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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『集めた!日本の前衛―山村徳太郎の顔 山村コレクション展』
」の一番目の意味は「本来の話や考えなどの内容がいつのまにか変わる」とある。物事が伝わって行く間にそういうことはよく生じるが、言葉の訛りは事情が違うだろう。



●『集めた!日本の前衛―山村徳太郎の顔 山村コレクション展』_d0053294_14550762.jpgその土地に人が住み始めた頃の言葉がどうであったかを調べなければわからないし、またそのことは不可能なはずで、地域ごとに言葉の発音が違うことはその土地固有の何かが関係している可能性があるのではないか。それはさておき、東京の言葉が標準語とされる現在、筆者が話す大阪弁が東京の人にどう響くのかを筆者は気にしたことはない。訛っていると思われるとして、それは東京から言葉が伝わって来て独特の変化を遂げたことになるが、実際は上方のほうがはるかに歴史は長く、訛っているのであれば東京だ。となると、どの言葉も訛っているという意見が出そうだが、歴史と文化の蓄積から言えば東京ないし関東は日本を代表するものではなく、地方と断言出来る。とはいえ、文化を牽引するのはたくさん金を持っている人がそれに関心を示す必要があり、東京は圧倒的に新しい文化を作る立場にある。簡単に言えば芸術の庇護者や享受する人が多いということだが、上方に比して歴史が浅い分、新しい文化を繁栄させようとする人が多いだろう。ヨーロッパに対するアメリカがそうで、世界一の金持ち国になった時のアメリカは、ヨーロッパにはない、またヨーロッパが競ってもかなわない芸術を生み出そうとした。それは生活様式の変化が一方であったからでもあるが、その生活様式が限りなくアメリカ的になった日本では、文化もアメリカ万歳主義となって、江戸時代の古い掛軸は飾る部屋もなく、ほとんど誰も見向きもしないものとなった。これは今に始まったことではない。狩野芳崖が食べるのに苦労した明治でも同じことで、古臭いと思われるものをさっさと捨て去るのが日本の伝統文化となっている。それで欧米人がその価値に気づいた後、逆輸入の形でようやく思いを改めようとするが、これは自信のなさに由来することだ。日本はバブル期に一瞬は大金持ち国となって自信を得たかのようであったが、現状はまた自信を喪失しつつあり、具体的な将来を描けない状態でいる。そのため、まだまだ欧米崇拝は続くはずだが、古い文化を大切にしない国がどれほど外国から敬われるかと言えば、まあ無理な話に思う。渡月橋上流にあった時雨殿という小倉百人一首に因む立派な施設は、入館者の少なさのあまり、嵯峨嵐山文華館と名称を変えて美術館になったが、それほどに和歌が今や時代遅れのものとなり、若い世代の関心事ではなくなっている。それよりも絵画だという思いがあればまだましだが、若い人で日本の絵画に関心を抱くのは変人と呼ばれるほどに少ないのではないか。非正規雇用が多くなった経済事情もあるが、何に対して最も関心があるかとなると、これは使えるお金の多寡にかかわらず、芸術鑑賞と言う人はいつの時代も少数派だろう。
●『集めた!日本の前衛―山村徳太郎の顔 山村コレクション展』_d0053294_14555088.jpg それはもちろん企業家もで、芸術に理解があり、芸術家への援助に熱心な人はほとんどいない。いてもたいていは高名な画家の絵を買う。銀行に預金しているよりかは損をしないか、場合によっては高く売れると踏むからでもある。現存の画家に惚れ込んで作品を収集する人もあるが、家に飾れないほどの大きな作品を百点以上もとなると、傍目にはその憑りつかれた収集熱は狂気に見えるだろう。購入に費やす時間と経済的な問題を考えると、本業がまともに出来るのかという疑問が湧くからでもある。だが、男はだいたい女よりも収集癖がある。大人になればそれがより高価で手の届きにくいものになりがちで、筆者もそのようなところがある。ただし、筆者は徹底的という一歩も二歩も手前で満足し、また別の対象に目を向ける。飽きるからかもしれないが、収集には絶対に切りがないからで、何事も八分目に留めておくに限る。それに、熱を入れ上げる対象をがらりと変えることで全く新しい人生に挑んでいる気になれる。その対象が女である男性は多いだろう。大金がそれなりに自由になる社長なら、妻以外の女の二、三人はいても甲斐性と世間は見るが、金さえ出せばたいていどんな若い女でもやって来るというのでは、女遊びのどこが面白いのか筆者はわからない。