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●鶏頭傾倒経過観察、その8
の漢字を正確に覚えようとすると鬱になりそうなほど字が黒い。そうか、鬱とは気分が黒く、暗くなることか。ローリング・ストーンズの「ペイント・イット・ブラック」は鬱になることを勧める歌であったことになるが、ロックを聴いて鬱になる人がいるのだろうか。



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それはともかく、計画したことがすべて思いどおりに運ぶとは限らない。それはよくわかっているつもりでも、やはり頓挫すると、跳んで布団に座したくなるとアホなことを連想するが、ま、気分を新たに次の機会を待てばよい。そんな気持ちになれる筆者は鬱には無縁のようだ。それで鬱の漢字を覚えようとしない。前に書いたことがあるが、夏目雅子が結婚相手に惚れた理由が、鬱の字を目の前で書かれたことに感心したからだ。なるほど、美女を瞬殺するには、ほとんどの人が知らないことを披露すればよいと見えるが、これは美女はだいたい馬鹿と相場が決まっているからでもある。筆者の目の前に現われた若い美女が筆者の知能を試すために、鬱の文字を書いてほしいと言ったとして、筆者は鬱の文字は真っ黒で鬱陶しいからこれまで覚えようとしなかったと述べても、きっと無知を晒すことを嫌っての言い逃れだと思われる。そして筆者は自分の年齢からして美女に遭遇出来る可能性はないはずで、今さら鬱の漢字を書けるようになっても仕方がないと考える。話を戻して、何事も抱え過ぎで、計画が首尾よく実現しないことは筆者にはままある。また実行しても、後は運に任せる必要のある場合もある。その一例が裏庭に植えた鶏頭だ。鉢植えと直植えにして成長を観察し続けたが、10月半ば以降は成長するものよりも枯れが目立って来た。それで気が進まないながら、このブログに書いておくと決めたからには、写真を撮るべきで、久しぶりに先月31日にその無残な様子をカメラに収めた。今日の最初の写真はわが家の裏庭、2枚目がガラクタ置き場にしている隣家の裏庭で、隣家のほうがかなりさびしい状態になっているが、一人前に赤くなっている葉もある。これ以上の成長は望めないはずで、今日で鶏頭の成長記録は最後とするが、来年も挑戦する。同じように植えても成長は見込めない可能性が大だが、種撒きの日をもっと早くすれば今年よりはましではないか。種子が本当に久留米鶏頭のものかどうかわからず、手元に半分残している種子を来年使うかどうかを迷っている。庭が広ければいくつかの店で種子を買って撒けばいいが、写真のようにわずかな鉢植えと直植えしか出来ない。日当たりはそれなりにわが家では最もいい場所を選んだが、それでも日照不足は確実だ。日陰の時間帯が多い場所で育てられた鶏頭はきっと鬱陶しかったであろう。植物はとにかく日差しが第一で、近所の庭先で見事な花を咲かせているのはみな終日陽が当たっている。散歩してその様子を見るとうらやましくなるが、日向で元気よく咲いている花を見るだけで心に陽が当たる。
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 日差しは人間で言えば恵まれた環境で、端的に言えば金だ。それで人間は金をたくさんほしがる理由がわかる。人間は植物と違って、日当たりが悪ければ日当たりのよいところへ移動出来るかと言えば、植物が日当たりのよいところに移動出来ないことと同じほどに不可能と言える。貧乏育ちでも大金持ちになる人がいるではないかと反論する人があるが、それはきわめて稀なことだ。そして、実は人間にとっての日当たりは金だけでは全くない。そう思わない限り、大多数の人は鬱にならずに生きては行けない。では日当たりのよくない人はどう生きるべきか。これは心に光を当てる様子を想像すればよい。つまり、鬱を抱えないことだが、それでも鬱はどこからともなく忍び寄って来る。そんな時こそ、繰り返し心に陽が差している様子を思い浮かべるべきだ。その心の光は昔から偉大な人が役割を担って来た。それで今も宗教があるが、神を信じたくない人はどうすればいいか。恋人を作ればいいようなものだが、万人にそれが可能ではないだろう。では片思いでもいい。筆者は今年は鶏頭の花に恋をして、それを自分で育てることにしたが、思いはほとんど通じなかった。それでも次がある。何度でも思いのとおりの花が咲くまで挑戦すればよい。とにかく鬱を思うな。思うならば日と月を足した「明」だ。その「明」が鶏頭の花の色にあると筆者は思っている。隣家の裏庭に植えた鶏頭は大半が枯れ、茎は白くなって地面に傾倒した。これは元気に生きているわずかなものは、ぎりぎりの条件下にあることを意味する。それは人間と同じかもしれない。現実に堪えられない人はやけになって自殺したり、人を殺したりするだろう。そういう人にぎりぎりの条件を生きている者を見習えと言ったところで理解されない可能性が大きいが、自分に閉じこもって腐らずに日差しを浴びろと言い続けるしかない。家も窓を開けて風を通さねば部屋の空気が淀み、鬱の雰囲気が満ち、やがて部屋は腐る。今読んでいる本にこんな文章がある。「眠りに入る前の、何かぼんやりとした、それでいて何かが渦巻いているような時に、わたしは不意に、〇〇の或る時の声音、或る時の表情、或る時の動作を思い出す。それは決って楽しい時の〇〇の声音、表情、動作だった。そして決ってわたしは、そんな時が一番悲しくて涙が目から盛り上がって来、目じりから頬を伝って耳の方へ流れてゆくのだ。何が悲しいのか。何やら哀れであったのだ。それは、日が経過するにつれて尚更に深まってゆく思いだった。」筆者はこの文章と全く同じ感情を抱き、同じ経験をしたことがある。そのことを思って鶏頭の花を育てようとしたが、筆者は太陽の光ではなかった。だが、鬱にはならない。そして来年は……。今日の3枚目の写真は左が31日に西国街道を歩いた時に見かけた鶏頭、右は昨日梅津で撮った。どちらも陽がよく当たる。
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by uuuzen | 2019-11-02 23:59 | ●新・嵐山だより


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