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●神社の造形―大原神社
なる空間を近年で最も感じたのは大原野神社の奥の鳥居をくぐった明るい境内で、時が止まったままの空間を感じた。そこに佇んだのはごくわずかな時間だが、再訪したいとは思わない。



●神社の造形―大原神社_d0053294_01092968.jpg
そのごくわずかな時間があまりに鮮烈で、今後も同じように思い出せるからだ。またそうするほうが何度も訪れて最初の印象に微妙な違いを加えて行くよりもいい。そのことを「慣れ」と言っていいが、聖なるものは慣れては駄目だ。「慣れ」は緊張をなくすからだ。この聖なるものはたとえば好意を持ち始めた異性に対しても持ち得る。気になる相手とようやくデートに漕ぎつけ、その時に心地よい緊張が得られれば、また次のデートへと期待が膨らむ。そのようにしてお互いに相手のことをよく知って行くが、慣れて緊張が消えてから結婚するか、結婚してから慣れて緊張がなくなるかのどちらにしても、男女が一緒に暮らすことは緊張がなくなって行くことでもある。ただし、本当はそれでは駄目で、どこかに緊張を残しておかねばならない。それはよそよそしさというのではない。お互い聖なるものを持ち続け、そこを侵さないようにすることで、尊敬と言い換えてもよい。筆者が大原野神社を再訪しなくてよいと思っていることは、一度だけ会って充分満足する人物が存在すると思っていることでもある。何度も会うことで緊張を失いたくないと言えばいいか、相手の謎めいたところを残したまま、つまり距離を保ったままでよいと思う場合がある。それは慣れて緊張を失えば、その人の嫌な面が見えたり、案外底の浅いところを見てしまったりすることを恐れているためとも言える。簡単に言えば幻滅したくないのだ。慣れて緊張をかなり失いながらも、どこかに慣れずに緊張を感じる相手が理想的で、これは相手の内面が底なしに豊かであることを意味する。その豊かさとは知性や優しさで、後者は幼少時から備わっているもので、努力ではまずどうにもならない。そこでまた神社を思うと、これは鳥居や社という形あるものを定めて、それがある場所が神の魂が宿る聖なる場所と思わせることが慣れとして定着したもので、造形的にきわめて高度な完成を成したものだ。また造形物はそれが置かれる空間の周囲との調和が必要だが、鎮守の森といった豊かな樹木は人の多く集まる都会では難しく、境内が民家などの建物に取り囲まれている場合が珍しくない。それはたとえば大原野神社のように緑が豊かな神社とは違うものの、鳥居とその奥の本殿さえあれば、反射的に人々に聖なる場所であることを想起させる。この記号性に反応して聖なるものを思い起すことは人間ではあり得るか。あるとすればそれは巫女や神官のように特別の衣装を身にまとった場合に限られ、それ以外ではきわめて個性的な服を着ることだが、ただちにある型として分類され、また俗っぽさを払拭出来ないだろう。結局人間の聖なる雰囲気は衣服ではなく、顔や身振りから滲み出る。
●神社の造形―大原神社_d0053294_01100670.jpg 今日は先月23日、祇園祭の後祭に家内と出かけ、大船鉾を見ようと四条烏丸から四条綾小路に向かった際に見かけた神社を紹介する。撮影しながらほとんど忘れていたが、それなりに思い出があるので触れておく。この神社が大原神社という名前であることを今日の最初の写真を撮る時に初めて知った。撮影中、前を自転車が走り抜け、たぶん少し入ったと思ったところ、鳥居を遮っておらず、どうにか使える。2枚目は鳥居の奥、3枚目はその奥に向かって右手でこれは稲荷社で、西を向いている。筆者がこの神社の境内に入った最初は2002年7月の祇園祭の夜で、大変な人出であったのでたぶん宵山だ。同年は綾傘鉾が復活し、それに使用される傘の周囲を取り巻く友禅染がこの神社の境内の、3枚目の稲荷社の参道を挟んだ真正面で初公開された。以降毎年同じ場所で展示されている。2003年からか、西陣織の鉾飾りも作られ、友禅のものと隔年で巡行に使用されることになったが、数年後にはどちらも使われるようになったと記憶する。友禅のものは当時人間国宝の森口華弘による制作で、四君子を画題にしたものだ。西陣織のものが用意されたのは、染織品は脆弱であり、また京都とは染めと織りが一対の工芸文化として長い歴史を誇っているからでもある。先週の前祭の巡行をTVで見た時、この友禅染の飾りは、箱に入れていた時の折りたたみ皺がかなり目立ち、せめて蒸気を当てて皺を伸ばして使ってほしいと思った。それはともかく、2002年以降数年は毎年この綾傘鉾に使用される染色品を宵山や宵々山の夜に見に出かけたが、今年のように人気のない昼間に訪れることは初めてで、改めて境内の狭さを思った。大原神社は大原野神社とは関係がなく、福知山の大原神社の出張所となっている。それで狭くてもいいのだろう。筆者は福知山に知り合いがなく、またその地に関心もないので、今後も大原神社を訪れることはないと思うが、その小さな神社が京都のど真ん中にあることはどういう経緯によるのだろう。ネットには江戸中期より双方の間に金銭トラブルが生じたが、綾傘鉾が復活する前年に関係が元に戻ったとある。生々しい話だが、綾傘鉾を復活させようという町衆の意気込みによって関係が戻った。2002年当時、森口華弘は作家として絶頂期にあって、友禅染の作家が祇園祭の山鉾に使われる装飾品を作ることは当時前例がなく、筆者は大いに関心を抱いた。その後景気の悪化に伴なって友禅作家の華々しい活躍は鳴りを潜め、また復活した綾傘鉾の飾りを友禅染で作ったことを知る人も少なくなっているだろう。染織品は消耗するもので、祇園祭の山鉾に使われる種々の染織品も劣化すれば新たに作られている。綾傘鉾の飾りを新しく作るとすれば、筆者がとっくにいない2060年頃か。また出来れば顔や身振りに聖なる雰囲気を宿す作家に作ってほしいが、友禅という形だけ守ればいいとも言える。
●神社の造形―大原神社_d0053294_01110452.jpg

by uuuzen | 2019-07-28 23:59 | ●神社の造形
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