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●『106歳を生きる 篠田桃紅』
台骨がしっかりしているとみなされるには、まずアカデミックな教育をどれほど受けたかで判断されることが多い。たとえば京都の芸術畑で生きて行くには、京都市芸大を出ているといろいろと得をする。



●『106歳を生きる 篠田桃紅』_d0053294_00020973.jpg美大に教える場合や、団体展に出品する場合は特にその学歴がものを言う。どの世界にも学閥はあり、また芸術作品の甲乙は9割以上が審査員や目上の人の見方次第で決まる。京都造形大が京都市芸と紛らわしい名前に改めようとしていて、その決着をつけるために裁判沙汰になるようだが、学生の数で言えば圧倒的に造形大で、数が多ければ世間的には存在感を増し、新たな校名が認められればそのうち、京都の芸大と言えば今の造形大になるだろう。学生数が多いことは、ピラミッドで言えば裾野にいる学生を集めたと思われ、少数精鋭の京都市芸の圧倒的な存在感はこれからも変わらないが、一方で芸術の能力は学校の成績の優劣で決まらず、猿や象の描く出鱈目な絵も芸術と主張する者もいる。それはともかく、京都に限らず、美術系の大学はどこも女が男より多いだろう。8割はそうではないか。嫁入り道具のひとつと親がみなしているからでもあり、つまりは教養のひとつでも身につけていいところに嫁いでほしいとの思いだ。本人はそう思っているかどうかだが、せっかく入った美大なのに、作品をろくに作らずに遊んでいる学生ばかりで教えるのが嫌になって辞めた先生がいる。だいたいそんなものだろう。美大は遊びに行くところで、芸術はその延長に出来るものと思われている。ところが、大学を出ると生きて行くのに金を稼ぐ必要がある。そんなことは小学生でもわかるが、遊び過ぎて20歳を超えても気づかないか、その振りをして引き延ばしにする。自作がすぐに金になり、それで有名になりたければ、お笑いの世界に行ったほうが早いし、何十倍も稼げる。それでお笑い芸人が逆に出鱈目絵を描いて紙切れ1枚を10万円ほどの価格で売る。筆者ならただでもほしくないが、今は有名人病がかつてないほどに猛威を振るい、有名であれば屋台骨がしっかりしていると本人も勘違いする。そうしてTVは醜い連中の巣窟となって日夜際限なく下品さを垂れ流す。やり方次第でもいくらでも人の注目を集め、金を稼げる時代になり、そこにまた勘違い野郎が巧妙な詐欺を働くが、これは目立つことをやると注目を浴びるのであって、そこには人間が持つ自己顕示の欲の問題がある。芸術活動を自己顕示の欲ゆえと断定すると批判もあろうが、人間には我があって、それを大なり小なり張ることで生きている。日本は少しずつ男尊女卑の考えが廃れて来て、国が貧しくなったからでもあるが、夫婦共働きが増え、女性が自己表現の世界で活躍することの敷居がとても低くなって来た。その先駆者のひとりが今日取り上げる篠田桃紅だが、彼女を筆頭に今や女性の有名な前衛書道家は男性のそれよりも多いだろう。
 書の教室を最近開いた家内の妹も誘って3人で、今月10日に神戸御影の香雪美術館に見に行った。来場者はほとんど70代の高齢者で、満員と言ってよく、団体もあった。篠田桃紅はここ10数年でとても有名になった。現在106歳の現役で、長生きした者勝ちの最良の見本だ。男は女より短命で、106歳で自作を生む男の芸術家は今後も出ないだろう。来場者は、桃紅の高齢であるにもかかわらず、創作活動を続けている秘密を知ってそれにあやかりたいという思いなのかもしれないが、芸術活動を続けているので長生きなのか、体が頑健で芸術活動が続けられるのかと言えば、どちらも正しいとしてやはり後者の割合が大きいだろう。酒やたばこの不摂生が多いので早死にするとは言い切れず、桃紅は長命の血筋ではないか。彼女は結婚せず、子どもを産んでいないはずだが、それも長命の理由かもしれない。才能のないつまらない男の世話をするより、好きなことを気ままにやれる状態は、精神の健康にすこぶるよい。たぶん彼女はそう考えて生きて来た気がする。4、50代の彼女はとても美人だったが、ひやりとする冷たさがあって、あまり笑わない雰囲気がある。そういう女性は芸術を目指している人にたまにいる。筆者は近寄りたくないが、そういう冷たい女性に惚れる男は多いだろう。そして桃紅にもこれまで多くの男が言い寄り、彼女はそれなりに恋愛をたくさんして来たと思うが、そういう男の影が全く見えないところに、強靭な精神が感じられる。それは芸術至上主義で、自分の全人生を作品に込めるという考えだ。誰でもそれほど長年思い続けて活動すればそれなりに作品は形となって有名にもなるものだが、女がそうなるには、男との関係をどうするかという問題がある。結婚して子どもを得ると、その養育の生活に束縛されて制作時間が削られる。