羅や紗、絽といった夏向きの生地のキモノを着て行くべき真夏だが、式場内部は冷房が効いているのでその必要はない。それに結婚式で和服を着る人をあまり見かけなくなった。
一昨日は梅田で結婚式があり、家内と出かけた。キモノは両家の母親の黒留袖のみで、式や宴会に日本らしさは皆無であった。家内の30代半ばの姪が数歳下の長身でなかなかの男前と結婚した。近年は女性の結婚年齢が上昇し、30代半ばでの結婚は珍しくなく、また4,5歳下の男性が相手である場合が珍しくない。女性が30代半ばになると、自分より年上は「じじい」と思うようで、これは4、50代になっても20代の女性と結婚したいと考える男性と同じだ。おっさんが通う居酒屋で女性がひとりで飲むことが話題になったことがあるが、その後女性はどんどん男性の領域を侵して「おっさん化」し、セックスの相手は断然年下がよいと思うようになっている。男女平等の考えが進んだためで、女性の奥床しさは死語になっている。それは男のせいでもあって、いつの時代も若い男女はないものねだりをせず、出会う相手から配偶者を選ぶしかない。それにしても異性を見つけることの得意な男女がいて、この間別れたばかりなのにもう別の恋人がいる。失恋の痛手から立ち直るのが早いことはいい。ぐずぐすと何年も付き合って別れると、女性の場合は次の相手を見つけて結婚することに焦り、その結果かなり妥協して結婚することになりかねない。そのため、相手をどう見定めるかだが、義姪の場合は父親に紹介して意見を仰ぎ、反対されればすぐに別れたようだ。そして父親が亡くなる少し前に夫となる男性の顔を見せ、了承を得て結婚したが、親に祝福された結婚が望ましいのは言うまでもない。とはいえ、そうしたから離婚しないとは全く限らない。それに離婚がよくないとも限らず、無理に我慢し結婚生活をするよりうんとましとの意見もある。男女は一緒に暮らす時よりも別れる時のほうがエネルギーを要するというのは本当だろう。それでずるずると仮面夫婦であっても生活する場合がある。だが、離婚する時のエネルギーが大きいことを前提に結婚がある。惰性の生活でも別れないほうが何かと合理的という仕組みを世間が作って来たからだ。結婚式を挙げるのは、多くの人に仲のよさと今後の覚悟を示すことでお互いなるべく我慢しようと思わせる効果があるからで、その点が同棲とは大いに違う。同棲はお互い無責任であってもかわまず、また戸籍に変化がないので、別れても何事もなかったかのように装うことは出来るが、それだけに恥知らずで不潔と思う人は少なくない。周囲にわからなければ何をしてもいいのかというのがその理屈だが、それも年齢によるだろう。30代半ばを過ぎれば男女ともに婚期を逃していると見られやすく、結婚が無理なら同棲でもしたほうがいいと考える親もいる。
結婚式は主人公のふたりが望む形で行なわれるから、流行の変化が激しい。そのため、派手な音楽や時には踊りまであって、ショーになっている。今回の結婚式は西梅田の高層ビルの33階で、ホテルとは違ってかなり狭いと感じたが、眺望が売りで、南は肥後橋の朝日新聞社のツイン・ビルやそのふたつの棟の向こうにハルカスが見えた。少し移動するとヒルトン・ホテルが真正面で、かつてそこでの結婚式にも出たことを思い出した。北はスカイビルや淀川を臨み、披露宴会場はカーテンを開けるとその光景が広がった。披露宴の大きな円卓で筆者は家内の右横に座ったが、筆者の右横の男性と数年ぶりに会ったこともあって話が弾み、また家内の左側は新婦の父親の遺影を置いた空席であったので、家内はほとんど話をせずにひとりで過ごした。それに音楽の爆音に辟易したとのことだ。家内の背後の壁面に幅3メートルほどのブースの空間があって、高さ1.2メートルほどの仕切り壁の上から若い女性ふたりの首が覗いていた。それが不思議で、帰り際に背伸びして中を覗こうとしても見えなかったが、音響や照明などのコントロール・ルームであることがわかった。式次第を見ながら、また宴会場を笑顔であちこち走り回っていた小柄な男性マネージャーと組んで、決められたとおりに物事を進めて行く。TVスタジオでの生放送と一緒で、その意味でもショーそのもので、式典の厳粛らしさはない。結婚式がそうであれば、葬式も派手にショー化すればいい。故人が好きであった音楽をガンガン鳴らし、みんなで酒を飲んで馬鹿騒ぎをしてもらうことを遺言し、僧侶や読経は不要で、墓もなくてもいいという人が今後は増えるだろう。楽しいばかりの結婚式が悲しいばかりの葬式に一直線につながっているのであれば、老いは何と恐怖で味気ないことかと若者が思っても無理はない。そして30代半ばになれば自分より若い異性と結婚したいと男女ともに望む。少しでも楽しいことを長らえたいためで、かくて30代半ば以上の「おじさん」「おばさん」には出番がない。寿命が50歳くらいであった時代はそれでもよかったが、今は長命が長寿とは思われにくい。短寿とは言わないが、そこそこ元気な間に命が尽きることを夢想する人がある。ところが、60、70を超えて元気であれば、まだまだ大丈夫と考えて長寿を願うのが人間だ。新郎新婦が円卓を回って来た時、円卓に設えられた小さなハート型風船が10個ほど入った大きな風船を、針がついた棒で割った。そのハート型風船を3個持ち帰ったが、1日経つと少し萎んでいた。1週間経てばピンポン玉くらいに縮むだろう。そのようにふたりの新鮮な思いが萎まねばいいが、恋は3年経てば冷めると言われる。金婚式は稀な例で、筆者は家内とそれを目指す。もっとも、式を挙げていないので、いつから数えればいいのかわからない。