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●『ポリネシア文化の誕生と成熟』
国立民族学博物館で『模型で世界旅行』を見た後、常設展示場を半周し、最後にこの新着資料展示コーナーに辿り着いた。



●『ポリネシア文化の誕生と成熟』_d0053294_0362692.jpg館内を全部見には4、5キロ歩く必要がある。これはしんどいので、展示が変わったところをさっさと見つける思いで進んだが、ところどころで係員と出くわす。その姿を見るとさっと顔をそむけ、軽く会釈をして消えるが、これはきっと不届きなことをしないか監視しているのだろう。だが、鑑賞者にそう悟られては気分を害することになるので、なるべく見ないような素振りでいてしかも見ているといった動きになる。それにしても展示はみなガラス・ケースに収まらず、手を触れられるところに簡単に釣り糸で固定しているだけなので、その気になれば盗むのは容易と思える。日本の祭りの展示室には、鑑賞者が立つ位置から最も近いところに、土や木で作られたえびす大黒の人形が多少並んでいるが、設置台から10数点が消えていた。よく見ると説明札があって、補修点検のために撤去しているとあった。それが本当ならいいが、盗難に遇ったのをそうとは書かずにいるのではないかと、なおもいぶかった。そのような古い人形はネット・オークションでは高値で競り落とされる。みんぱくに展示されていたものかどうかなど、少し手を加えて汚せば誰にもわからなくなるだろう。セキュリティがしっかりしているはずの寺でも大きな仏像が簡単に盗まれる時代であるから、みんぱくの展示物を持ち出すのはさらにたやすいことに思える。だが、ガラス・ケースに収めずに、今のままの展示を続けてほしいと思う。話の脱線ついでに書くと、図書館でも本の盗難が頻発し、豪華なものばかりが大量にやられて、それが古書として売られたりするニュースが先日あった。盗難は言語道断だが、本のあるページをごっそりと外して持ち帰る者もあって、こうしたことをどのようにして防ぐか、もっと真剣に考えてもいい。何かを盗めば、必ず出る時には体重が増加しているから、そのことを利用して自動的に検査出来ないかと思うが、人の体重を勝手に計って人権侵害だとの意見がきっと出てうまく行かない。公的図書館の本を自由に借りることが出来るようになってからまだせいぜい数十年しか経っていないはずだが、こんな調子ではいずれまた大きな制限を受ける時代が来るかもしれない。
 話の脱線から思い出した。去年春、京都の図書館にロジェ・カイヨワの『幻想のさなかに 幻想絵画試論』を借りに出かけた。この本は80年代半ばに一度読んだことがある。有名な本なのでいつでも図書館から借りればよいと思っていた。ところが、よく通っていた図書館ではもう廃棄処分されていた。1975年出版であるので、よく借りられて本がぼろぼろになったか、あるいは蔵書が増えて保管不能になったのだろう。それで、別の大きな図書館にあることがわかり、早速訪れると、どうも本の様子がおかしい。糸綴じがガサガサで、中を開いて事情がわかった。本の中ほどにあるグラビアの図版ページが全部外されているのだ。カッターで切り取ったのではない。まとまってひとつの束になったそれらの部分だけをうまく背から外し、そして糊で貼りつけて、一部を外したことががわからないように細工してあるのだ。この本は図版がなければ文章を読んでもほとんど理解出来ない。筆者が借りたかったのも図版を確認したいからであった。すぐに司書に伝えたが、図書館としてもどうしようもなく、同じ本を購入するしかない。図版はコピーすれば済むのに、200円か300円をけちって公共の本を破壊してもかまわないと思うアホが、カイヨワの本を読もうとする、そして美術ファンの中にいることを知って心が痛んだ。せっかく1時間かけて出かけたのに、これなら思い切って本を買った方がましと憤りつつも、未だに買わずにいる。その本を借りる最大の目的は、カイヨワが幻想的と考えるある絵の図版を確認したいためであった。手元にあるカイヨワの『蛸』の巻末に『幻想のさなかに』の解説がある。