その点は男に比べてかなり不利だが、有利不利を考えずに、女は男と交われば子を孕むのはあたりまえで、そのあたりまえを受け入れるのもまたあたりまえで、実際の創作のための時間が少なくなる代わりに、男が得られないものを得ると思えばいいだけのことではないか。それに桃紅の創作の時間はほとんど一瞬で、筆を執るまでの思索時間が圧倒的に長いはずだ。ならば、子育てくらいはいくらでも出来たであろう。ただし、そこに我の問題がある。子どもをもうけずに芸術家の道一本に邁進したいと考える女性は、女性性を捨てている点で男と言ってよく、桃紅は筆者には男に見える。本人もおそらく恰好よい男以上に自分の生き方を男らしいと思っているだろう。それは悪いことではない。そういう生き方が出来る時代になったことを一方で示し、自己表現したい多くの若い女性の鑑になっている。それに、家庭に収まらないそういう芸術家は、冴えない男を相手にせず、また近寄っても来ないはずで、平凡な主婦とは違って男に不自由はしない。
 筆者が本展を見たいと思った最大の理由は、去年だったか、大阪中之島の国立国際美術館でアレシンスキーの展覧会を見た時、一画で上映されていた白黒の記録映像で桃紅の創作する場面が印象的であったからだ。アレシンスキーは55年に来日し、その映像を撮った。京都の寺町商店街や筆を売る店、そして井上有一も紹介されたと思うが、前衛書道家の森田子龍や江口草玄、それに桃紅が紹介された。子龍が中心となった墨象は50年代に入って国際的に知られ、アレシンスキーも多くのことを学んだ。そこには日本の染色技法も含まれるが、それを言えば桃紅はローケツ染めで表現していた時期がある。ローケツ染めは5,60年代に大いに流行った。それは墨の代わりに蝋を用いるもので、白い紙に黒い文字や形ではなく、黒っぽい布地に文字や形を白く染め抜くことを意図する場合に役立つ技法だ。だが、桃紅の作品は染色のそうした防染技法はもどかしかったようで、筆で直接黒や赤で書くという方向に戻る。それはローケツを邪道とみなしたも同然だ。話を戻すと、アレシンスキーが撮った映像で桃紅はキモノ姿で顔もよく映った。紙に穂先のかなり長い細筆で、柳の葉のような墨の縦線を風に吹かれるように紙にさらりさらりと10本ほど引き重ねる場面があって、その身振りに桃紅の書的絵画芸術の真髄の秘密があますところなく表現されていると感じた。というのは、筆者は書を舞踊と思っているからだ。文字は筆順が決まっているが、線の太さや線と線の関係をどう書くかは作家の自由だ。また作品が仕上がって行く過程の動きはいわば全身を使ってのことであり、舞踊と変わらない。そして桃紅の動作はしなやかでとても女性特有のエロティックさに溢れていて、筆者は身震いした。10本ほどの線を5、6秒で引くのだが、その手先の往復運動は手品師かマッサージ師のように見えた。桃紅の作品はそのようにごく短時間で仕上がる。長くても5分はまずかからない。またそれほど要すれば作品に緊張感がなくなるだろう。武士の真剣勝負と同じで、ほとんど一瞬で作品が完成する。またパフォーマンスによって有名になるのに手っ取り早いだけに、誰でも模倣しやすい。今は前衛書道家花盛りで有名な若手がたくさんいるが、筆者が感心する者はひとりもいない。それどころか、みな醜悪に見える。文字本来の美しさを卑しく捻じ曲げ、判じ絵のように造形して悦に入っているのが滑稽で、それは絵画としても自立しない中途半端なものだ。では桃紅の書はどうか。彼女は幼少時に父に手ほどきを受けた後は独学で、また43歳で渡米して抽象表現主義絵画に触発されたような前衛的な造形に挑んだ。これは森田子龍の墨象の影響であろう。今は長生きした桃紅だけが残った感があるが、50年代は子龍を初め、墨象の作家は何人もいた。
 子龍は定期雑誌を出版し、それらは号によっては現在とても高価な貴重書になっているが、写真主体であるから海外の造形家は反応しやすかった。そして彼の墨象はアレシンスキーなどフランスの前衛芸術家が着目し、ロジェ・カイヨワは子龍と豪華な共著まで出すことになるが、長生きしている桃紅の名前がますます知られ、子龍は作品展も開催されない。一方、絵画に詳しかったカイヨワは最晩年は石の表面や内部の自然が作った造形に心を奪われ、逆に人間の芸術はもうよいと思ったふしがある。桃紅に言わせると、それは高齢の男が迷い込む厭世観によるもので、アレシンスキーが撮った映像から60年経っても桃紅は同じ飄々とした身軽さで筆を走らせているのであろう。桃紅の姿からは柳腰という言葉を思い浮かべる。それは映像にあった彼女の筆の走らせ方が風に揺れる柳のようであったからで、彼女は時代のどのような波に対しても身をしやなかに翻して来たのであろう。これは男の言い寄りも含み、恋愛で身を崩すことなく、書における流行にも顔をまともに向けなかった。