郷に入れば郷の披露身。ザッパの曲はまだ中国という郷には浸透していないようだが、共産党の社会では無理か。あるいは地下に潜ったザッパ・ファンがわずかにはいるかもしれず、彼らがどんなザッパ観を披露するのか、その発信に接したい気がする。
アジアでザッパ・ファンが最も早く、最も多くなった国は日本だ。ザッパ人気が今後日本以外のアジア諸国に拡大するとして、もちろんそれは確実だが、日本が牽引役を引き受けられるか。そこには日本におけるザッパ観が他のアジア諸国にどう受け取られるかの問題があるが、とにかく日本のバンドがザッパ曲を解釈して演奏することが前提で、それにはドイツで毎年夏に開催される「ザッパナーレ」と同様にザッパ曲をカヴァー演奏するバンドが集まる催しが何よりも効果的だ。筆者はそう思って1年前にブログにそのようなことを書いた。即座にレザニモヲの963さんがそれに反応し、ライヴハウスのBlueEyesに頼んで11月3日を確保したが、実質的にそのライヴ企画が動き始めたのは今年9月で、2か月後に「ザッパロウィン 19」として実現した。今日から3回続きでその様子について書く。ライヴの4日前に曲順を無視したバンドごとのレパートリーを伝えられ、それでおおよその雰囲気は把握出来たが、いつも筆者はライヴに行く時は演奏者のことを全く調べず、今回もそのようにした。先入観を持ちたくないためだ。これがなかなか難しい。映像で接するとわかった気になる。確かに音楽性はわかるだろうが、その音楽は生身の人間が奏でる。そこで可能であれば、演奏者を間近で見、言葉を交わすのがよい。それがわずかな時間であってもぐんと音楽は身近なものに感じられる。それがライヴの醍醐味だが、観客の誰もが陽気とは限らず、演奏者と親し気に話すことは出来ない。筆者もその部類だが、今回はトークを担当したこともあって演奏者と話す機会があり、そのことで演奏がより理解出来た気がする。そこには一種の贔屓感情が入るが、それを言えば人が関係して温かい何かに触れることはすべてそうだ。それが人間の、簡単に言えば情だが、人間にしか音楽はわからない。非情さが溢れるのはおそらくどの国も同じで、それゆえ人をつなぐ音楽がある。さて、最初に出演したのは東京の「MAHYA」という男3人に京都在住の「冷水ひとみ」という女性キーボードが加わった4人編成で、「MAHYA」は「東京ザッパラス」というメンバー不特定多数のザッパ曲を演奏するバンドに属し、オリジナル曲を演奏するバンドと聞いた。当日配布されたチラシに12月1日に吉祥寺で開かれる「東京ザッパラス」のライヴのものがあり、また今回二番目に出演した「BWANAと遠藤豆千代」も演奏する予定だ。「冷水」は「しみず」と読み、冷泉家につながりのある公家を思わせるが、ご主人はアメリカ人でザッパの演奏を70年代に何度か見ていると聞いた。
彼女はハリー・パーチに連なる音程の理論派で、パーチが編み出した1オクターヴを43の音に分ける微分音の鍵盤楽器で演奏するという。ここには特に鍵盤楽器にはつきものの「律」の問題がある。多くの管弦楽器による合奏を合理的に行なうために歴史は「平均律」に収斂して来たが、どういう「律」が完璧かは言えず、無限にある「律」のどれを選んでも何かを犠牲にする必要があり、またそのどれを採用しても独特の響きのある音楽が生まれる。ザッパは「律」にはあまり関心がなかったようだが、「平均律」は市民社会の成熟とともに生まれたと言ってよく、その意味でザッパは特異な「律」よりも「平均律」を評価したのではないか。それはともかく、彼女は京都の堀川音楽高等学校卒で、レザニモヲの「さあや」さんの先輩というが、クラシック音楽を学んでいる。ザッパの曲はさほど知らないとのことで、今回の「MAHYA」の3匹の蜜蜂との共演は女王蜂のように姿が目立ち、「MAHYA」とは音楽性が通じ、以前から交友があったのだろう。それにしても普段はオリジナル曲を演奏する者同士がザッパ曲のために集まることは、演奏者にとってザッパの曲に魅力があり、ザッパ曲に人をつなぐ魔力のようなものがあると見てよい。さて、彼ら4人が選んだ曲はザッパの68,9年に焦点を合わせ、「冷水」さんによるソロの「住み慣れた小さな家」から始まり、他はアルバム『いたち野郎』と『アンクル・ミート』から6曲演奏した。