こうして書いていて筆者が念頭に置いているのは、事件が未解決になっている和歌山の例の事件だ。結局は女に奉仕して死んだと言ってよく、男の性の悲しさを伝える。筆者のような年齢になると、女遊びは女を援助して奉仕している気分になることのほうが多いのではないか。それに、世間に対して隠し立てしようとするストレスに晒され、どうせ大金を使って遊ぶならもっと創造力のあることをするに限ると思う。最近ソフトバンクに会社を売った若い社長は高額な絵画を集めることを趣味にしているが、それは女を囲うことの何百倍もの金額を必要とし、挑戦するわくわく感が何よりも大きいのだろう。小林秀雄は骨董趣味が女遊びより高尚とは言えないと書いたが、女を喜ばせるか骨董屋を喜ばせるかの違いで、どっちにしても金は回り、それなりに世間に奉仕することには変わりがない。だが、女遊びは男女ふたりの間で充足し、骨董趣味は買った品物を他者に自慢することもあって、人間関係はより広がりがある。その広がりを言えば、現存の芸術家の作品を買って支援することは骨董趣味よりも大きい。前者は生きている作家の作品を所望し、後者は物故者の作品を買い集めるからだ。儲けた金を何に使うかで人間の大きさが計られるとして、それは人間関係のより大きな広がりを作った人以外にはなく、そしてその広がりが未来にわたってどれだけ新たな人間が巻き込まれるか想像がつかないということが理想だ。今日取り上げる『山村コレクション展』はその見事な一例だ。同展を先月16日、昨日書いた『灘本唯人展』の後に兵庫県立美術館で見た。
●『集めた!日本の前衛―山村徳太郎の顔 山村コレクション展』_d0053294_14563654.jpg
 山村コレクションは昔から有名で、大半の作品を筆者はこれまで見たことがある。今回はそれが勢揃いし、広大な企画展示室のみでは足らず、渡り廊下でつながるギャラリー棟の一部も使用された。コレクターの山村徳太郎は西宮にある硝子会社の社長で、1986年に還暦の年齢で死んだ。もう20年寿命があれば、コレクションはどのように広がったかという興味が湧くが、バブル期以降の目ぼしい作家となると誰が該当し、また山村が誰のどんな作品に関心を抱いたかは筆者には想像出来ない。バブル期以降、現在大御所になっている現代芸術家に対して筆者が無知であるからだ。一方、大御所的存在は、山村のような収集家が作品を購入し、公的美術館の展示に積極的に貸与することが目立って行なわれない限り、出現しにくいが、たとえば森村昌泰は山村以降に有名になった作家だ。彼には山村のようなコレクターがいるのかどうか、いたとしてその恩恵を大きく蒙っているかどうかだが、そういう話は聞かない。それは作家がコンクールで受賞を重ね、自分でプロデュースして製作費を充分賄えるだけの作品の売買が現代美術の世界で活発化して来たからとも言えるが、森村がバブル期の最初期に注目されたのは、山村が築いていたコレクションの延長上に位置する新人作家が暗に求められていたことも理由だろう。その意味で山村の死はちょうど時代を画し、山村以前と以後に日本の現代美術が分けられるような気がする。そして、森村の作品が、山村が集めた作品とどう関係しているのかは誰かがもう書いていると思うが、もう少し年数が経ち、さまざまな意見が積み上げられてから明白に見えて来ることがあるだろう。それはさておいて、山村が最初に購入したのは1951年、西宮在住の津高和一の抽象画だ。これは地元画家でしかも津高が有名になり始めた頃だ。以後の山村の収集態度もこれに応じて行く。将来有名になって行くと思える画家の作品を主に買うことは、比較的安いという理由もあったかもしれないが、山村が注目したのはどれも抽象画で、普通の美術ファンは金を出してまで買おうとはしない。そのため、作品を買われた作家は励みになったはずで、そして作家の間で山村の名前は知れわたって行ったに違いない。そうなるとコレクションはいよいよ充実して来る。欠けていると思えるものを買い求め、そのかたわら、新進の作家に注目する。今回の展示で後者としては、一部屋の壁面と床全部を占めるほどの縦5メートル、横9メートルの作品「THE START」があった。出品リストによると『80年代ニュー・ウェイブ~アブストラクトと人間くさい前衛のはざ間』という章に展示され、その名のとおり、いかにも時代性を感じさせた。それを言えばどの作品もそうだが、山村コレクションはひとつの枠としての強固な一体感が強みで、個々の作品もより存在感を持っているように感じられる。
