歳時記の感覚が薄れて行く一方で、毎年ハロウィーンで東京渋谷が大騒ぎするニュースがある。ザッパがハロウィーン・ライヴを始めたのは1973年のようだが、ハロウィーンはケルトのお祭りで、カトリック家に育ったザッパはカトリックに反旗を翻すためにハロウィーンを強く意識したのか。

そのことをここで述べると長くなるのでやめておくが、日本でハロウィーンがもてはやされているのは商業的な関係で、クリスマスのようには浸透しないだろう。それはどうでもいいが、レザニモヲが今回実現させた「ザッパロウィン」のライヴは、演奏後にドラムスの「963」さんと話したところ、毎年「文化の日」に開催したいとのことで、同じ会場を押さえるだろう。登場バンドが増えれば2,3日にわたって行なうことも出来るが、それにはザッパ曲を若い世代に知ってもらう必要がある。今回はレザニモヲのふたりに、ヴォーカルの「ジョー」、ギターの「モリ」、ベースの「ひょうちゃん」、そしてサックスの「登敬三」が加わった「ザッパニモヲ」というバンドで、この英訳すれば「zappanimals」を、「雑多な動物たち」と解せば、レザニモヲのオリジナル曲に登場する動物世界を意味するのにふさわしい。それはともかく、開場前に並んだ客の最後に金森幹夫さんがいて、彼から改めて当夜聞いたが、彼が「さあや」さんと初めて出会った2年ほど前で、彼女がザッパ・ファンであることを知った。一方で彼はザッパ曲をピアノで演奏する武田理沙さんの存在も知り、そこに筆者を引っ張り出して武田さんと会わせることにし、そのひとつの企画として
去年BlueEyesでの武田さん、レザニモヲ、そして面黒桜卍さんのライヴがあった。その最後に彼らがザッパの「イースターの西瓜」を演奏した時、筆者はそれが武田さんの提案と主導によると思い、レザニモヲがどこまでザッパ曲を知り、演奏出来るかは考えなかった。今年8月の終わり、「963」さんから筆者に、「文化の日」に行なう「ザッパニモヲ」のライヴでのトーク依頼のメールがあり、9月中旬にわが家で話をした。土日しかメンバー全員で練習出来ないにもかかわらず、今回は15曲、1時間半ぶっ通しで、しかも寸劇を交えての演奏に驚いた。「さあや」さんが切り出しての「ザッパニモヲ」で、彼女のザッパ曲に挑む思いや愛なくして今回の演奏はなく、彼女のザッパ好き、ルース・アンダーウッド好きがよくわかった。ドラムスとサックス以外は平成生まれで、いわば伝統芸と化している「遠藤豆千代とBWANA」の演奏とは違って、若さゆえの粗さがありはするが、それを補ってあまりある才能と活力を客の誰もが感じたであろう。客が帰った後、「ジョー」と「モリ」のふたりと話したところ、普段はメタル系の音楽をやっていると聴いたが、ザッパ曲の楽しさがわかったので今後はもっと聴き込んでみたいとのことだ。

一番乗りした客の池島さんはレザニモヲのファンで、彼は
「ザッパニモヲ」の全演奏を録画し、一昨日YouTubeに投稿した。それを見ると生演奏は見なくていい気がする人があろうが、客が多ければ演奏の励みになる。また音量の差は圧倒的で、映像は生演奏の一度だけの感動にとうてい及ばない。わが家でレザニモヲは筆者が所有するザッパのアルバムを見たがったが、その言葉からは彼らがザッパの全アルバムを所有しないことがうかがえた。だが、ザッパ曲を演奏するのにその必要は全くない。ザッパの新譜は今なお発売され続け、今日届く予定の『ハロウィーン 73』は先ほどアマゾンから12月上旬から来年1月下旬の到着になるとのメールがあったが、ともかくそれら新譜を追うと切りがない。ザッパ生前のアルバムのみで充分で、またザッパのどの時期が好きかでレパートリーは決まる。今回は73年の『興奮の一夜』から多くが選曲されたが、たとえばそれらの一曲「アイム・ザ・スライム」は、「ジョー」がドン・パルドの声色をなぞっていたので76年のクリスマス・ライヴ・ヴァージョンに倣った演奏で、「カマリロ・ブリロ」や同曲とセイグェイで演奏された「マフィン・マン」は77年のハロウィーン・ヴァージョンだ。ところで、筆者は後者の曲が大好きで、当夜の2週間ほど前のメールで最後に演奏してほしいと伝えた。それが承諾され、その演奏の冒頭のギターを聴いた時、筆者は涙を滲ませた。彼は元はヴォーカリストで、ギター専門ではなかったと言うが、素晴らしい才能だ。ザッパのソロを真似する必要はなく、どんどん彼らしい持ち味をソロで聴かせてほしい。それがザッパも望むところだ。話を「マフィン・マン」に戻すと、「さあや」さんは、演奏することにしているが、最後であるべき理由を訊ねて来た。それで筆者は、同曲は悪夢に目覚めて泣く子をあやす子守歌で、観客が帰宅して熟睡出来るようにとザッパは考え、いつもコンサートの最後に演奏したことを伝えた。ついでながら、77年のハロウィーン・ライヴでは、中間のギター・ソロの最初にエイドリアン・ブリューが悲鳴のような高音を鳴らす。これは夢の中の悪魔で、ブリューの演奏後のザッパのソロは、歌詞内容と同じく、その悪魔を追い払う親という設定と考えればよい。このように、ザッパ曲の解釈は歌詞の意味を探ることで可能となる場合がしばしばあるが、ザッパに内在するこのオペラ的なところを「ザッパニモヲ」はよく理解し、全員が演奏する必要のない箇所では小道具を使ったちょっとした劇を演じた。また77年ハロウィーン・ライヴでザッパが使ったパトカーの玩具に倣って、声を発する人形や動く玩具を使った。視覚的な面白さはザッパもよく意図したが、肝心はやはり演奏だ。「ザッパニモヲ」のYouTubeの音だけ聴いて彼らの寸劇を想像出来る人はいないはずで、それほどに演奏にブレがなかった。

