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埃及」が「エジプト」というのは、エジプト人はいい気がしないのではないだろうか。いくら砂ばかりとはいえ、それを埃とは……。一方。フィンランドは「芬蘭土」と表記する。これは蘭が香るという意味で美しい。

まさか「糞乱土」と充てればいいではないかと考えた人はいないだろうが、外交を結んだ百年前、日本と敵対していればそういう無礼な漢字を使ったかもしれない。それはさておき、9月25日に東洋陶磁美術館で見た展覧会について今日と明日は、日本でも有名なマリメッコの染色を紹介する。マリメッコは、今回名前を知ったが「ウニッコ」と呼ばれる芥子の花を大きくデザインした花柄を誰でも一度は見たことがあるだろう。筆者もこれまで何度も気になりながら、ほとんど女性が買い物袋として持っているのを見かけ、自分で持ちたいと思ったことはない。「ウニッコ」の第一印象はアンディ・ウォーホルの版画に同じように花を大きく捉えた作品があることだ。どちらが先なのかは気に留めなかったが、マリメッコが先かもしれない。本展では説明パネルはほとんど陶芸に充てられ、マリメッコについてはなかったと思うが、手元の見開きのチラシに簡単なマリメッコの紹介文がある。それによると、アルミ・ラティア(1912―1979)が1951年に創業し、「その鮮やかな色彩と力強いユニークなテキスタイルは、それまでのフィンランドには見られないデザイン」であったと書かれる。マリメッコ(marimekko)は会社の名前のようで、「ウニッコ」と「ッコ」がだぶるので、たぶん何かを意味する名詞と思うが、そのことは書かれていない。副題の「フィンランド・ミーツ・ジャパン」は、今回マリメッコの3名のデザイナーが日本をテーマとした新作のパターンとその制作過程を紹介することによる。マリメッコの紹介は商品の宣伝になるので、公的な美術館を使うのは問題があると感じるが、商品になる前の広幅の布の展示であるのでさほど気を遣う必要はないのだろう。あるいは筆者が知らないだけで、マリメッコの布地はたとえば1メートル単位で切り売りしているかもしれず、そうであればやはり問題か。今回の企画展のようにフィンランドの陶芸と染色を同時展示することは、日本のそれらとの差を知るうえで便利でもあり、またこの美術館では今回のような規模の大きい染色作品の展示は初めてのはずで、マリメッコの布は会場を引き立てていた。今日の最初の写真は吹き抜けになっている玄関ホールの2階から見下ろしたが、写真では右端の赤い花の文様が「ウニッコ」だ。これは同じ花の形で色違いがいくつもある。2番目はとても大胆な大柄で、どのように裁断されて何に使われるのか見当がつかない。デザイナーがたくさんいるようで、マリメッコのイメージはどこか捉えどころがないが、今日の残り3枚の写真からは華やかな花柄が多いようであることがわかる。