訳者塚崎幹夫の内容説明から引用すると、「…十八世紀の教訓物語や遠い国の見聞談の挿絵にも、幻想的と見えるものが少なくないが、前記の条件に合う真の幻想的なものはあまりない。見聞談の挿絵のなかから、カイヨワは、ベルナールの描いた『クック船長の旅行記』の挿絵を二枚とりあげている。一枚はタヒチ島の風葬を扱っている。死体を置いた高い仮やぐらの下で、男と女の二人が嘆き悲しんでいる。その後ろから、異様な幽霊のようなものがゆっくり近づいて行っている。しかし、彼らは気づいていない。もう一枚は、仮面をつけた人たちが、急いでボートをこいでいる絵である。ベルナール自身も当惑していたにちがいない奇妙さが、正確に画面に描き出されている」とある。このベルナール描く2枚の絵が見たかったのだ。筆者は90年代前半に岩波書店から出た『17・18世紀大旅行気叢書』を所有していて、その中の第3、4巻が『太平洋探検』、つまり『クック船長の旅行記』で、そこにはベルナールの描いた図版の掲載が当然あるが、抜粋翻訳で、残念なことに上記の2点はない。そのため、最も手っ取り早い方法はやはりカイヨワの『幻想のさなかに』を繙くことなのだが、利用可能な京都のどの図書館にもこれがないわけだ。
 上記の文章の中に「仮面」が出て来たのでまた脱線ついでに書くと、みんぱくには世界各地の仮面が豊富に展示されていて、仮面好きには絶好の場所だ。『模型で世界旅行』でも書いたように、パプア・ニューギニアの本物の大きな仮面も売店で売られている。また、インドネシアの仮面をずらりと展示しているコの字型のコーナーでは、壁面を真っ黒にして、カラフルかつ異様な表情の仮面だけをじっくり鑑賞可能なようになっていて迫力があるが、コの字の開いた面はスクリーンが張ってあって、その前に丸椅子が何個か置かれていることに気づいた。これは以前にはなかった。スクリーンでは幻燈劇のようなワヤン・クリの上演ヴィデオが映し出され、一方スクリーン右下のモニターでは、その人形影絵芝居を操り人の様子をスクリーン背後から撮影した映像を流しているので、鑑賞者はこちら側とあちら側の様子を同時に鑑賞出来る仕組みになっている。音声が小さいので臨場感に乏しいが、可能な限り工夫して情報をたくさん与えようという趣向には頭が下がる。で、カイヨワが幻想的だと思ったタヒチの「異様な幽霊のようなもの」や「仮面をつけた人たち」の絵だが、今それが手元にある。前者は今回の展示に拡大写真があったが、無料パンフレットの中にも印刷されている。後者は35年前に買った『人類の美術』における『南太平洋美術』の巻をさきほどぱらぱらと見ていて発見したが、これはハワイの風俗を描いたもので、仮面をかぶる男たちが左右に連結したダブル・カヌーに10人乗り込んでパドルでかい進んでいる。この絵のどこが幻想的なのかと思う人も多いだろう。カイヨワはの仮面をつけた未開人の存在を見慣れないために特にそう感じたのかもしれない。この2点の図版はここにはあえて掲げない。自分で調べて納得する方が感激も大きいだろう。ベルナールが描いた「異様な幽霊のようなもの」は、簡単に言えば仮面と異様な衣装で、その実物は本画面上部の掲げたパンフレット表紙に印刷されているものとほぼ同じだ。イギリスのクック船長が2度目にタヒチを訪れたのは1773年8月で、その時この特異な葬送用衣装を入手して大いに喜んだが、同じものをみんぱくがポリネシア考古学の第一人者である篠遠喜彦博士を介して購入し、それを中心とする諸資料の披露が今回の企画展だ。筆者は当日みんぱくを訪れるまでこの展示があることを知らなかった。全く予期せぬ場所でカイヨワが幻想的絵画として紹介した絵と、そしてそこに描かれる「異様な幽霊のようなもの」の実物に接することが出来た。人はやはり動くべきだ。夢のように意外な出会いが待ち受けている。
