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●67歳のカルテ
れ間がわずかで、熱帯夜にもならず、ここ2,3日は過ごしやすい。もちろん猛烈な暑さの日と比べての話で、自転車で今日も買い物に出かけると、帰宅後は汗まみれだ。



一昨日、東京の新宿の古い一軒家に住む80代の姉妹が熱中症で死んでいるところを発見された。ひとりは団扇をそばに置いていたというが、クーラーも扇風機もなかった。扇風機は3000円台で買えるのに、なぜそれがなかったかが不思議だが、自然な風を好み、クーラーや扇風機に慣れなかったのだろう。高齢になると、暑さを我慢出来るという思いが強くなる一方で身体は悲鳴を上げていて、それで熱中症になりやすい。そう言えば昨日立ち寄った郵便局に地元の小学生が描いたはがき大の絵が数十枚展示されていた。その中に6年生による秀逸なものがあった。「暑すぎて泳ぎに行って熱中症」という川柳を書き、海水浴の絵を添えてあった。元気な子どもでも熱中症になる暑さで、高齢者なら死ぬことも不思議ではない。それに平均寿命を生きたのであれば、どのような死に方をしてもまあいいではないかと自他ともに思う。暑い部屋で横になっている間に死ぬことは、クーラーの快適さに慣れた者からすれば悲劇だが、誰でも死ぬのであって、悲劇が待っている。だが、昨日書いたように仲のよい80代の夫婦がいて、そこには悲劇は感じられない。ある日どちらかが死ぬが、その悲劇性を自覚しながら満ち足りた生活がある。若い頃からの積み上げでその境地に至るが、夫婦の支え合いが共依存と言えば、これがわかりにくい。依存と言えば薬物やアルコールを真っ先に思い浮かべる。それらがなければ満足しないことは、それらに飲み込まれているからで、何かを忘れたい思いが根本にある。愛への依存もそれと同じだ。酔わせてほしいという思いに酔い、いつまでも満足しない。では愛を醒めた思いで客観することは愛することではないと反論されそうだが、醒めながらもどうしても好きというのが愛だ。相手にどうこうしてほしいのではなく、こちら側の問題だ。お互いそのように思って支え合うのが結婚で、我慢出来ない点が多くなれば離婚に結びつき、我慢を努力によって克服して行くことが結婚生活だ。家内は筆者が死ねばどうすればいいかと不安顔を隠さない。これは夫に依存し過ぎという揶揄されかねないが、家内は筆者ひとりで出かけることに文句を言わず、束縛していない。筆者は家内がどこに行って誰と会うかをいつも知っているが、それは家内の交際範囲が狭いゆえで、束縛しているからではない。夫婦の財布はいちおうは別で、筆者は家内がいくら貯金しているか知らないし、家内もそうだ。これはお互い自立していることになるが、家庭内別居とは大違いで、ほとんど終日顔を見て話をしている。とはいえ、筆者は家内の話を上の空で聞くことが多いが。
 「風風の湯」のサウナ室での常連の話題は病気のことが多く、67歳の筆者より若い60代前半の人がもう養老院に入ることを考えている。その人が10歳老けて見えるのは、運動不足で大の酒好きが原因と思うが、本人にすれば日々陶酔だ。もう習慣は改められないし、改める気もない。筆者は病院や養老院の世話にならず、ある日ひっそりと急死して人生を休止するのが理想と思っているが、父に似ればもう脳梗塞で死ぬ頃で、母に似れば認知症で長生きし、どちらの可能性が大きいかと思わないでもない。それはともかく、17歳の美女が年齢相応の美しさを保つ67歳になるかと言えば、それは稀ではないか。筆者は10代半ばにとても美しかった女性が50を超えて別人でしかあり得ない風貌になったことを目の当たりにし、女性の美の衰え方の残酷さを強く認識したことがある。現在67歳の彼女はさらに太って皺も増えたはずだが、元気でいるとは限らない。「栴檀は双葉より芳し」、「三つ子の魂百まで」と言うように、人間は本質が変わらないまま17歳から37歳、そして67歳、87歳へと進んで行く。年齢を重ねて劣化して行くは小中学生にも見えていて、よほどの努力の積み重ねがない限り、美しく老いることはない。これは内面の美しさを言っているのはもちろんのことで、見栄えにこだわるグロテスクな人は子どもの頃からその兆候が滲み出ている。特に女は連れ添う男次第で人相や体格、雰囲気がいかようにも変化する。