●『集めた!日本の前衛―山村徳太郎の顔 山村コレクション展』_d0053294_14570931.jpg そのことをもう少し言えば、「訛り」を思う。山村コレクションがなくてもそこに含まれる作家の作品は存在したが、山村が買い集めていることを知る作家たちが一種の「今をともに生きる」という同志観を抱いたはずで、作家と収集家の相互作用は作品に影響を及ぼすと筆者は思う。それはさておき、山村が東京に住んでいたのであれば、コレクションの内容は幾分変わったであろう。収集家がどこに住むかで収集の対象が変わることは、収集は「訛り」そのものということだ。逆に言えば訛りのない収集はあり得ない。これは、山村コレクションは東京に対しての地方という訛りを体現するものではないということだ。つまり、どのコレクションも収集家の好みを反映し、「正道」と呼べる基準はあり得ない。それがあるとすれば個々の人の思いの中に形成されるもので、またそこには常に批判精神が宿っていて、他者のコレクションの「訛り」具合をそのまま楽しみながら、「ある作が欠けている、この作が追加されてほしい」などと思う。先に森村のことを書いたのもそういう理由によるが、まとまったコレクションからは、そのコレクション自体の世界つまり収集家と収集された作家たちの共鳴の世界と、そのコレクションに接して存在する世界の両方が見えている。もっとも、収集家の一生は限られているので、念願しながらも入手出来なかった画家の作品はあろうし、若い頃に買ったが関心をかなり失っている作品も混じるかもしれない。そのため、コレクションを厳格な枠として見ることは避けたほうがよいという意識を持っているべきだが、それは「訛り」具合を楽しむことでもあって、その「訛り」が山村コレクションが1950年代以降80年代までの日本の現代美術においてどの程度「訛っている」のか、それとも「正道寄り」なのかを考えさせる楽しみもはらんでいる。これは山村が女を囲うレヴェルの話ではなく、今後も多くの人が考えて行くひとつの基盤を形成したことであって、金持ちの男のひとつの趣味としては空前絶後の意義あることと言ってよい。こういうコレクターがどの芸術の分野にも複数いれば、日本の芸術に限らず、人心ももう少しましなものになるはずだが、これも逆に言えば、山村のような人がいただけでも救いで、戦後から80年代に日本の現代美術は存在感を強めた。そのことを強化するのが本展だが、これは展示面積が途方もなく広い兵庫県立美術館あってのことだ。また同館は阪神大震災があって造られたから、語弊はあるが、何が幸いするかわからない。筆者は同館のあまりの大きさに批判的だが、本展を見て、巨大な美術館にはそれ相応の意義があることを思った。本展を前後二期に分けるのであれば、今は横尾忠則美術館になっている旧近代美術館でもよかったが、一度に全貌を見る機会は山村に対するはなむけで、また一括展示によってより全貌がよくわかった。
●『集めた!日本の前衛―山村徳太郎の顔 山村コレクション展』_d0053294_14574502.jpg
 35年の収集歴はほとんど一生を費やしたと言ってよいが、山村は作品を一堂に展示して眺める機会はなく、写真に撮ってそれをファイルに保存していた。そのファイルが本展で展示されたが、写真はサービス・サイズで、少し時代焼けしていた。購入した作品は会社の倉庫に順次収めていたようだが、収集家の悩みは保管場所だ。それに限りがあるので購入を断念したり、手放したりもする。その点でも山村は桁外れな人物で、家族はどう思っていたのかわからないが、手放しで喜んでいたのではないだろう。だが、そういういわば傍迷惑があって文化が育まれる。その傍迷惑を、迷惑をかけられた人が笑えるほどに収集家は情熱的で真摯であらねばならない。それは趣味を越えてその人の人生そのものだ。山村は社長業を放り出してとんでもないと言われるかもしれないが、ネットによれば会社はケータイやパソコンの登場によって硝子の新しい利用法を研究によって生み出し、経営は続いている。それは山村が「具体」の吉原治良の言葉のように、誰もやったことのないことをすべしという開拓者精神があってのことで、山村は現代美術を愛する数寄者だけではなく、現代美術家たちの思いに同調し、それを本業に発揮しようとの思いがあった。ここは東洋陶磁に魅せられた安宅産業の社長とは違うところかもしれないが、いずれにしても収集品に収集家の名前が冠せられているのは収集家冥利に尽きる。