陶酔の人生と思える状態が死ぬまで続けばいいが、高齢になるといろいろと面倒が増える。そのことは車椅子生活で認知症の母を見ていてもわかる。母は92歳だが、認知症が明らかに周囲にわかったのは5年ほど前からだ。
今から思えばその傾向が出始めていたと思えるのが70代後半からであった。100歳を超えても認知症にならず、自分の足で歩ける人もいるが、寝た切りになると周囲の手間を煩わせるだけで、たいていの人は高齢になることに恐怖を覚える。ところで、先日取り上げた映画
『17歳のカルテ』は、冒頭にサイモンとガーファンクルの「ブックエンド」が流れた。筆者がその曲を最初に聴いたのはアルバムが発売された1968年で、今からちょうど50年前の17歳であったが、養老院で録音された老人の会話や、彼らが日向のベンチに座る姿がブックエンドのようだと歌われる曲を聴きながら、のんびりと落ち着いた老境もいいものではないかと思った。歌詞を書いたポール・サイモンは70代半ばになって、最近若い妻か恋人に訴えられたようで、養老院のベンチでブックエンドのように座ったままになっていない。それは世間からはうらやましがられるかもしれないが、70代半ばで女難に遭うのはかなり恰好悪く、いい加減に女に対しては悟りの境地に至ったほうがいいのではないか。彼ほどの有名人で金持ちであれば、娘のような年齢の若い女性がいくらでも群がって来るが、彼としても若い時に「ブックエンドのように座った老人になることは何と恐ろしいことか」と歌ったからには、いつまでも女を侍らせて若い気分を満喫したいだろう。男なら誰しもそうかもしれないが、若い女性の肉体への執着もブックエンド老人と同じほど、あるいはそれ以上に悲しい姿で、筆者は彼のことを思い出すたびに「ブックエンド」の歌詞と彼の現在の老境を比べてしまう。それはさておき、養老院で毎日日向ぼっこをして暮らせる人はまだましで、金のない人はゴミだらけになった小さな部屋で熱中症になって孤独死するのが日本の現実だ。「ブックエンド」ではなく、「ゴミ人間」という歌詞を書いて歌うシンガーソングライターが出て来るべきだが、そんなあまりに現実的な歌を歌うことは流行らず、当のシンガーソングライターはいずれゴミ人間となって忘れ去られる。さて、今日はいくつかの用事があって家内と自転車を連ねて梅津と上桂を時計回りに一周した。朝9時から3時間半を要し、銀行、病院、スーパー、郵便局、銀行へと回った。特に家内が定期診断で訪れた大きな病院の待合ホールで見かけた老人たちは印象的で、朝10時のその場所にはもう100名ほどの外来患者がいて、人間観察の材料には事欠かない。これはお互い様で、筆者の首にタオルを巻いた労働者風の姿を見て内心眉をしかめていた人もいるだろう。そして筆者の知らないところで何か書かれているかもしれない。
今日書きたいのはその待合のホールで見かけた老人についてだ。涼しい中で汗を拭いながら椅子に座って家内の診察が終わるのを待っていると、大勢の外来の老人患者が入れ替わり出入りする。ふと気づくと筆者が座っていた椅子の目の前を、焦げ茶色のノースリーブでタイトなワンピースを着た小柄で色白、短髪の女性が通り抜けた。後ろ姿は40歳だが、スニーカーを履いた足元はかなりおぼつかず、ゆっくりと歩を進めながらふと振り返った。すぐに70後半から80歳くらいであることがわかったが、筆者は落胆するどころか、その満ち足りた笑顔は全く病人を感じさず、一気に精神が高まるような衝撃を受けた。若い頃はかなりの美人であったはずで、また知的で温和な雰囲気が溢れている。NHKの昔のアナウンサーで今は80代の有名な下重暁子さんに似た顔だが、もっと家庭的でかわいらしい。筆者の好みのタイプだ。そういう女性を眺めるのは楽しい。老いて輝いているだけになお見ていて惚れ惚れすると言えば、筆者も年を取ったものだと思わないでもないが、若さゆえのぎらつきが消え、観音様のような慈悲深さが顔全体から滲み出ている様子はおそらく赤ちゃんでも感じるだろう。そう思うと女性は80歳になることを怖がることはない。ただし、彼女のような雰囲気を誰でも身につけることが出来るかと言えば、まあ100人に2,3人いればよい。