混ぜることが生命持続の根源にあることを人間は本能的に知っている。男女が結ばれて新しい命を生む時、遺伝子はふたりのものが混じり合う。

そしてその場合に近親者との性交を忌避する本能があることは、なるべく違う遺伝子と混ざり合うことをよしとするからだ。その遺伝子の組み合わせがどれほどあるのか知らないが、全部混ざり合うことが終われば、人間は進化しないことになる。ま、それまでに人間は滅びるか、あるいは別の生物になっている。混ざり具合が大きいほどに得体の知れない存在になって行くと思っていいが、ガラパゴス島のような島国の日本では人々の血は均質化しやすい。またそのことを純血、純潔と称して称える人があるが、一方で欧米への憧れがはなはだしい。それは均質化がよくないと本能的に感じ取っているからとも考えられる。となれば尻の軽いと定評のある日本の若い女性は、動物的にはとても正しい本能を持っていると言える。そして近年では肌の黒い外国人と結婚する女性がいて、その混血の子どもはスポーツ界では特に目覚ましい才能を発揮している。日本はいずれブラジルのように、混血具合が激しいほどによいという国になるかもしれない。そうなった時、日本の古典文化はどのように生き残っているだろう。神社や寺がなくなっているか、あるいは役割を大きく変えているはずで、その兆候はもうそろそろ出て来ている気もする。先週金曜日は堺の僧侶が煽り運転をし、後方の車の運転手に脅しの言葉をかけたことがTVで紹介されたが、ほかにも醜聞がしばしば報道される。そのことにほとんどの人は驚かない。「坊主丸儲け」は昔から言われていることで、それがよりわかりやすくなっただけのことだ。聖なることに携わる人が俗な欲望に支配されてはならないことは、子どもでも感じているのに、何でも混ぜろとばかりに、聖人が俗なことをして恥じず、むしろ俗人が聖なるものと交じり合いたいと希求する。そしてそこにつけ入る俗の権化のような連中がいつ時代でも人気者となって大儲けするが、聖なるものとの合一が大金を使うことであれば、それも仕方なきところはある。かつては大金を一気に使うことの最もわかりやすい例はお祭りで、普段から始末して貯め込んだお金を年に一度消尽したす。聖が聖で、俗は俗という意識が崩れ始めたのは江戸中期頃からであろう。その後はもう言うまでもなく、今は聖人と言われる人はほとんどおらず、聖なる造形や聖なるお祭りと呼べるものもない。だが、聖なることを望む限りはそれはどこかに残っているはずで、お祭りにつきものの芸能がそうだと言える。戦後は日本の古典芸能は今ではごく一部の人の関心事となり、少数の人たちによって次世代に継がれている。元来地域限定的な芸能はそれでよく、またそうあるべきという意見がある。それは純血性を崇める考えによるが、何でも混ざり合う傾向にあるから、知らない間に変化している。

また辻まことの本から引用するが、彼の「音楽会」と題する短文とイラストは昭和半ばの音楽の教養のある人々の実態を示して面白い。文章はこういうものだ。「バッハ、ベートーヴェン、モツァルト、ストラビンスキー、シューベルト、うちへかえればボン踊り。」これは高尚な西洋のクラシック音楽を聴く人が本当は盆踊りの音頭にくつろぎを覚えるということで、嫌みを言っているのではなく、仕方のない本質を言い当てているだけだ。同じようなことは30年ほど前に美術館で聞いた粟津則夫の講演でも聞いた。外では背広を着てネクタイをし、西洋風の生活をしているが、家に帰れば着物に着替えて日本酒を飲むといった表現であったが、今では背広から着物に着替える人はほとんどいない。とはいえ、日本らしさがなくなったかと言えば、今後盆踊りがかなり珍しいものにはなっても、日本的なものはなくならない。ただし、その日本と西洋的なものとの度合いがどうかとなると、判断材料をどう選ぶかで意見が異なる。そこに考現学の難しさもあるが、外来のものは日本に定着する過程で日本的なものとなると楽天的に考える人と、それは数十年程度ではとても無理だとする現実主義があって、日本に限らず、どの国でも絶えず煮ている鍋のように混沌としながらさらに新たな外来のものが加えられ続けている闇鍋状態と言ってよい。また、「バッハ、……うちへかえればボン踊り。」の「ボン踊り」の代わりに今は何を持って来るべきかとなれば、「カラオケ」が妥当だろう。クラシック音楽の教養に憧れる一方で、普段の気晴らしは大いに歌ったり踊ったりすることだと辻まことは喝破していたようだが、「カラオケ」の日常は「盆踊り」の一応の非日常とは違う。今やお祭りは望めば毎日存在し、また「バッハ、……うちへかえればカラオケ。」という図は、盆踊りのようにみんなが輪になって踊ることとは違って、ひとりで歌うことに酔いしれることで、個人主義がより増して来たことを反映している。辻まことはクラシック・ギターが得意で、そのグラナドスなどの名曲の演奏の録音を筆者はかつて『辻まことの世界展』の会場でBGMとして聞いたことがあるが、彼が言いたかったのは「バッハ、……うちへかえれば自分で音楽を演奏する。」であったのだろう。それが本当の音楽の教養というものだが、カラオケから出発して歌うことに目覚め、シンガーソングライターになることも芸術的行為だ。またバッハを聴く一方で盆踊りを楽しむことは、却ってバッハを多様に理解する道を用意するかもしれない。それにクラシック音楽を聴かなくても、盆踊りに分け入ってその多様性やルーツを調べる研究への楽しみもあって、何が高尚であるかを決めるのは個人だ。最もいいのは、クラシック音楽を聴き、盆踊りにも関心を持つことで、辻の「音楽会」の文章と絵は等身大の日本を伝えて嫌味を感じさせない。

