代表作としてのアルバムがどれかとなるとザッパの場合、ファンによって意見が大きく異なるだろう。それほどに作品が多様で、一方ザッパが生前に出したアルバムのみではザッパの全貌がわからず、またそのアルバムのどれもがザッパの満足の行く形で世に出たのではなかった。
そのひとつの『オーケストラル・フェイヴァリッツ』はザッパがその音源をワーナーに手わたしたのであるから、一応はザッパの納得したアルバムとしてよいが、その点が本作のブックレットに詳細に書かれておらず、事情はよくわからない。その大きな理由は、商品としてのLPが発売されるまでにどういう工程があるのかが一般人にはわかりにくいことだ。たとえば後年のアルバム『ユートピアから来た男』はCBSソニーの日本盤LPは先に出たアメリカ盤より音がいいということを、その日本盤をザッパに持参した際のインタヴューでサイモン・プレンティスはザッパに語っている。これはLPをプレスする際のマスター・テープが同じものであっても、そのテープから原盤をカッティングする技術の差があり、またプレスの精度の問題もあるからだろう。デジタル時代になってそういう手作りに関することは大いに減少したが、それは味わいを減少させたことでもあって、CDがLPより味気ないとはよく言われた。話を戻して、ザッパがワーナーに手わたした『オーケストラル・フェイヴァリッツ』のマスター・テープは音色の調整をしていないいわば見本のようなものであったことが本作のテリー・ボジオの解説文から想像出来る。ザッパとワーナーの意思の疎通がうまく行かず、ワーナーはそのテープを元にLPを作り、またジャケットは勝手に用意したが、このゲイリー・パンターによるイラストは出来が悪くはなかったと筆者は思う。当時ゲイリーの人気は日本でも高く、そのコミック本も出版されたが、彼による『オーケストラル・フェイヴァリッツ』や『スリープ・ダート』、『スタジオ・タン』の3作のイラストによってザッパの明るいイメージは増幅され、またワーナーはそれなりにこの3作をよいものにして売ろうという考えはあったと思いたい。商品であるからにはそれは当然だが、宣伝がさしてなされず、ザッパは大いに不満を抱いた。とはいえ、一旦世に出たものを覆すことは出来ず、かくて3作のアルバムは今後もゲイリーのジャケット・イメージに囚われ続ける。そして『スリープ・ダート』と『スタジオ・タン』の40周年記念盤が出るのかどうかだが、これは『レザー』のそれに代用される気がする。またそうなったとして、それは本作と『ザッパ・イン・ニューヨーク』の40周年記念盤でほとんど内容は尽くされるから、内容の期待はあまり出来ないと思うが、「その2」に書いたようにUCLAのロイス・ホールでの9月17日の演奏が本作には収録されず、『レザー』豪華盤用の素材は残されている。

本作のブックレットの後半はテリー・ボジオによる長文で、その細かい文字を読むのは一苦労だが、テリーの思いつくままの回想となっていて、本作のコンサートに関する情報は多くない。それほどに記憶が薄らぎ、またザッパに対する全体的な感謝が優先され、何となくテリーも老いたという印象が強い。彼は筆者と同じ年齢で60半ばを超えているのでそれも止むを得ない。また人間は未知のことを体験する時、その認知機能に応じたことしかわからないという真実を改めて感じる。たとえば、目の前に聖人や偉人がいたとして、その人物の聖なるところや偉大なところを感じ取る能力がない者にとっては、ただの老いぼれた冴えない人間に見える。また大多数の人間は聖人や偉人になるはずはないので、聖人や偉人はまず誰からも認められない。それでTVなどのマスメディアで愚か者が大きな人気を得て、本人も世界を支配していると勘違いするが、そういう連中に喝采を送る人にはザッパやテリーの作品はわかりようがない。ブックレットのテリーの文章には音楽家の名前が出て来る。ストラヴィンスキー、バルトーク、カウエル、ミヨー、ハリー・パーチ、ヴァレーズ、スロニムスキー、それにヴァレーズの作品を補筆したチョウ・ウェン・チャンまではいいとして、「Dhal」という名前は筆者は知らない。また演奏家としてジョン・ベルガモやエミル・リチャード、シェリー・マンといった先輩の打楽器奏者に言及しているのは、伝統という流れの中で自分を見つめる意識があることを伝える。伝統を無視した前衛はあり得ず、過去の名作を知らずに名作は生まれないが、それはともかく、ザッパに雇われたミュージシャンの中でザッパのように管弦楽曲を書いて演奏させた経験のある者はテリーとスティーヴ・ヴァイのみと言ってよく、また前者が打楽器、後者がギタリストであるので、ザッパはふたつの支流を作ったと言える。テリーのオーケストラ作品はもっと評価されていいが、いかに音楽の世界で管弦楽曲を書いて名を成すことが困難であるかがわかる。その困難なことをザッパは20歳頃に始め、命が尽きるまで取り組んだ。とはいえ、ザッパ・ファンであっても多くの人はそうした作品を感知するためのセンサーを自ら育てる努力をしない。いわばアホらしいヒット曲によって得た思わぬお金で管弦楽団を雇って自作の難曲を演奏させるという発想をする音楽家がザッパ以外にいたであろうか。また今後もいるだろうか。せいぜい女や薬物に溺れて浮かれる程度の「見せかけの壮麗」を体現するのが関の山で、またそういうのに限って人気があるのが日本の芸能界だ。ザッパの曲「アイム・ザ・スライム」の歌詞はアメリカよりもおそらく日本で徹底的に具現化され、その醜悪さの深まりは留まることがない。その醜悪さがアメリカ本質であることを早々と見抜いていたザッパは、ロックや管弦楽曲の区別なく、それを主題にする。

