乾燥機として、トイレに設置される手に風を送る機器は使えるだろうか。タオルは持って出かけたが、靴下の替えはなく、ずぶ濡れになった靴下を脱いでどこかで乾かしたい。

そのためには大きなスーパーが利用出来そうだが、阪急の長岡京市駅からは見えていたイズミヤは、地図によれば喫茶すずかけが面する西国街道からはかなり外れているので、そこまで歩いてすずかけに戻ると、足元はまたひどく濡れてしまう。それで、すずかけから近いスーパーを探す必要がある。そう思って調子八角から北東に伸びる街道をすずかけ目指してとにかく進んだ。大山崎に比べて人口が多く、街並みが新しい。また初めての道なので退屈しない。ところで、調子八角は初めて訪れたが、その300メートルほど手前の友岡3丁目にある店に、2年前の冬、嵐山から自転車で往復したことがある。その大半の道のりは物集女街道と、また旧西国街道ではなくそれに平行する車の往来の激しい67号線の新西国街道で、片道1時間ほど要したが、予想外に近い気がした。自転車でその店まで行く気になったのは、電車を使ってもかなり歩く必要があったことと、西国街道に関心があったからだ。着いた店からは京都縦貫道の高架が遠くに見えていたのが印象的で、今回その真下が調子八角であることを知った。もっとも、2年前の冬もその高架の向こうに大山崎駅があることを知っていて、西国街道を出来れば自転車ではなく、歩いて大山崎駅まで行きたいと思った。先月28日はそれを逆方向にたどることになったが、調子八角からは67号線ではなく旧西国街道を歩いたので、前述の店の前を通らなかった。それが却ってよかった。というのは67号線は楽しくないからだ。店はそれなりに点在するが、殺風景なのだ。そこを大雨の中を歩くのは気が滅入る。そう思っていたのに、旧西国街道はまるで雰囲気が違い、道幅が狭く、情緒があった。今日の最初の写真は調子八角から200メートルほどで、遠くの道の両脇に高い木があるのが見える。その地点で撮ったのが2枚目の写真だ。右手の江戸時代さながらの建物は、歴史的に重要とされる「中野家住宅」で、道路際にその説明板があった。長岡京市の西国街道沿いにこういう建物があることは知らなかった。67号線の裏手にあるので、地元の人でなければ知らないだろう。今は飲食が出来る店になっているようだが、そうでもして収入を得ない限り、建物の保存が難しいのだろう。すぐそばに背の高い木がわずかに残っているのは、広重の浮世絵を見る趣があって、この木がなければせっかくの古い家は魅力が半減する。こうした背の高い木は普通は神社にあるが、「中野家住宅」付近に神社はなさそうであった。あれば「神社の造形」のカテゴリーのために少し足を延ばしてでも撮影した。とはいえ、「中野家住宅」付近は神社の境内を感じさせる雰囲気があって、旧街道沿いのよさが残っている。

2枚目の写真を撮っていると、向こうから傘を差した女子高校生がやって来た。彼女を写し込むつもりはなかったが、通り過ぎるのを待つのも面倒だ。それで姿が写ったが、顔はわからないのでいいだろう。また彼女の姿が入ったことでなおさら広重の浮世絵らしくなった。ただし、江戸時代と大きく異なるのは空に伸びる電線だ。最初の写真もそれが無粋で、せめて旧街道だけは地下に電線を埋めることをしていいのではないか。京都では祇園や嵐山のごく一部がそうなったが、長岡京市ではその予算がなく、たぶん今後も無理だろう。「中野家住宅」から200メートルほどの右手に視界が広がったその奥に変わったデザインの校舎らしき建物が見えた。中高一貫の私立の学校であることを校門前で知ったが、校門から男子生徒が数人出て来るのを見つめる雨合羽を着た警備員がふたりいた。学校から雇われているのだろう。昔なら考えられなかったことだ。変な輩が校内に侵入することを防ぐための人件費が必要で、その分授業料に跳ね返り、保護者が支払わねばならない。それで有名私立の学校に通うのは裕福な家庭の子となるが、そういう子がそうでない子より優秀でしかも幸福になるとは限らない。教育に対する幻想は根強いものがあるが、筆者は辻まことの考えに大いに同意する。ついでなので『蟲類図譜』から「教育」の言葉を引用しておく。「この虫は「人」を創る立派な虫だなどと有難がって鎮守の社にまつって毎朝おまいりしている野蛮人が、まだいる。人は創られるものではなく生れるもので、導かれるものではなく先に歩いていくものだ、ということが一向に判らないで、啓蒙などと叫んでお祭りに四んばいになって行列しながら、この虫の身振りをまねる風習は、いっかななくならない。」それはともかく、校門の前で道は二手に分かれ、筆者は迷いながら右に進んだ。下校する男子生徒3,4人がすぐ前を歩き、100メートルほど行くと、向こうに線路が見え、道を誤ったことを知った。そして校門前に戻ると、警備員は筆者を不思議そうに見たが、今度はもう間違わない。それに右手の道は舗装が違って西国街道ではないことは明らかであったのに、分かれ道があるとどういうわけか筆者は右手に行く。これが左利きなら左なのかどうかだが、今度左利きの人に訊ねてみよう。校門前でまた地図を見ると、喫茶すずかけまで300メートルほどだ。開場の6時半には充分着く。そう思いながら新しい家が点在する細い街道を進むと、今日の3枚目の写真の場所に出た。JRの長岡京駅の方法を示す石碑があって、その向こうにギターを玄関前に置く喫茶すずかけがあった。ギターは本物だろうか。であれば雨水が胴体に入ってすぐに腐食するだろう。そんなことを思いながら写真を3,4枚撮り、雨の中でズボンの左ポケットから懐中時計を取り出すと、ちょうど6時であった。

