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●長岡京市 火灯し喫茶すずかけにて、弦花
屋がL字型をしていると弦花さんに言われ、筆者はその横棒の右の突き当りに当たる場所に歩んで座った。そこは照明があまり点いておらず、客が多い時だけ利用される場所であろう。会場の喫茶すずかけには開場時刻の6時半ちょうどに入ったが、すでに1階の客席の、正確に言えば逆L字型の縦棒に相当する席はいっぱいであった。



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一昨日の28日はあいにく午後からは大変な雨で、足元の悪い中をライヴ会場に出かけたが、そこに着くまでのことは明日から何回かに分けて書くつもりでいる。山口翔さんの演奏が始まる直前に弦花さんは筆者の席にやって来て、2,3分話が出来た。それは彼女の音楽性を知る手立てには全くならず、今回もライヴのおおまかな感想を書く。彼女と一度じっくり会って創作の着想などを質問したいが、その機会は今後もないとしても仕方のないことで、また彼女の作品のみから筆者の思いを書くことでいいとも言える。作者と作品がどう関係するかは面白い主題だが、作者の顔を知らずに作品に憧れ、やがて作者と話す機会があった時にさらに憧れが増すか、反対に落胆する場合がある。若い人は作品への憧れは作者への憧れとなって、作者に面会出来れば舞い上がるが、70歳に近い年齢の筆者はかなり醒めていて、作品の質を見定めることにとても厳しく、めったなことには優れた作品とは思わない。『人を取除けてなおあとに価値のあるものは、作品を取除けてなおあとに価値のある人間によって作られるような気がする。』と辻まことは言ったが、この言葉を知って40年、筆者はある作品が気に入った場合、その作者も素晴らしいはずと思い、作者に憧れを抱く。それを前提として弦花さんのことを言えば、彼女は稀に見る意欲的で正直な作家で、現在のところ、どの作品も真珠のようだとは言わないが、そうなる可能性を持つ作品が目立ち、今後もそれに続く曲を書き続けると思わせる。ツイッターによれば彼女はジョギングに精を出し、体力作りに余念がなく、音楽に対してきわめて真面目かつ健康的に挑んでいる。毎週だったか、彼女は新曲の断片も披露していて、その多作ぶりは月5,6回ライヴを開催する頻度とともに音楽に生きる覚悟を伝えて頼もしい。それはそれを可能とする立場に現在の彼女があるからだが、それに至るまでの抑圧時代は、ある曲にそのまま盛られている。ともかく創作に邁進中の彼女であることは今回のライヴにも表われていた。最近彼女に新曲がどの程度増えたかメールで訊ねたところ、8月下旬なら4,5曲は聴かせられるとのことで、嵐山からはそう遠くない喫茶すずかけでのライヴを推奨していただいた。1時間の持ち時間のうち、語りを省けば昔のLP1枚分の10数曲の演奏で、またこれは最初に演奏されたライヴのテーマ曲としてよい「お月さま」やまた「一本の薔薇」などの旧曲に新曲を交えての「愛の組曲」と題してよい。
 逆L字型の部屋の横棒右端に陣取って間もなく、ブログ載せてもいいだろうと勝手に判断しながら、今日の写真を撮った。舞台袖から彼女の演奏を覗き見るような恰好で、また声は聴き取りにくかったので、新曲の題名をよく覚えておらず、以下はおおまかな感想になる。結論を言えば、最後の曲「今でいい」は彼女が作曲を始めた3年前の処女作で、その後の大半の曲の原点という気がした。つまり、完成度が高く、彼女の特徴である凄みに溢れる。ただし、やや大げさな言い回しがあって、筆者は多少気恥ずかしく聴く。ところで、今日は彼女のライヴ感想の3回目で、辛口ではなく、絶賛本位で書こうと思っていたが、今後どこまで伸びるか途方のなさを感じさせる彼女なので、また辛口を交える。「今でいい」の歌詞は、現在を肯定的に捉え、それを出会って来た人や物事あってのこととしている。これは嫌な出来事があってもそこから何かを学んで将来の糧とすることが出来たという感謝であろう。筆者はそこまで何事も鷹揚に思えないので、そういう歌詞を聴くといささか懐疑心が涌く。それは筆者の性根がねじ曲がっているからと言われるだろうが、筆者はキリストや聖人ではない。また開き直りで言うのではなく、人間としてのどうしようもない愚かさを幾分かは持っているので、全肯定的な物の言いを聞くと、それ以上に話は進まないという拒否された気分になる。