尻すぼみとは反対に演奏メンバーはひとりからふたり、そして3人となった後、最後に登場したバンドは5人編成で、狭い畳部屋での寿司詰め状態の演奏となった。普通のバンドで見る太鼓やシンバルを揃えるドラマーでは陣取る場所がとてもないが、ドラムスに関しては大がかりな装置を必要としない音楽志向であるのだろう。
tatamⅰという変わった名前の男ばかりのバンドで、全員30代後半だと思う。最初に演奏したkamiyaさんと同じく静岡からやって来たが、今回一緒にツアーしているのかどうかは知らない。また今回はめったにない関西ツアーの、順に各地を東進した果てでの京都での演奏で、翌日は確か富山に行くと聞いた。移動は車だと思うが、各自仕事のつごうを合わせてのことで、演奏が何より好きでなければ実現は困難だ。演奏後に金森幹夫さんの声かけがあって、メンバーの2,3人と少し話が出来たが、静岡は横に長い県で、各自は県内にばらばらに住んでいるようであった。作詞作曲はリード・ヴォーカリスト(以下、リーダー)がやっていて、曲を見て他の4人がどう演奏するかを相談する。これはどのバンドでもそうだろう。バンドの場合、誰かがリーダー格を務めなければ仕事はまとまらず、またはかどらない。アンコールの1曲を含めて30数分の演奏で7曲演奏したが、今回は7年ぶりのセカンド・アルバムの発売に応じたツアーで、また同アルバムの曲が中心に演奏された。6曲目であったか、イントロで演奏し直した。そして1分ほど演奏した後にまたリーダーがドラマーに向かって演奏が早いと注意し、ふたたび演奏をやり直した。わずかに演奏は遅くなったが、それほどの差でも作曲者の立場からは気になるのだろう。それに歌はかなりの高音を発する曲があって、演奏速度が速いと歌いにくい。そこは声量の限界を露呈してもいそうだが、最後の曲で、疲れもあってドラマーもリーダーも気が急いていたか。また演奏をやり直すことはそれだけ真剣であり、またメンバー同士の仲のよさも示している。実際演奏が終わった後の彼らのくつろぎは何でも言い合える仲間を想像させた。体格がよく、無精髭も少し生えているようなリーダーの風貌は筆者に6、70年代のバンカラな学生たちを思わせた。古い家の畳部屋で、漫画雑誌の「ガロ」がびっしりと詰まった本棚を前にすればそう感じるのは無理もないが、それらを除いても筆者には彼らがひたむきに見え、またその印象がどこか懐かしく思えた。いつの時代でも学生あるいは30代は同じ雰囲気かと言えば、これは男女で異なる問題でもあるが、同じ時代は二度とやって来ないので、6,70年代のバンカラは今はもう存在出来ないと思うが、たとえばファッションは6,70年代のものを一部に愛好する若者がいて、そうなれば当時のバンカラに染まる者もいるだろう。

ともかく、彼らの見栄えの優しさや純朴ぶりのたたずまいは、演奏する音楽によく釣り合っていた。それは田舎っぽいと言うのではない。都会の暗い部分に染まっていない健康さがあって、それがとても珍しい。彼らの音楽の最大の特徴は、リーダーが小さなキーボードで奏でる3つ4つの音から成るリフ的なメロディだ。これがどの曲にもあって、またどれも同じ音色であるため、どの曲も似たように聞こえる。それが欠点と言うのは無茶で、むしろ曲の真髄を表わしている。その音色は口笛を連想させる。たとえば
パット・メセニーの「TELL IT ALL」のような疾走するような曲に似合うが、爽やかさやかわいらしさ、純粋さを感じさせ、またそれを意図した嫌味さがなく、正々堂々とした輝きがある。その口笛音はピアノや他の音色では駄目だが、ファースト・アルバムから同じ音色であったのかどうかはわからない。音楽性を最小限に煮詰めて行くとその数音のキーボードの音に収斂するのであれば、その数音の伴奏からリーダーは想を膨らませて行くのだろう。その数音の口笛的な音の連なりにあまり変化がないが、リーダーの歌とその口笛音のみでは彼らの持ち味は全く出ないはずで、リーダーの声質には他の4人の伴奏が欠かせない。筆者は1曲目から右端のアコースティック・ギターの伴奏が、リーダーが奏でる口笛音にうまく絡み、また抑えているのを聴き、芳醇な香りを嗅ぐ気分になった。