大きな花柄は太陽への憧れがあるだろう。鮮やかでぼかしのない色合いはイタリアの染色に思えるほどだが、イタリアほどの染色の歴史はない。マリメッコはすべてロール捺染かシルクスクリーンのはずで、デザインだけが命と言ってよい。フィンランドの陶芸は作家が1点ずつ作るものがあるが、それとは最初から違った量産品だ。その意味で日本の染色の歴史とは何の関係もないが、日本には同じように量産品の染色として、友禅と同じく糯糊を使った型染めが江戸時代からある。その延長上にシルクスクリーンによる染めがあり、また今では1点ずつ手で染める高級品は稀となっている。またここ数年は京都では一着2000円程度でキモノを貸す業者が急増し、そうしたキモノを着て市内を歩く外国人女性の姿が珍しくなくなっているため、そのキモノの安っぽい色と柄が本来の、つまり伝統的なキモノと思われているふしがある。特に昔のキモノを知らない若い女性はそうだろう。そうなると、伝統もへちまもなく、みんなが着ている安価なものが恰好いいという意識がきっと芽生える。一方、皇族はほとんど文様がわからない、色の薄いキモノを着用しているが、それらは昔からほとんど何も変わらない古典柄で、それらの文様の意味を今の若者は何も知らないし、知る必要もないと思っている。文様の意味や色合いはどうでもよく、遠目に目立てばよいという考えは洋服の生地やまたマリメッコの生地と同じだ。「ウニッコ」の大きな花柄はぱっと見が鮮やかで目立つという理由で歓迎されていて、それ以上の文様の意味づけはおそらくなされていない。意味があるとすればフィンランド生まれの最も人気のあるものということだけで、デザイナーのよく売れたロゴという感じだ。それに比べ得る日本を代表するような現在の染色文様はないが、これは日本の染色文様の力が貧弱であるという理由では全くなく、むしろ無限に優れたものがあり過ぎて代表的なものを選べない。それで、マリメッコのスピリッツとは何かだ。今回JAPANをテーマに3点の新作が紹介されたが、その1点「桜の花の雨」はチラシやチケットに大きく印刷されている。緑色地に桃色の桜の花が散り、8人の男女が歩いていて、60年代のイラストによくあった感覚だ。左端の女性は頭に花飾りをして、メイド喫茶の店員に見える。幅はマリメッコの場合、すべてダブルの137センチと思うが、そうだとすればこの作品は50センチ程度の送りで文様が繰り返されている。マリメッコの生地はどれも上下の送りだけ守ってデザインすればいいので、デザインはしやすい。日本をモチーフにした他の2点は黄色と橙色の2色を使った「光の輪」と、焦げ茶と緑系の色を使って半円形の苔を波のように積み重ねた「苔寺」で、後者はかなり渋く、マリメッコらしくない。前者は菓子の包装紙のようで、細かい文様が2メートル以上の送りで全体を埋め尽くす。

マリメッコはデザイナーを何人も雇っているので、デザインは多様になるが、今日の残り3枚の写真からはどれも共通した雰囲気が伝わる。これらは布地を撮影し、それをフィルムに印刷して背後から光を当てた展示で、もっとたくさん作品はあったが数分の1を撮影した。これらの花柄はどこか20世紀の古臭さを感じさせるが、言い換えれば落ち着いて上品だ。またこれらに対して前述の日本に題材を採った2017年の3点はあまりに異質で、マリメッコ社としては脱皮を図っていると見える。それは急激な変化がいいのか、過去の面影を宿すことが求められるのか、いずれの場合もあるだろうが、「桜の花の雨」は日本らしさはほとんど感じられず、他の2点は日本を意識し過ぎて面白くない。似たようなものでもっといいものを日本の染色デザイナーはいくらでも描くだろう。だが、そこはマリメッコは長年培った名前の貫禄がある。日本で言う「ブランド」で、日本の布地は、筆者の勉強不足だろうが、ほとんどこうした量産布地専門の染色デザイナーの有名な名前を聞かない。あるいはパリ・コレなどに出品する有名ファッション・デザイナーが独自にデザインして布を染めさせている話を読んだことがあるが、それは量的にごくわずかであろう。マリメッコは桁がいくつも違うほど量産されていて、またそうであるだけにおそらく生地の価格もかなり強気ではないか。染める技術力は日本は世界一クラスのはずで、後はエルメスのスカーフのように、デザイン力つまりデザイナーの有名度だけが問題と思うが、何しろ洋服の歴史が浅い。そのためキモノなどで保って来たデザインをそのまま広幅の生地に展開する才能に乏しく、和調を絶って洋の場で勝負となると負けるのだろう。日本の文様はキモノだけではなく、たとえば襖紙にもある。その歴史的な文様はそのまま壁紙になるはずで、またマリメッコのように布地に応用も出来るが、そういう話は聞かない。過去の文様なので著作権はないから、誰もがそれらを元に新しい感覚のものをデザインすればいいが、マリメッコのようなブランドを築き上げるまでにはならないのだろう。それは需要がないからとの意見があるかもしれないが、斬新なデザインが登場するとそれを欲する人があり、まずは供給ではないか。その例を筆者は京都の木村英樹に見るが、最初はかなりぎこちなく、また拙かった彼の魚や蓮のデザインは、金で輪郭を太く括る画風はそのままで、今は赤や茶をうまくこなして目立つ存在になって来ている。同じような個性的なデザインが京都からもっと多く生まれて来るべきと思うが、それは京都の街のたたずまいがかなり雑多になって来ていることに負けない、それでいて品のよさが求められ、江戸時代そのままの古典的なデザインでは通用しにくくなっているだろう。それもあって、京都の街を歩く外国人女性の安物のキモノの色と文様と見ることも出来る。