『いたち野郎』はジャケットの派手なグロさ加減やその邦題もあって日本では人気が高いが、あちこちの録音をつなぎ合わせたアルバムで、後年のアルバムのような音の統一感は欠ける。そういうアルバムから選曲して4人でどのような演奏が可能か。これはマザーズよりも少ない人数で、「MAHYA」のベース以外のふたりは楽器を持ち替え、ドラムスとギター、ドラムスとサックス、トランペットを奏でた。それには舞台で動き回る必要があり、その間は音が途切れかねないが、そこを演奏の緩急や音の高低の息を合わせつつ、うまく間を持たせていた。また当然ふたりは即興演奏が見せ場で、リハーサルでわずかに垣間見た演奏が全開となったが、一番の聴かせどころとなった曲「キング・コング」ではギター、サックス、トランペットが年季の入った熟練技の披露身で、安心して聴くことが出来た。またギタリストは「ダイレクトリイ・フロム・マイ・ハート」では歌も披露し、ブルースのソロも手慣れたものであった。彼はギター・ソロ曲「ゲット・ア・リトル」も演奏した。そこにはザッパ独特のソロの味わいをどう解釈するかの問題がある。ザッパのソロを一音ずつ模倣し、限りなくザッパと同じソロを奏でても、またザッパの好きなフレーズを学ばず、また旋法をあまり気にせずとも、いずれにしても演奏者の個性は出る。そして模倣の度合いの少ないほうが面白い。
ここにはザッパのカヴァーする際の根本的な問題が横たわっている。コピー・バンドの面白みはどれだけ本物に近づいているかというその見事さにあるが、ザッパと同じほどに演奏することは無理で、必ず瑕疵と言ってよい部分が見える。そしてそれはザッパと比べるだけに大きく見えるもので、そのことによってコピーのつまらなさを露呈する。一方、自由な即興によれば、本人の音楽経歴や思想が表われると同時に、ザッパ曲の一種融通無碍さが感得される。演奏にまずさがあっても、それは演奏者の才能と人柄でもあって、完全コピーを目指すバンドにおける演奏ミスのようには厳しく見ることはない。こう書きながら筆者が思い出しているのは、ギタリストによる「キング・コング」の主題の演奏だ。彼はリハの時も音をいくつか落としていたが、アルバム『アンクル・ミート』のブックレットに載っているその主題の楽譜を参照せずに、耳で覚えたためかもしれない。とはいえ、彼らが演奏した7曲はメドレーで、40分弱の間、音の中断がなく、特にベースとキーボード以外のふたりは忙しく動き回り、演奏を統率していた。「冷水」さんはギタリストの指示でソロを始め、また機材名は知らないが、キーボード上に置いた横長の棒のつまみを左右に動かしてオンド・マルトノ的な音を奏で、微分音好みが伝わったが、そう言えば「MAHYA」は歴史的なシンセサイザーをたくさん集めて奏でたCDを作っているとのことで、ザッパとは全然違う音楽をやっている。ギタリストが「ガス・マスク」や「ディッジャ・ゲット・エニ・オニャ」などではロイ・エストラーダの奇妙な声を真似していたのも彼の多彩さで、『いたち野郎』時代のエッセンスを4人ではこれ以上は無理なほどにうまくまとめていた。「MAHYA」の3人と少し話をして筆者が真っ先に感じたことは、彼らがいかにも東京の上品ないい部分を持ち合わせていると思わせる人柄であることだ。筆者は昔東京の友禅作家たちと交流があった。その時に感じたのと同じ人柄で、それは京都や大阪にはあまりないものだ。京都は澄ましていて何を考えているかわからない人が多く、大阪は筆者のように嫌味で皮肉っぽいのが多い。その点「MAHYA」の3人は優しさがにじみ出ていて、彼らの演奏するザッパ曲も品があった。話が前後するが、「東京ザッパラス」という名前については当夜客として来ていた「ナゴヤハロー」さんから、7月に阿倍野で見た
マルコ・パカッソーニのデュオの演奏会に東京から客として訪れたフルートとリコーダーを吹く今井さんがそのバンドに所属していると教えられた。その時に筆者は「ザッパロウィン」に東京のザッパ・カヴァー・バンドが出演出来ないものかと彼に訊いたが、一方で話が進み、東京、名古屋、京都の3バンドが、郷に入れば業の披露身として出演することになった。ザッパを介して人がつながることは喜ばしく香ばしい。