金森幹夫さんは毎年夏場は河内音頭などを楽しむため、ライヴハウス通いはほとんど休止する。そのことを聞いたのは6月であった。筆者は金森さんから目ぼしいライヴ情報を得るので、金森さんに呼応して、ここしばらくはライヴハウスには行っていない。金森さんによれば盆踊りは7月から9月半ばまで開催されるとのことで、9月中旬を過ぎないことには筆者のライヴハウス通いもない。金森さんは盆踊りとライヴに同じほどに関心があり、そのことは一見奇異に思えるが、芸能の点で共通する。お祭りと言ってもよい。盆踊りは古典、ライヴ演奏は新参で、双方は混じり合っているとは言い難いが、たとえば河内家菊水丸はエレキギターを使うなど、音頭の伴奏はライヴハウスで鳴り響くものと変わらない現代的なものだ。これは古典が現代に合わせて変化している例で、新参としてのライヴハウスで演奏するミュージシャンは日本の古典芸能にほとんど関心はない。あっても戦前の歌謡曲に遡る程度だ。一方演歌歌手は割合地元に根差した活動をし、古典芸能と馴染む雰囲気があるが、これは演歌が古典芸能としてみなされるようになっているからだ。その伝で言えば、いずれライヴハウスで活動するシンガーソングライターもそうなって行くと思われる。たとえば日本のフォークは1960年代に生まれたが、百年経てばひとつの伝統となっているに違いない。それは「型」が定着すことだが、もうほとんどそれは出来上がっているだろう。そんな話を金森さんと交わしたことはないが、金森さんが盆踊りのファンであることは、金森さんの内部の関心事の混ざり具合が興味深いことを示しているのは確かで、いつかそのことを人前で大いに語ってもらいたいと思う。それはさておき、金森さんは七夕の頃から筆者に京阪神での盆踊り情報を順次メールで伝えてくれた。4,5回のそれらの情報は逐一最新のものに訂正され、現在9月末までのものが届いている。金森さんがすべてに足を運ぶことは不可能で、また彼がどの程度見に出かけたかは知らないが、開催は毎年さほど変化はないと考えられる。筆者は盆踊りに関心がなく、また真夏は電車に乗って出かけるのが億劫で、金森さんと一緒に一度も出かけてはいないが、先週土曜日のメールによって、筆者が京都に出て来た当時に住んでいた梅津で25日の夜に開催される盆踊りがあることを知った。すぐ近くに従姉や甥たちが住んでいるが、盆踊りがあることは聞いたことがなかった。灯台下暗しだ。昨夜はスーパーの買い物がてらにそれを見に出かけ、写真をたくさん撮って来た。今日から3日連続でその感想を記す。今日はその序みたいなものだ。せっかく金森さんから何度も盆踊り情報を伝えてもらいながら、一か所くらいは見たいと思っていたことがようやくかなう。今日の3枚の梅宮大社で撮った写真は明日説明する。