だが、あまりの人の多さと背後から聞こえる年配の女性たちの大きな声の雑談に耳を奪われ、筆者はすぐに彼女のことは忘れた。喉が渇いたので自動販売機のあるところに移動して立っていると、診察の終わった家内がやって来て、ほうじ茶だけは無料と言う。それで2杯飲み、今度は自販機近くの椅子に座って家内の会計が終わるのを待っていると、先ほどの焦げ茶色のワンピースの女性が筆者の右手を通り抜けた。今度は背の高い男性と一緒だ。その人はいかにも大学の教授か会社の重役風の落ち着いた風貌で、彼らが夫婦であることは瞬時にわかった。女性はゆっくり歩きながら左手を男性の右手にそっと触れ、すぐにふたりは指を重ねたまま玄関に向かって行った。彼女が心細そうに手を伸ばした様子はおそらく筆者しか見ていないが、その美しい様子に感動し、一瞬涙が出そうになった。夫婦のよさをそれ以上に体現した様子はない。夫は妻に付き添いでやって来て、診療後にふたりはまた家に戻って行く。その点は筆者と家内も同じだが、育ちの違いから筆者らはその老夫婦のような上品さやそこはかとない愛情表現は無理だろう。似た者同士が夫婦になるのか、夫婦になった後に似た者同士になるのか。先の老夫婦は妻が夫にそっと寄り添い、また夫は堂々として妻を支えていて、とてもお似合いでしかも完璧な理想的な夫婦に見えた。そうなるまでに半世紀以上を要したとして、どのような夫婦でも彼らの雰囲気を醸し出すことはない。
それどころか、80代の仲のよい上品な夫婦は珍しいのではないか。そう言えば1週間ほど前、嵯峨のスーパーで上品な80代の夫婦を見かけた。どちらもとても小柄でふたりで買い物袋に商品を詰め込んでいた。前述の夫婦のような洒落た雰囲気はないが、真面目に働いて家庭を営んで来た様子がありありと伝わり、大切にすべき骨董品のような趣があった。経済的な余裕がなければ彼らのようにはなり得ず、今後の日本の高齢者がますます二分化して行くであろうことを思う。増加する一方のひとり暮らしの高齢者は、80代の夫婦が労りながら出歩く姿に対し、羨望の思いを抱くのではないか。それは結婚願望がありながら結婚出来ない若者も同じはずで、独身が気楽でよいという考えは強がりに過ぎない。待合ホールでは、買い物車を押すこれも80代の、背を曲げてゆっくりと歩を進める女性が目に入った。顔に皺が目立ち、とても厳しい表情で、ひとり暮らしであろう。若い頃はかなり個性的な美人であったことは目つきや口元などからわかる。今はどちらと言えばみすぼらしい身なりで、黒のカーディガンを着て、灰色のスラックスを履き、右足の膝をハンカチで縛っていた。誰でも80代になれば彼女のようになるかと言えば、そうとは限らないが、ひとり暮らしであれば前述の老夫婦と違って孤独さはひとしおだろう。それでも生きている間は病院に通ってでも不安を取り除いて生きて行かねばならない。筆者はその女性の若い頃を想像してみた。何人かの言い寄る男性がいて、結婚もし、子どもも得たであろう。そしてあちこちで働いたが、今は年金暮らしか。夫に先立たれたか、離婚したか、近所では声をかけてくれる人も少ない。家にいる時はTVの前にブックエンドのように座っているかもしれないが、ブックエンドは本来は二個一組だ。それは前述の老夫婦にふさわしい言葉かもしれないが、ゆっくりにしろ彼らは買い物車の世話にならずに歩く。家内が戻って来て薬の代金を機械で支払い、そして隣りの薬局の建物に向かった。そこはもっと涼しくて心地よい。そうこうしていると、先ほどの買い物車を押す女性が薬を受け取って帰るところであった。表情は相変わらず真冬の厳しさで、前方斜め下を見つめながら買い物車を押す。玄関を出る前に立ち止まり、大きな黒い帽子を被った。近くに住んでいるのだろうか。あるいは最寄り駅までの送迎バスを利用するのか。17歳でも自殺したり、事故に遭ったりして心身が不自由になることはあるが、道具と同じ人間の体は、80代になれば1年でがらりと様子が変わりやすい。若い頃には想像しなかったほどに疲れやすくなり、またよく躓いて骨折もする。とはいえ、そんなことに若者は全く無関心で、また誰も87歳の病人のカルテに関心はない。それで高齢者はみな自分の殻に閉じこもり、昔のよかったことに時に陶酔し、苦しい現況に耐える。