彼女が「ブラック・ページ」を演奏することは1週間前に知った。本番で彼女は電子ピアノで30秒ほど演奏し、初めからやり直した。彼女曰く、50回に一度しかまともに演奏出来ないとのことで、また楽譜は数年前にネットで一部を見つけ、ほかは採譜したという。翌日、筆者はザッパ資料の中から同曲の楽譜を探し、早速彼女に送った。彼女は自分の採譜と比較し、また練習を重ね、来年は見違える演奏を披露するだろう。当夜は同曲のスロー・ヴァージョンがベース、ギター、ドラムスを加えて演奏され、そのギターの宇宙ノイズ・サウンドを絡めたジャズっぽさは見事であった。ジャズを基本にしたザッパ曲は多々あるが、彼女の電子マリンバの音色はラウンジ・ジャズ的で、華奢な容貌と相まって「優しきくつろぎ」を聴き手にもたらす。家内は彼女の印象を「清潔」と言う。ルースもそうで、酒を出す夜の店によくいそうな、男に変に慣れ慣れしい雰囲気が皆無だ。レザニモヲのファンはそういう彼女の個性に魅せられているだろう。そして彼女が今回ほどにザッパ曲を演奏するとは意外で、印象を新たにしたに違いない。また彼女は今回は今年一番の出来のライヴと言うが、ザッパ曲を今後も演奏する過程で、オリジナル曲に変化が表われるのではないか。それはザッパ的なメロディを期待するものではない。敬愛するあまり、作風をそっくり模倣する創造を筆者は感心しない。ヴァレーズとザッパの作品が全く違うほどに、ザッパに心酔するならば、ザッパとは全く違う音楽で名を挙げることが、天国に行った時にザッパと対等に話せる条件だ。この独創性は傲慢であっても謙虚過ぎても身につかない。「さあや」さんが77年のハロウィーン・ライヴを好むことは、今回のチラシの彼女のデザインからもわかるが、ザッパの全ハロウィーン・ライヴで77年が最高の出来栄えであったことを思えば、次回は今回演奏されなかった同年の別の曲が期待される。そうそう、「マフィン・マン」が終わった後、「さあや」さんが挨拶し、客席の最前列に座っていた松本さんが彼女に向って「ウィンピング・ポスト!」と言葉を投げた。このことに即座に笑える人はザッパ通だ。「ザッパニモヲ」がいつか同曲を取り上げると面白いが、同曲の高い声を「ジョー」は歌えるだろうか。ザッパは74年のヘルシンキでのライヴで客から同曲の演奏を求められた時、同曲もオールマン・ブラザースのデュアンの作曲であることも知らなかったが、7年後に演奏し、そのギター・ソロを「FOR DUANE」として発表もした。そのことから、ザッパが知らないことを知ろうとした努力家であったことが想像出来る。真面目で真剣で純粋さを持たねば人の心を占めることが出来ない。「さあや」さんにはその素質がある。歳時記を思って最後に一句。「来年も灯すカボチャのザッパ祭」。あまりの凡作で笑われる。「雑な歯が笑うカボチャのライヴかな」