またその全肯定的意見が人間として理想であるがゆえに、反論することが恥ずかしいと思わせられ、「ああそうですか」と口ごもってしまうしかない。彼女はその歌詞に勇ましい旋律を添え、堂々と歌うので、なおさら劇的で、それゆえ感動的だが、それは筆者のような老人世代からは偽善者すれすれの行為と思われかねない。人間は弱く、辛辣だ。またそのことをわざわざ歌うのは褒められたことではないので、歌とはもっと小さな世界を表現してそこから大なる世界を感じさせるものと思っている。ただし、彼女はその等身大性をよく自覚しているだろう。それで処女作以降にさまざまな曲を書き続けている。今回の新曲で最も面白かったのはツイッターで習作が披露されていた「順調」と題する曲で、彼女の本音を歌っていると見ていいだろう。だが、そう思ってしまうには筆者は曲を通じてしか彼女のことを知らず、彼女の多くの曲から浮かび上がる彼女の像がひとつの焦点に結ばれないような気がしている。第三者の思いになって歌詞を書き、思いを込めることは小説家ならば出来るし、以前書いたように彼女は小説家になれる才能があると筆者は見る。となれば、彼女の処女作は彼女の本心のみではなく、誰かの思いを混ぜたかもしれない。そんなことを彼女の曲を聴く人は誰でも思うのではないか。それは悪く言えば曖昧で真実味が欠けることだが、謎めきと見れば彼女の魅力と言える。またそこに男には絶対にわからない女性特有の性質もあるように感じる。
 「順調」の歌詞の要は直截的で、あれもこれもほしいという欲望がありながら、最もほしいのは(あなたの)愛というものだ。これは得ている愛を逃したくないのか、愛する誰かの愛を手に入れたいという意味なのかはわからない。また、この場合の愛とは何かだ。それは彼女が実感出来る愛であることは言うまでもないが、その愛を与える他者にどうしてもらえれば愛を感じるかとなれば、ここにはなかなか難しい問題がある。たとえばセックスをしても愛を感じない場合があるし、一度しか会っていないのに燃え上がる恋情もある。あれもこれもほしいと思いつつ自分の人生が順調であるというのは、愛する人との愛も順調という意味なのだろうが、その満たされた生活の実態が、あれもこれもほしいと欲があって頭の中がごちゃごちゃになっていながら、本当にほしいものは愛のみだとする思いは、いかにも現代的、現在的で面白い。というのは、『和漢朗詠集』に登場する「恋」の歌にはそんな内容のものはないからだ。また、『和漢朗詠集』の「恋」の歌の大半は失恋のさびしさを扱い、最も熱烈な恋情を詠むものとしては、「わが恋はゆくへもしらずはてもなし逢ふをかぎりとおもふばかりぞ」があるが、これはたった一行で誰でも経験する熱き恋情を表現し、千年も伝わっていることに納得する。シンガーソングライターは自身の恋愛を眺めながら、この「ただ相手に会いたい、その先のことは考えない」という恋の思いをいかに脚色してラヴ・ソングを書くかだ。弦花さんには片思いやまた今回の新曲「遠くのあなた」のように単身赴任している夫を思いやるような曲、さらに「大きな手」のように頼もしい男性の手に包まれる心地よさを歌う曲など、とにかく会いたいという思いを一段越えての安定した信頼関係に基づく曲がある。それゆえ彼女のライヴを「愛の組曲」と呼びたいのだが、組曲とするには各曲で歌われる愛の形が多様過ぎる。またそのことが彼女の人格を明確化させないのだが、そこには彼女が現在誰かに恋心を抱きながらそれを歌詞にあえてしない、出来ない事情があるのかといった悩みのようなものを筆者は漠然と想像する。若い彼女は毎週共演する若い男性のシンガーソングライターたちに出会い、その才能に触発されつつ恋心も抱くこともあるだろう。それはごく自然なことで、今後も「愛の組曲」のネタに事欠くことはないと思える。L字型のLは「LOVE」、それを逆さにすることは「愛をLOCKする」で、これはあまり安易に愛や恋の言葉を使わずにその思いを伝えることと言ってよい。もちろんそのことも彼女はよく知っているはずで、ヴァラエティに富む「愛の組曲」は今後はますますそうなるだろう。もっとドロドロした愛の歌も目論んでいるとツイッターにはあったが、そこに彼女の真骨頂が発揮されるのではないか。今回は調性の分析をしようと思ったが、決めている段落と文字の数が尽きた。
by uuuzen | 2019-08-30 23:59 | ●ライヴハウス瞥見記♪


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