『オーケストラル・フェイヴァリッツ』に収録された「ペドロの持参金」は、テリーが75年4月にザッパ、ビーフハート、ジョージ・デュークらと一緒にツアーをした後、ザッパの誘いによってサンフランシスコからロサンゼルスに移住した直後にザッパから楽譜を手わたされた。この曲は歌詞がない代わりに筋立てがあり、また演奏者による身振りも付随する。その筋立てはシンクレア・ルイスの小説に登場するような男女の安っぽい愛の生活の一断片で、描かれる場面からはザッパの経験が大なり小なり反映しているだろう。演奏者の身振りはたとえばアルバム『チュンガの復讐』のジャケット見開き内部に描かれるヴァキューム・クリーナーを体現するものだが、これは楽譜に書かれる指示や生演奏を見ないことにはわからない。8分程度の曲としてはあまりに盛りだくさんな内容だが、演奏困難な曲で、演奏者にとっては8分でも長く、テリーもその難解さに当初は舌を巻いた。またテリーが書くように、ザッパの難曲の楽譜を初見でやすやすと演奏出来る才能はめったになく、ザッパは自分が演奏出来ない曲を演奏者に託すことがあった。そのいわば試し行為にテリーらの才能ある音楽家が食いつき、ザッパの脳裏に響く音色を再現したことでまたザッパの新たな作曲が開けたと言ってよい。管弦楽曲にしてもそうで、ザッパは本作でプロの演奏家を30数名も雇ったが、彼らはある曲の演奏の終わりまで10数小節であっても、1時間ごとに10分の休憩を要求する始末で、音楽に対する愛はテリーほどではなかったが、それはそれで仕方のないことだ。人を雇うとはそのようにドライなもので、時間を超えて自分の思いを引き受けてはくれない。となると、より才能のある演奏家を求めることになり、ザッパは自作の管弦楽曲を今度はロンドン交響楽団を雇って演奏させることになるが、そこでも演奏者の態度は同じで、給料に応じた時間分しか働かない。さて、本作のほぼ最後に収録される「グレガリー・ぺカリーの冒険」は、ザッパは演奏前に「速記場の場面から」と語り、『スタジオ・タン』の正式ヴァージョンとはかなり雰囲気が違うが、最初の管弦楽曲としての形がよくわかる。ザッパは本作のヴァージョンを元に漫画的に声色を高めた歌詞を加え、また無数のテープの切り貼りと電気的な音の変調を加えもして『スタジオ・タン』ヴァージョンを完成させたが、改めて同曲が途方もなく凝った、音楽として分類不可能な作品であることがわかる。同曲の手法は『ウィア・オンリー・イン・イット・フォー・ザ・マニー』で試みられたもので、新しい要素は流行に乗じた商品を製造販売する社長の生態を描く点にあって、そこにザッパ自身のいささかの投影が感じられるのはザッパの含羞の精神と言ってよい。またその自分も含めた人間の愚かさをも含めた人間愛は「ストリクトリー・ジェンティール」の歌詞にも表現されている。

今日の3枚の写真はテリーの解説の全部のページで、随所にイラストが挟まれる。それらはテリーがビーフハートに触発されて描いたもので、ビーフハートのように抽象的ではなく、素朴な写実で、テリーとまた描かれる人物の人柄をよく伝える。テリーの最新アルバムにも彼のイラストは使われていて、それなりに描き続けているようだ。ビーフハートの思い出として、本作のディスク3最後の「ストリクトリー・ジェンティール」の最後に出演してサックスを吹いたことが書かれる。もちろんその演奏は収録されているが、フェイドアウトで終わっている。これは録音テープがなくなったからで、最後がどのように終わったかは海賊テープに頼るしかない。またそういうところに海賊テープの重要さがあるが、ザッパ・ファミリーとしてはそういうテープを利用して録音し切れなかった部分を補完することは例外的措置で、本作の「ストリクトリー・ジェンティール」がフェイドアウトで終わるのは悪くはない。なお、『オーケストラル・フェイヴァリッツ』の同曲は本作のコンサート・ヴァージョンより20秒短く、ビーフハートのサックスは入っていない。テリーの長い解説文はあちこち話題が飛び、まとまりに欠けるが、ザッパの才能のひとつとして「ハンド・シグナル」を挙げている。それはザッパ・ファンに馴染みだが、本作でもそれによる曲がある。ディスク3の「EVENIG AT THE HERMITAGE」(隠れ家での夕べ)と題する3分半の曲で、ザッパの手の動きにしたがって楽団が即興で演奏していることがわかる。これは観客も演奏者もくつろがせるもので、ザッパは人心を把握することに長けていた。そういうザッパはビーフハートに対してはどうであったか。ザッパは音楽家としてのビーフハートに対して辛辣なことを発現していたが、演奏能力が人並み以上にあってもそれだけで魅力ある作品を生むことが出来るとは限らず、人に感銘を与える行為は結局人柄がまず最重要ではないかと思っていたのではないか。その人間的魅力がビーフハートにはあった。テリーはビーフハートの思い出で解説を締めくくる。テリーがザッパや妻ゲイル、パトリック・オハーン、ビーフハートと一緒にエレベーターに乗った時、BGMとしてハーブ・アルパートの「蜜の味」が鳴っていた。誰かがそのことについて何か言うかと待っていると、ビーフハートが口火を切った。「このような音楽で出来ることがたったひとつある……、それをやれ!」これは75,6年のことと思うが、当時西海岸では60年代に人気絶頂であったアルパートの大ヒット曲は古典となっていて、ビーフハートは彼のトランペットを気に入っていたのだろう。ザッパもそうであったと思うが、アルパートとの直接の出会いはなかったのではないか。さて、今日の昼前に5枚組『ザッパ・イン・ニューヨーク』がアメリカから届いた。明日からその感想を書く。