暮らしに余裕がない若者が多い中、1万円近い価格の、しかも半世紀ほど前の演奏である4枚組CDの本作が日本でどれほど売れるかとなれば、まあ、よほどの暇人だ。
こうした文章を書いたり、読んだりする人も同類だが、筆者はザッパの音楽とは長年のつき合いで、新譜が出ればすぐに感想を記しておくのは、ザッパが生きていた頃を回顧するだけでなく、現在の考察にも役立つ。さて、本作については昨日で終わりにしておこうと思ったが、手元に7枚組の『ロキシー・パフォーマンス』を出したままで、今日はそれと比較してみる。この7枚組の箱の内部は厚さに余裕があって、本作のブックレットと4枚のCDがぎりぎり収まる。仮面の入った大箱の底にいちいちCDとブックレットを収めると、次に聴く時に取り出すのが億劫で、せっかくの大きな箱なので、その中に『ロキシー・パフォーマンス』と同じサイズの別箱を用意してくれればいいのに、それは何でも過剰に包装する日本的考えか。それはともかく、本作や『ロキシー……』を聴きながら、気になることがある。前者には「Farther O‘Blivion」が収録され、後者のディスク6には同曲以外に、「r」を省いた「Father O‘Blivion」も含まれる。この「オブリヴィオン神父」に続いて「Rollo」という曲が演奏されることが多く、『ロキシー……』ではナポレオンが歌う「ビバップ・ヴァージョン」となっている。この「ビバップ」はジョージ・デュークに歌を担当させるようになってから登場した言葉だが、アルバム『ワカ・ジャワカ』の「ビッグ・スウィフティ」はビバップ的なフレーズをふんだんに含む。話を戻して、「Farther O‘Blivion」はアルバム『スタジオ・タン』の片面全部を占める「グレガリー・ペカリー」の一部として初めて紹介されるが、当初は「より遠いオブリヴィオン」という意味の題名であったのはどういうことだろう。『ロキシー……』のディスク6にはスタジオ・セッションの「黄色の雪を食べるな」の、「オブリヴィオン神父」を含む一連の組曲が収録されるが、同組曲をザッパはその半年前のツアーで演奏していて、その時は各曲に題名は分けられず、したがって「オブリヴィオン神父」は演奏されたがその題名はなかった。つまり、『ロキシー……』で初めて「オブリヴィオン神父」が独立して登場したが、実はザッパは生前『オン・ステージ第6集』で同曲を「より遠いオブリヴィオン」と題し、そのことが事情をややこしくしている。それはともかく、「より遠いオブリヴィオン」は「オブリヴィオン神父」より1年早い72年10月にツアーで演奏されていて、「オブリヴィオン神父」が「より遠いオブリヴィオン」以前に作曲され、後者は前者から派生させつつ前者の雰囲気が全然ないことを意味しての題名ではなかったことになる。では「より遠い」は何を意味するのだろう。
あれこれ想像しても埒が明かないことがザッパの曲にはある。それで気を病む必要はないが、ザッパ没後に発売された72年の『Imaginary Diseases』(気の病)についてもう少し書くと、このアルバムに16分の「より遠いオブリヴィオン」が収められる。驚くべきことは同曲の後半が「ビバップ・タンゴ」であることだ。結局最初の「より遠い……」の前半は「グレガリー」の一部とされ、後半は『ロキシー・アンド・エルスウェア』ではジョージ・デュークが歌う大曲となったが、「ビバップ・タンゴ」が最晩年の『ザ・イエロー・シャーク』でも演奏されたことは室内楽曲としていちおう完成していたからだ。一方、「グレガリー」もザッパ没後にアンサンブル・モデルンは演奏し、CDにもなったので、72年のザッパの作品は20年後に現代音楽の演奏者たちによって取り上げられ、いかに30代前半が才能の頂点にあったかがわかる。芸術を目指す者は30歳でそれなりの高い評価を得ていなければその後の大成は無理ではないか。現在の日本の若者が幼ないとはいえ、身体は昔の30歳も今の30歳も同じか、むしろ今のほうが栄養がよくて早く大人びる。またザッパが世界的に有名になったのは、幼少時から恵まれた音楽環境にあったからではない。大作曲家の子孫が立派な音楽家になるとは限らず、平凡な家庭から天才が時に生まれる。それが人間の面白いところで、二代目、三代目の家柄をうらやましがる必要はない。40トンもの機材をトレーラーで運びながらツアーをしたザッパであったが、最初はバーで客のリクエストに応じるバンドの一員から始め、また食べるために職をいくつか変えた。そして離婚や刑務所暮らしも経験しながら、それらすべてを後年の作曲の糧にした。ザッパが刑務所に1か月ほど収監されたのは、それは刑事から昼間に部屋にこもって録音を職業とすることを不審がられ、性行為の音を収めた録音テープの注文を受け、ザッパが女友だちにそれを演じさせたものを手わたしたからだ。そのため、ニクソンが盗聴疑惑で大統領の座を追われたことは、ザッパは大いに感じ入ったに違いない。『ロキシー……』には「That Arrogant Dick Nixon」(あの傲慢なリチャード・ニクソン)という、「ジ・イディオット・バスタード・サン」の替え歌がある。73年の10月から12月、ザッパはよほどニクソンが没落して行くニュースに注目したと見え、いくつかの曲で大いに皮肉るが、この替え歌はあまりに直接的で、発売は現実的ではないと考えたのだろう。それにザッパは本作からちょうど3年後のフィラデルフィアでのライヴでは、最後に演奏した「マフィン・マン」でニクソンについて言及し、見栄えがいいと讃えている。辞任して2年経っていて、もう風刺の必要を感じなかったのであろう。だが、80年代はレーガン政権となって、ザッパはまた大統領を敵視する。