ゆえによくよく男を見定めて一緒に生活すべしと言いたいが、男女はわるい意味でもいい意味でも似た者が惹き合う。そしてますます似た者同士になって行くが、それはいい意味で言えば相手を理解したいという歩み寄りであって、聞く耳を持ち、学ぶべきことは学ぶ謙虚さがあってのことだ。それが結婚生活の基本で、双方の思いがずれれば離婚する。前述の彼女が驚くほどの変化を遂げていたのは、再婚相手と似た者同士になったからだろうが、彼女にはそのように変化する要素が10代半ばの頃にはあったと思うしかない。実際そうで、その危うさのような魅力を10代半ばの筆者は感じ取っていた。中学生の頃の彼女はつんと澄まして気丈に見える一方で自信のなさをよく露わにし、またどことなく背徳的な、退廃的な魅惑があった。筆者は親しく声をかけたいと思いつつ、彼女に近づくことは危険と感じていたが、50過ぎに会った時の変貌ぶりは、なるようにしてそうなったとの確信を抱いた。つまり10代半ばの頃に感じ取っていたことは正しかったと思った。彼女は若い頃の美貌がいかにわずかな時期だけのもので、生活の荒波にもまれてそれがどれほど残酷に変貌して行くかのひとつの見本だが、若い頃は誰しも遠い先のことを心配せず、ブックエンドのように座っている老人の境遇を恐ろしいと思いもする。半世紀はすぐに過ぎ去り、老境に入る。その入口が67歳か。
 ところで、サイモンとガーファンクルの『ブックエンド』は全体に冬を感じさせつつ、その柔らかい日差しに満ちていて、筆者は歌われる老人たちの境遇を恐怖とはさほど思わなかった。同アルバムを聴いてちょうど半世紀経ち、「67歳のカルテ」を実感しなければならないにもかかわらず、医者嫌いの筆者は健康診断をしてもろくに種々の数値を全く見もしない。毎年いくつかの要医療、要検査の項目は運動不足が原因だ。それはこうして毎日文章を書き、またそのことについてあれこれと思いを巡らせるためかと言えば、散歩して感じることは多々あって、部屋にこもり切りでは面白いことが得られない。それでブログのネタ集めに家を「飛び出しボーヤ」して、野良犬のようにあちこち歩き回るが、それはアルバム『ブックエンド』で発表された曲「冬の散歩道」のように冬場がよい。今年の夏はどこにも旅行せず、家の中で平たくなっているが、食料の買い出しに数日ごとにスーパーには行かねばならない。一昨夜、家内は銀行のキャッシュカードがないと言った。収納した場所になく、数時間探しても見つからない。2週間ほど前に上桂のスーパーのATMを使ったのが最後で、その後の行方がわからない。家内に向かって 「そろそろ認知症が出て来たな」と言うと、「そうなったらどうする?」と訊く。すかさず、「2階の踊り場から1階へ蹴とばして転がり落す」と続けると、笑いながら「本当にしそうやな。大山ボーゲンという名前に変えたら?」と言う。「ボーゲン」は「暴言」のことだ。他人には聞かせられない冗談を続けながら、朝一番に銀行に行くことにし、それで翌朝家内と一緒に病院に行く前に梅津にある銀行で記帳すると、2週間前後の引き出しはなく、また〇百万円の貯金があることを筆者は初めて知った。貯金が誰かに引き落とされなかったことに安堵し、すぐにカードを使えないように処置してもらい、その足で病院に行って老人観察をしたことは昨日書いた。涼しい薬局で待っていると、乳母車に生後数か月の赤ちゃんを乗せた30代半ばの母親が目に入った。2歳くらいの女児も連れていて、その子は母の肩越しにしきりに筆者の顔を覗き見る。母親は黒のワンピースで、腹がえらく出っ張っていて、妊娠中のようだ。とすれば赤ちゃんは生後半年以上経っているか。筆者は2歳の女児と何度も目を合わせて笑みを送る。彼女は一度も笑わないまま、筆者が気になり、目を離さない。3人の子を育てるのは大変で、彼女の夫は高給取りだろう。筆者の年齢では孫がいてあたりまえで、また2,3歳の子どもをとてもかわいいと感じる。ひとり息子が結婚してくれれば孫を抱ける可能性があるが、結婚出来ない若者、結婚しても子どもの出来ない夫婦がたくさんいて、どんな夢でもかなうものと思わないほうがよい。そしてみんな自分の境遇に甘んじて年を重ねる。
by uuuzen | 2019-08-23 23:59 | ●新・嵐山だより


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