錦の織物のように色鮮やかで豪華に咲かないかと思っているが、成長が遅い。今日の2枚の鶏頭の写真は今日撮影した。台風の雨で水やりの手間が省けていいが、日差しが悪いので花は大きくなってくれない。
9月が開花の最盛期と思うが、種撒きが遅かったので10月末頃まで成長するかもしれない。それまでにどの程度大きく成長するかだが、現状を見ていると心もとない。隣家に直植えした2枚目の写真のものは、よく成長した茎が風雨で横倒しになり、そのままの形で花の穂先が天を向いている。鉢植えのものはそのようになっていないが、これは鉢の中で茎が密集していることと、台風を避けて軒下の陰に一時避難させたからだ。ねじ曲がった茎を真っすぐに戻そうと試みたが、もう無理で力を入れると却って傷つける。この荒地のようになった様子は直植えならではで、野生は本来植物のあるべき姿だ。人間も同じで、いろんな風に曲がった個性的な人間がいる。それを面白いと捉えるか、最初の写真の鉢植えのように整然としている様子をいいと思うか、人それぞれで、植え方を2種にしたことは成長の経過観察以外に気づくこともある。ところで、若冲の絵に鶏頭を描いたものがあって、その太い茎は輪を描くように一回転し、花のてっぺんに一匹のカマキリが乗っている。その茎の回転は若冲の想像にすればあまりに突飛で、またそれだけに若冲の才能の高さを思わせるが、実際は一回転でなくてもそれなりに茎が曲がった様子を目撃し、誇張して描いたに違いない。現実は人間の思いもよらない造形を呈していることがよくある。それに着目して少し手を加えれば独創的な造形作品が出来る。そう思いながら、今日の鶏頭の貧弱な様子からは奇抜な造形を思い浮かべることは難しく、また写生する気にもなれない。これでは別の場所に咲くのを描こうかという気にもなるが、
一昨日写真を載せた鶏頭はもう赤色が褪せ、また花穂は久留米鶏頭ではなく、パンク・ロッカーの頭のように尖り、しかもレゲエのドレッドヘアのようにしなびている。わが家の鶏頭もどうも久留米鶏頭のように成長せず、そのまま尖った花穂になりそうで、それを心配してもいるが、品種の違いか、あるいは尖った品種が大きく成長すると久留米品種になるのか、これは経過観察したい疑問点だ。筆者が10歳頃に見て母から名前を教えてもらった鶏頭の大きな花は今はほとんど見かけないのは、人気がなくなって来たからだろう。犬猫と同じで、園芸の花の品種は流行がある。そして古典的な花は人気が少ないが、久留米鶏頭は古典的な花で、ホームセンターの種苗コーナーでもほとんど見かけない。それで筆者はネットで個人から買ったが、掲げられていた去年庭で撮影された久留米鶏頭の写真の種子とは限らない。そういう疑念を抱くのも成長が遅く、花穂が尖っているからで、何となくおろおろそわそわして毎日眺めている。