 ポリネシアとはどこを指すか。パンフレットに簡単な地図がある。「ポリ」がギリシア語の「多くの」であることはよく知るとおりだが、「ネシア」は「島々」という意味とのこと。北をハワイ、南西をニュージーランド、南東をイースター島として、これら3か所を結ぶ一辺8000キロの三角形に含まれる領域がポリネシアだ。ついでに書くと、ポリネシアの東側の赤道から北はミクロネシアで、南はメラネシアだ。ポリネシア人の故郷は東南アジアの島々で、5000年前に東へ移動した。これはラピタ陶器と呼ばれるものを発掘してわかったことだ。ポリネシア西端に到達したのが3000年前で、その後1000年後にタヒチに向かい、ハワイやイースター島などポリネシア全域に広がった。そのため、ポリネシアの島々の言葉や文化はよく似ている。ラピタ陶器はサモアまで広がったものの、それから西には伝わらなかったが、それは地中で石を焼き、その熱を使って蒸し焼きする料理法が発達して、土器を必要としなくなったからだ。16世紀末までポリネシアの存在はヨーロッパに知られていなかったが、クックによる3回の太平洋航海によって初めて発見、記録された。クックはハワイ人によって殺されたが、それから想像出来るように、航海記を読むと、イギリス文明の珍しいモノが素朴な島々の人々の中に盗難などの醜い所有欲を増長させ、心を荒らして行く様子が垣間見える。また、船員のほとんどは立ち寄る島々の女性と頻繁に性交し、そのことで性病や他の病気が蔓延して行ったこともわかる。南太平洋には現在、日本の1.25倍の国土のあるパプア・ニューギニアを別として21の国があって、フィジー、サモア、ソロモン諸島、トンガ、ツバル、ヴァヌアツ、パラオといったよく耳にする国以外は、イギリス、アメリカ、フランスの管轄下や自治領、領土になっている。通常人口は数万から数十万で、移動や通信が困難なことは言うまでもない。また、珊瑚礁の島々であるツバルは人口が1万程度、26平方キロの面積で、最も標高のあるところでも海抜4メートルのため、地球温暖化の深刻な被害を被りつつあることはよく知られる。
●『ポリネシア文化の誕生と成熟』_d0053294_0443289.jpg また話を戻して、みんぱくが所有することになったタヒチの葬送儀礼の仮面と衣装一式はhevaと呼ぶが、前述の『太平洋探検』では「ヘヴァ(ヘイヴァすなわち劇)」が出て来る。クックらは1、2時間のヘヴァ劇を見せられ、「女王の踊りの衣装は、羽毛で作られた長い房が飾りを持ち、それまでに見たいかなる衣裳よりも優雅であった…」と書いていて、葬送儀礼用のhevaとよく似たものではなかったろうか。今回の展示の最大の見物であるhevaは、タパ製のケープや頭巾、前かけ、それに真珠貝を加工せずにその丸いまま取りつけた仮面や胸飾り、羽毛ケープやココナッツの殻飾りをつけたポンチョなどから成るが、近親者が亡くなった時、首長に最も近い親族や神官がこの扮装で喪主を務め、鮫の歯を埋め込んだ棒を持ちながら村を歩き回った。その時、真珠貝製のカスタネットを打ち鳴らし続けるが、これは姿を見た者を容赦なく攻撃することの警告のためだ。ベルナールの描いた絵では仮面の頭部の周囲にはびっしりと長い羽毛が植えつけられているが、みんぱくのものはそれがやや貧弱だ。それにしても真珠貝の使い方はダイナミックで、とても手の込んだ贅沢なものであることがわかる。タパに関しては、昨秋大坂日本民藝館での展示『タパの美』についてブログに書いた。簡単な平編みは別として、ポリネシアは織物の技術は持たず、布はタパ、すなわち樹皮布しかなかった。クックも大量にこれらを島民から贈られた様子を書いている。みんぱくの売店で忘れ去られたように1個だけ置かれている大型のパプア・ニューギニアの仮面(上左)は、布は布でもタパ製で、この仮面とほぼ同じ図版が『南太平洋美術』にも掲載されている。この本は1967年出版で、当時はまだ日本ではこの仮面を知っている人は少なかったであろう。万博があって、みんぱくが出来て、そして今ではそれが売られているのに、誰も見向きもしない。幻想もすっかり消失した世の中になった。ちなみにこのバイニング(ベイニン)族の仮面は、ニューギニア島から東に位置するニュー・ブリテン島北部のスルカ地方に住む部族が作る。ニュー・ブリテンとは「新イギリス」で、これも元を辿ればクックの功績だが、一方でクック諸島もあるから、太平洋諸島はクック抜きでは何事も料理出来ない。
by uuuzen | 2006-03-07 00:37 | ●展覧会SOON評SO ON
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