また墨象の他の作家の図太い筆跡とは違って、概して桃紅の作品は前述した細筆による流麗な線から想像出来るように、繊細なものが目立つ。もちろん幅20センチ近い刷毛を用いて線と言うより面で表現した作もあるが、それらは筆者には李禹煥の太い縦線を画面いっぱいに等間隔に密に引く絵画にいささか影響を与えたように見えた。アメリカに桃紅がわたったのは、日本の書道界の閉鎖性に馴染めなかったことと、ニューヨークで興った抽象表現主義に触発されたからであろう。似たような画面は墨だけで、またほとんど一瞬に描けると思ったのではないか。その一瞬性は表現主義に内在する激しさに通じていて、アクション・ペインティングの純粋性は書に原点があるとも言える。つまり、アメリカの抽象表現主義と日本の前衛書道は相性がよく、現在70代半ばの日本の抽象画家たちはその双方に憧れがある場合が多いのではないか。それに、精神性は何と言っても仏教のある日本が得意という意識もある。白髪一雄がそのいい例だ。本展には映画「私の前に道はなかった」の上映があったことをチラシで知ったが、桃紅は独学であり、また墨象のグループに参加せず、流派を形成せずにこれまで制作して来たので、彼女の書のような絵画をどう分類すればいいか戸惑う評論家が多いだろう。独学で流派に属さないとなれば、日本では有名にはなれない。そこを彼女は美貌と長命と文章力といった、作品とはほとんど無関係のことで有名になって来たように見える。そう言われるのは彼女にすれば心外で、作品こそが生きて来た証のはずだが、本展に並んだ70点ほどから変遷ぶりがよくわかったとは思えず、多様性が見えただけで、彼女にとって年齢はほとんど意味を持っていないことが感じられた。つまり、若い頃と近年の作の質が変わらない。
 とはいえ、やはり文字を書く書道から出発したので、読める文字を連ねた作品がまずあり、また文字の形の面白さから着想を得た作品や文字の残滓を残す作品、そしてすっかり文字から解放された線の構成作品といったように、書を基本とした、つまり線を主とした抽象作品が彼女が目指して来たものだ。色については書から出発したからか、かなり禁欲的で、墨や胡粉を主に、ごくごくわずかに赤やその他の色を使う。色よりも筆の動きによる、また墨の濃淡による、かすれや重なりを楽しんでいて、そこにはやはり書から学んだ美学がある。筆者が注目したのは、彼女の年齢から言えば当然だが、和歌への関心があることで、百人一首から壬生忠見の「恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめかし」を書いた作があった。ほかにも百人一首から選んでいるとはいえ、この歌を書いたことに恋愛に無関心ではない様子が見えるようで面白い。そして彼女が愛した男性はどういう人物がふさわしいかを筆者は想像しようとしながら、それが皆目思い浮かばない。恋愛は彼女の創作の原動力にならなかったのであろうか。106歳になっても若い頃の恋心を鮮明に覚えているだろう。そうであるから、彼女の近年の作品に枯淡さのようなものが感じられないのではないか。これは老いても枯れていないと言うより、40代で恋を吹っ切ったと言うほうがいいような気がする。それは女性として重要なものを捨てたことであって、またそのことによって彼女だけの芸術が成就し、長命も得た。そういう女性がごくごくわずかにいて当然だ。そして彼女の場合、女性として生きることの犠牲を伴なったものであるだけに筆者にはどこか痛々しいものに見える。その考えが全くの男尊女卑と糾弾されることを知っているが、彼女の刀で斬りつけた痕跡のような作品群を見ながら、大田垣蓮月の凛として丸いそのきわめて細い筆跡や、彼女が鉄斎の才能を育てたことを思い出していた。蓮月の孤独さは桃紅のそれとは大いに違うように感じる。蓮月のそれは温かさが強く混じる。桃紅は男には負けない、あるいは男を恨むような冷たさが濃厚で、先にも書いたように、筆者は深入りしたいとは思わない。男が女性に求めるものはさまざまで、そうであるので世の中はうまく回っている。筆者が関心を抱く、簡単に言えば好きになる女性は、守ってもらいたい母的なものと守ってやるべきか弱いものとが同居している場合で、実のところ、ふたつは同じことだ。守りながら守られるという関係は支え合うことだ。これが夫婦の理想だ。あるいは結婚しなくてもそういう男女の関係はいくらでも存在し得る。蓮月も桃紅もそうであったろうが、どちらも作品に男の影を込めることを潔しとしなかった。そこに屋台骨を支える屈強な精神があり、またそれが高い芸術性を保証する。
by uuuzen | 2019-10-13 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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