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●嵐山に出来る日本画の美術館、その5
物が完成し、家具が入って草木も植えられ、看板も出来た状態ながら、開館がいつかは地元住民にもまだ知らされていないようだ。「風風の湯」の常連のNさんからそう聞いた。



●嵐山に出来る日本画の美術館、その5_d0053294_16035251.jpg
Nさんはほぼ毎日清涼寺近くの自宅から渡月橋までを散歩で往復するが、渡月橋の少し上流の左岸に建設中であった美術館の名称が「福田美術館」であると筆者に伝えてくれたのは1か月ほど前のことだ。今日は3月6日以来の投稿で、先週12日に撮ったその美術館の写真を載せるが、道路からはこの3枚以上の様子はほとんどわからない。最初の写真は左端の建物の階上のガラス窓の奥に机と椅子が見えていて、眺望のよさから休憩室か喫茶室であることがわかる。右奥の建物が展示場と思うが、まだ作品の搬入は行なわれていないだろう。館の通りを挟んだ東隣りは現在ホテルが建設中で、工事用の白い塀には背景が水色の目立つポスターが2,3枚貼られていた。福田美術館の開館予告かと思えば、時雨殿から嵯峨嵐山文華館へと名称が変わった展示会場で10月下旬まで開催中の企画展『いろトリどり―描かれた鳥たち』のものであった。福田美術館が開館すると、渡月橋のすぐ近くにこの文華館とともにふたつの美術館が出来る。美術館が出来ることは筆者が嵐山に住み始めた頃から望んでいたことで、またどちらの館も外国の美術の紹介ではなく、京都らしい作品を展示するので観光客にとっても日本らしさを味わえてよい。嵯峨巡りの楽しみが増え、さらに観光客が増加するが、京都盆地の西北に位置する嵯峨嵐山地区はさらにテーマパークと化す。動物に触れたければ福田美術館の真向かいの山にモンキーパークがあり、徒歩5分のところにフクロウ・カフェもある。また渡月橋下流すぐには蛍が飛び、オオサンショウウオが泳ぎ、鶯の鳴き声は珍しくなく、少し下流の河川敷では秋虫が大合唱する。登山を好むのであれば愛宕山が背後に控え、サイクリングを楽しみたければ自転車道路の起点が渡月橋の少し下流で、その地点のそばに温泉もある。これは都会っぽさと田舎っぽさが同居する郊外のベッドタウンでもありがちだが、嵯峨嵐山には歴史的建築物がある。つまり文化が重層的なのだが、たとえば福田美術館は金融業で財を成した個人のもので、今や嵯峨嵐山は経済の論理によって金持ちが住み着く場所にますますなりつつあり、わが家のある少し外れた地域との間の経済格差という多様性も見られるようになっている。もちろん戦後の建て売り住宅が密集する地域もホテルや新しい住宅に建て替わるとともに土地の価格が上がり、将来的には京都でも有数の高級な場所になるかもしれない。嵐山と違って嵯峨はそうなっている。それで今日の投稿の題名は本当は「嵯峨に出来る……」が正しいが、嵯峨の最南端に位置して真正面に嵐山を臨むので、「嵐山に出来る……」でも話は通じる。
●嵐山に出来る日本画の美術館、その5_d0053294_16042925.jpg 前述のNさんも不思議に思ったこととして、福田美術館の玄関には、今日の最初の写真からもわかるように真横に蛇のように伸びる楓の木が一本ある。幹に麻布を巻いてあり、また根本はしっかりしているので、これは台風などで傾いたものではなく、わざと玄関の門扉に低く覆いかぶせたものだ。また2枚目の写真中央でよくわかるが、その根元のすぐ背後に茶色に変色した一本の木が見える。これは桂で、今後どれだけ成長するかだが、植えられている場所からして高さは抑制され、灌木扱いになるはずだ。桂と楓の取り合わせが意味を持っているのかどうかは知らないが、この蛇行する楓は館に出入りする者の頭を下げさせ、茶室のにじり口を思わせる。それは芸術の前では誰もがひれ伏すべきで、神妙な面持ちで入館すべきという意図のためか、あるいは単に「自分が集めて作品を見たい者は頭を低く下げて訪れるべし」という考えによるのか、遠目にはわからないこの一本の楓は入館時には意識させられるもので、開館時には意図の説明があるだろう。桂の木は岡崎の府立図書館前に背の高いものが数本あり、平安神宮の神苑では西端近くにもある。葉が丸く、すぐにその木とわかるが、赤ん坊の掌のような形の楓の葉とでは造形的に好対照を成す。四季折々に楽しめる植物を植えるのが最善として、嵐山はやはり桜と楓で、この美術館には前者がなさそうであるのが気になる。中庭には枝垂れ桜を植える面積は充分ありそうで、今後植えられるか。肝心の展示される日本画に関しては情報があまりない。名称を変更した嵯峨嵐山文華館は企画展に力を入れてはいるが、観客の動員数は目に見える増加があったのだろうか。『いろトリどり―描かれた鳥たち』展のポスターには若冲の珍しい著色画の白い鶏もデザインされているが、それが若冲画であると気づいて訪れる人はよほどの美術通で、またそういう若冲画が展示されることをチラシやポスターで告知するだけでは宣伝不足と思うが、SNS頼りを目指すとして、まずそれを利用する若者に来てもらわねばならず、館として積極的にSNSで発信するしかない。とはいえ、人間はあまり興味のないことは印象に残らない。世界は至るところで常にあらゆるものを発信しているが、受け手の人間がその気になってもわずかしか受信出来ない。それで一生無縁のままという事象が無数にあるが、もともと関心がないことはそうなったところで惜しいとも思わない。人生に悔いを残さないためにはそのほうが精神的にはよい。それで「見ざる言わざる聞かざる」の諺があるのかもしれない。関心のないことを誰かの出会いなどによって関心を抱くようになるのが人生で、また他者から直接教えられなくても自力で必要なものに出会って行く人もあるが、今の若者は金がなく、また手っ取り早くネットで画像を見て満足するところがあって、美術作品を見るために足を運ぶことは無駄か贅沢と思うだろう。
●嵐山に出来る日本画の美術館、その5_d0053294_16050881.jpg

by uuuzen | 2019-08-20 23:59 | ●駅前の変化
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