女性シンガーソングライターで言えばニエリエビタさんを思い出させた曲があったが、tatamiは男性で、またリーダーが気取らない風貌であるため、そこに一種の意外性があり、それだけに印象深い。どの曲も題名は語られなかったと思うが、声は大きくてよく通り、歌詞は聴き取りやすかった。ほとんどは愛や恋の言葉を使わないラヴ・ソングであろう。暗さや悲しみに目を向けず、前向きに進もうという態度で、高い声の部分はポール・マッカートニーを連想させた。明るさは静岡在住ゆえかと思わないでもないが、tatamiというバンド名はまだ畳が普通にあった昭和半ばまでの明るく、よき時代に憧れがあるためかもしれない。2曲目の口笛音は最初の曲と同じ3音が順序を変えただけで、4曲目は音が少し増え、また演奏のなかなかの圧巻ぶりに思わず落涙しそうになった瞬間があった。その曲に感動したのか、曲から無意識に連想した何かに心が動いたのかは忘れたが、結局は同じことだ。ある曲に感動するとは、その曲がきっかけとなって心の中の何かが動くことだ。それを起こすのは人の態度や言葉、あるいは音楽や絵画、詩といった芸術で、その意味でtatamiの曲には紛れなく芸術性がある。それは若い彼らがもっと老いた時にどう変化するのかしないのかという脆くてはかない感情がない混ぜになっているもので、それだけに感動を与えやすいのかもしれない。

それは60半ばを超えている筆者が卑俗さにすっかり浸かっていることを側面で意味しているかもしれず、芸術における真実味とは何かを改めて考えさせる。金森さんは筆者がザッパについての本を書いたことを彼らに伝えた。彼らの音楽とザッパのそれとはまるで共通点がないが、聴き耳を立てると彼らなりの正直で精いっぱいの表現があることに気づく。ところで、筆者がマス・メディアで接する若者が起こす事件はろくでもないものばかりで、またいつの時代の高齢者でも抱く「今の若者は……」という否定観に幾分か染まっていることを自覚しているが、それだけにtatamiの演奏に接し、彼らと話して、『こういう若者がいるのか』という安堵を覚える。ただし、一方で筆者は彼らの無抵抗に見える雰囲気に物足りなさも感じた。70年代半ばまでのシンガーソングライターは社会の矛盾を作詞に託したか、あるいはそういう政治的自己主張に言葉で反旗を翻したが、tatamiはその部分が抜け落ちて雰囲気だけが6、70年代というのは、何でも選べる時代におけるひとつのファッションかと思わないでもない。だが、彼らにはそういう軽い気持ちによる遊びは感じられず、好きな音楽をやっているという充実感に溢れている。それはいい意味でもそうでない意味でも無邪気であって、彼らは音楽とは別の収入のための仕事にそれなりに満足しているのだろう。あるいは諦めが隠れているかもしれない。6,70年代の若者も無力感を抱いていたが、その後はそれが拡大化し、何かに抵抗する者は無差別殺人に走るか、逆に引きこもることが目立っている。その両極端に挟まれて大部分の若者が自己の幸福を追求していて、ライヴハウスで演奏する者は自作曲を披露することがなければ生きている実感を見出すことが困難なのかもしれない。彼らに社会を糾弾する勇ましさを求めるのは無理とは思わない。小林万里子がいい例で、彼女の笑いを伴なった辛辣な風刺曲を時に筆者は聴きたくなる。音楽性が全然違うtatamiに彼女のような態度を求めるのは無理という声が聞こえそうだが、音楽性が違っても抵抗の思いは込められる。抵抗する必要を感じないと今の若者が言うのであれば、それは考えが浅い。自己表現は個性の表出だ。それは何かに抵抗することだ。他者であったり、自分の古い作品であったり、とにかく何かに抵抗しなければ人に注目される作品は生まれない。社会に抵抗することは大勢に混じってデモをすることに限らない。いつの時代も社会には矛盾が溢れている。ノーベル賞をもらったボブ・ディランは言葉と音楽で社会の諸相を表現している。彼を目指せと言いたいのではないが、筆者の年齢になると歌詞の深みに心が動くことを望む。その一方で井上円了の詩「静裏青山好 吟辺白日長」を思い出しながら、「吟辺」はtatamiのリーダーが奏でる口笛音だなと感じ入っている。