ところで、絵画は普段のくつろぎの部屋に飾って楽しむのが一般的で、TVで芸能人の部屋が映る時、背後の壁にアンディ・ウォーホルのマリリン・モンローの顔のシルクスクリーン版画が飾られていることがよくある。それは彼らにとっての地位を誇示するひとつの象徴で、ローレックスの腕時計と同じようなものだ。だが、山村は複数製作の版画には関心を示さす、1点ものの絵画や彫刻を集めた。しかも来客に居間で見せるものではなく、自分でも実物を取り出して見ることはめったになかったようだ。これは収集家にありがちで、買ってしまうと次に何を買うかが楽しみで、買った作品を取り出して眺めることはめったにない。とはいえ、買ったものははっきりと覚えている。では何のために収集するかだが、前言を繰り返すことになるが、自己顕示欲があるとしても、そこには誰もやっていないことをやろうという賭けの思いが混じる。ウォーホルのマリリン程度で自惚れる連中には見向きもせず、郷土の画家を中心とした、これからどう評価されるかわからない、海のものとも山のものともわからない時代最先端の絵画や立体作品の収集は、現代美術家と同じく、人生を丸ごと賭けたあっぱれさで、「山村コレクション」という名前は、収集した作品の作家の名前とともに想起されることがあるほどに有名になった。これは女遊びや骨董趣味ではとうてい無理な話で、金持ち男の収集欲望としてどういう行為が一番恰好いいかの見本と言える。
 出品リストからまとめる。1『社長業の傍らで―さまざまな出会い 1950~1970年代』はまず「西宮で」として津高和一、須田剋太、吉原治良、「東京で」では斎藤重義、山口長男、オノサト・トシノブ、宇佐美圭司、白髪一雄、元永定正の作品が買われたが、白髪や元永は兵庫県の画家で、山村は後にも購入する。次に「パリで」では菅井汲、今井俊満、そして「元永街道」として元永の作品が6点も並ぶ。筆者も当時入手したが、元永は山村の会社から依頼されたのか、ガラス製品のリサイクル運動を啓発する極ミニ絵本を作っていて、山村と元永の親密ぶりがうかがえる。そう言えば元永はデザイナーはデザインすれば必ず収入があるが、現代美術家は作品を作ってもそれが買われなければ収入がないことを書いていて、山村の購入価格は公表されていないが、極貧に陥らずに済む程度の価格ではあったはずだ。2『転機 1970年代末~1980年代初頭』は三つの章に分けられた。「新時代の予感―絵画」では荒川修作、関根義夫、篠原有司男など、「新時代の予感―彫刻」では植木茂、八木一夫、清水九兵衛、堀内正和、山口義弘、荒木高子、「欧州での「具体」再発見」は「具体」の作家が並び、堂本尚郎、田中敦子、島本昭三、村上三郎、正延正俊、白髪富士子などが含まれた。3『更新は続く―中断の間際まで 1983~1985年』は四つの章立てで、「充実する具体」では白髪、島本、村上、山崎つる子、上前智祐、鷲見康夫、前川強、松谷武判の作品が展示されたが、このうちのひとりに神戸港でクレーン操作に従事して生活の糧を稼ぎながら描いた男性がいて、売れない現代絵画に没頭して自己表現したその行動力に感心すると同時に、「具体」との出会いが山村の収集の中心を成すことの「訛り」具合の晴れやかさを思う。「具体」が兵庫から生まれなければ日本の高度成長期の美術は痩せ細ったものになっていたであろう。さて、続いて「再制作プロジェクト」では「具体」の作家以外に高松次郎や赤瀬川原平などが取り上げられ、「80年代のニュー・ウェイブ……」では高松や篠原、黒田アキ、中辻悦子、吉村益信、榎倉康二などで、最後に李禹煥の名前が目を引いた。最後は「突然の中断」として、ふたりの作品があった。以上の各章にはだぶっている作家が混じるが、それは山村の好みを示すだろう。白髪富士子は一雄の妻、中辻は元永の妻で、前者の作品はあまり見る機会がないと思う。「具体」の創始者の吉原の代表作は、大きなキャンバスに円を描いた油彩画としてよいが、それは足で即興的に描く白髪の絵画とともに、禅の精神に基づくと言ってよい。現代美術は前衛として過去とは縁が切れているように思われがちだが、過去と縁のない人間は存在しない。遺伝子というものがあって、誰でもみな太古につながっている。「具体」が海外でもてはやされたのは、きわめて日本的であるからだ。
by uuuzen | 2019-10-09 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
●『イラストレーター・灘本唯人... >> << ●『没後80年 村上華岳』

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