったであろう。そういう成功物語の映画もいいが、模範的なそういう物語は大多数の大衆にとってはあまりに夢物語だ。映画を見る人は『松』のように名もない平凡な人々で、普段は上から圧力を受けている。そういう人生では、せめて映画の中では、思いを貫き通し、またその思いは誰からも謗られるものではなく、間違いのないものという自信がある者の味方をしたくなる。本作で二、三度語られるきわめて重要なことがある。それは、立派と思われている人物が陰で悪事を働き、蔑まれている者がとても真面目であるということだ。この言葉は権力者に対する風刺で、検閲で削除を求められなかったのは不思議だが、この表現程度のガス抜きは市民に対して必要と思われたのだろう。それに結局平三郎は殺人を犯して捕らえられる。そこを踏まえておけば、こういう映画が権力否定につながる大きな役割を果たすことはあり得ない。
破門された平三郎は浪人となって放浪し、とある料亭の壁際を歩いていると、二階では武士が箸でつまんだものを女に食べさせようと迫っていて、誤ってその食べ物落とし、それが平三郎に振りかかる。怒った彼は料亭に玄関口に入り、その武士を引き出せと迫るが、番頭は金を包んで追い返そうとする。乞食武士の身なりに金目当てと思ったのだ。侮辱を感じた平三郎はなおも迫ると、主は同心に通報し、平三郎は追われる。そこを助けたのが地元の有力者の次郎三だ。追手は彼の言い分にしたがって匿われたはずの平三郎を探すことはしない。次郎三は「立派と思われているが陰で悪事を働く」人間の代表で、女を誘拐して売ることで金儲けをしている。次郎三に世話になった平三郎は、その手下に武芸を教えつつ用心棒になる。ある日、飲み屋の女がかつて愛した師の娘にそっくりであるところから、彼女に恋心を抱く。その様子を知った次郎三は彼女を誘拐して平三郎に差し出す。平三郎は彼女を犯そうとする間際に覚醒し、彼女に手をつけない。平三郎は次郎三の正体に気づくが、恩を仇で返すことは気が進まない。その後、飲み屋の娘の様子を確認しに行くと、男と仲睦まじくしていて、平三郎は諦めて次郎三のもとに帰る。その後、次郎三や手下は、旅する夫婦の夫が病に倒れ、女が困り果てているのを見て、自分の家で一夜を過ごさせる。そして次郎三はその妻を手籠めにしようとするが、平三郎は彼女がかつて自分が愛した師の娘であることを知り、次郎三を斬り殺す。通報されてからは長いチャンバラ場面になる。これがまた見物で、どのように練習し、また撮影したかと思わせるほどに動きが派手で、しかも飽きさせない。結果的に平三郎は捕らえられ、その捕物場面を終始見ていた師の娘とその夫は、平三郎を命の恩人と思い、かつての平三郎の破門は間違いであったことを知るところで映画は終わる。最後の場面では娘が両手を合わせて馬に乗せられて運ばれる平三郎を拝むが、平三郎はその姿を見て、自分の生き方は間違っていなかったことを知る。この最後の設定は『松』とそっくりで、一途な男の思いは死によって女に届く。一方の女は鈍感ないしドライだが、無頼漢に一途な恋心を寄せる純真な女という設定は無理があるからか。会田雄次の本にあったが、日本の芸能人はしょせんやくざか売春婦で、映画では男優はやくざ、女優は売春婦を演じさせれば一流とあった。確かに本作の平三郎は「やくざ」と同じだ。そして、師の娘や飲み屋の女は平三郎と一緒にならない点で常識的であって「売春婦」ではないが、平三郎の純心がわからずにさっさと別の男と一緒になる点で純粋さがわからない女、つまり売春婦らしいと言ってもよい。純真で真面目な者が無頼漢に成り果てて犬死にする本作の筋立てを、女を主人公にすれば、田中絹代主役の
『西鶴一代女』のように、最後は売春婦で人生を終える映画を思い出す。
最初に書いたKがたとえば平三郎のように曲がったことが嫌いであったかと言えば、これはわからない。そこまで深い付き合いはなかったからだ。彼が口先だけではなく、むしろ口では何も言わずに勇ましく行動する者であれば、戦国時代には手柄を立てたかもしれないが、そういう一種の無鉄砲さもなかったように思う。平三郎が2階から食べ物を振りかけられた時、そのことに対して一言詫びがほしいと思うのは当然だ。武士でなくてもそうする。また相手がどのように偉い人であっても詫びるのは当然だ。だが、そのように考えることを四角四面で融通が利かないと言うのだろう。番頭が金子を差し出せば、それをもらって帰るというのが世間では常識だろう。相手にも事情があるからだ。そこをわからない平三郎はやはり無頼漢であって、結果的に人を殺し、捕らえられるのは、あまりに我を通し過ぎというものだろう。こういう見方は本作が封切られた当時からあったはずで、純粋と馬鹿は紙一重ということを描きたかったのだろう。牧野省三が監督かと思えばそうではなく、総指揮をしたようで、また牧野は坂妻にプロダクションを作ることを勧め、彼はその言葉にいたがって財を成した。一方、牧野は俳優に次々にプロダクションを設立させ、自分の懐には金が入って来ず、生涯貧乏暮らしであったと言う。それゆえ彼の銅像がかつては大映通りの入口に建てられた。そういう話を映画上映後に中島貞夫監督が舞台で話した。牧野が貧乏ということを3,4回話したが、そういう清廉な人であったので有配される監督になったと言いたいのだろう。中島の司会でその後は舞台に20人近くの殺陣師が登場し、具体的に刀をどう振ればどう交わすかといった実演になった。全部見ずに次の予定場所に向かったが、チャンバラ映画にはそうしたプロの殺陣師が欠かせないことを紹介したかったのだろう。また彼らには流派があるようで、チャンバラを含む時代劇映画はほとんど制作されないが、伝統芸として若手に伝わっている。本作には60年代の時代劇に盛んに出演した堺駿二のような喜劇役者も登場し、シリアス一辺倒にならない工夫があった。また最後の長い殺陣の場面では、屋根にひとりの男が上って瓦を剥ぎ、それを下の追手に囲まれる平三郎に向かって何枚も投げつける。それが間近に落ちて、その破片が阪妻におそらくいくつか当たったと思うが、今なら許されそうもないそういう無茶な場面を挿入することで、観客には迫真的に見える思いが監督にあったのだろう。刀はもちろん真剣ではないが、本物に見えるように思考錯誤し、竹に銀箔を貼った。その後のチャンバラ映画はみな本作を基本にしたとのことで、その意味でも最後の殺陣の場面は注目に値する。もうこういう映画はロケをする場所がなく、阪妻級の俳優もおらず、日本は作れなくなった。それで現代劇に置き換えるとどうか。やはり平三郎は無頼漢として死ぬしかない。