開場まで30分早い。店の前で待つのは気が引ける。それに足元をまずどうにかしたい。すずかけのある場所は道がいくつか斜めに交差して複雑で、その近くにも合羽姿の警備員がいた。どこかが工事中でダンプの出入りがあるのかどうか、手持ち無沙汰なようで、雨の中でご苦労なことだ。それはともかく、スーパーを探そう。西国街道をそのまま北進すると、今日の4枚目の写真の場所に出た。写真では見えにくいが、右手に「神足神社」の石碑があり、また左手に大きな石灯篭があった。これは神社の参道のはずだが、石碑の真横には「神足商店街」のアーケードの文字がある。その奥の道は西国街道だ。それを歩くつもりで出かけたので、ついでに足を延ばすのはよい。それに先にはスーパーがあるだろう。そう思って石畳の上品な道を300メートルほど進んだが、見当たらない。左折して神足小学校の信号を今度は喫茶すずかけ方面に南下した。するとスーパーのムーギョがあった。それを見て思い出した。2年前の冬、友岡3丁目のとある店に自転車で出かけた時、そのスーパーを目撃した。つまり、神足小学校前から南下したのは新西国街道で、筆者は一度だけ自転車でそのスーパーの前を往復している。早速そこに入ると、とても涼しい。買いたいものがないではないが、まずはトイレだ。ところが店内を二周しても見つからない。もちろん、トイレに入りたいのは足をどうにかして乾かしたいためだ。それが出来ないとわかって、外に出て、しばしスーパーの前で立ちすくんだ。雨はひどいままで、80代の男性がスーパーの隣りのパキスタン料理店前に置かれた椅子に座っていた。喫茶すずかけは目と鼻の先で、歩いて1分とかからない。スーパーの中がとても涼しいのを思い出し、また中に入り、今度は何か買わねば悪い気がして缶ビールを1本買った。レジにたくさん買い物をした女性がふたり並んでいたが、缶ビール片手の筆者を見かねて優先してくれた。お礼を言って支払いを済ませ、また椅子に座って雨宿りしている老人の横に戻ってビールを一気飲みした。時計を見ると6時半から2分ほど前で、傘を差して喫茶すずかけを目指した。若い警備員はまだ同じように立っていた。彼の靴下は大雨でも濡れないはずだが、筆者のそれはついに無残なままで、歩くたびにズコ、ズコと音が鳴る。そのような状態で店内に入り、演奏を聴くのは申し訳ないが、仕方がない。店に入るとすぐに弦花さんがいた。2,3分して彼女にトイレの場所を訊ね、2階にあるそこに入った。もちろん靴を脱いでタオルで拭くなどのことはしていない。それで階段の上り下りは靴の濡れた音を極力立てないようにした。2時間のライヴ演奏の間にかなり自然乾燥したが、革靴は見るも無残な黴だらけになった。家内は長靴を履いて出かければよかったのにと言ったが、大山崎山荘美術館の中を長靴では入館を断られるのではないか。