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●神社の造形―大将軍神社(東三条社)、その3
いた話題とは無縁のような筆者のブログだが、東山三条の大将軍神社は去年9月の台風の際、TVで大きな被害を受けたことが紹介された。すぐに出かけることはせず、今頃になって思い出して写真を撮った。



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沸いた話題のその後を知るのにTVはあまり役に立たず、自分が動くしかない。建物だけではなしに境内の樹木もかなり被害を受けたようで、何となく明るさが目立ったが、グーグルのストリート・ヴューを確認すると、昨日触れた「荒熊稲荷社」は去年9月の台風ではなく、2月の時点で社に青いシートが被せられている。また今日の最初の写真はその新しくなった社の北側にあるエノキの巨木の切り株で、これは去年2月には同じ姿になっていた。またそれ以前の写真によればこの木は「荒熊稲荷社」に向かって傾いていて、それが倒れたので社が崩壊したようだ。その正確な時期がいつかだが、おそらく2年前の秋だろう。今ネットで調べるとそのとおりだが、当時TVニュースになったかどうかは知らない。京都新聞を読んでいればわかったはずだが、筆者は京都に住んで以来、この新聞をあまり読まない。このエノキの樹齢がどれほどであったのかは知らないが、かなり太く、高さ20メートルで、百年や二百年は経っていたはずだ。また今日の写真にあるように御神木の銀杏と同じく、「区民の誇りの木」の札があって、「荒熊稲荷社」の御神木であったのだろう。切り株状態になれば「区民の誇りの木」とは言いにくいとしても、当分はここに巨木があったことを伝えるにはよい。またこの木が倒れたことで「荒熊稲荷社」の一対の狐の石像の一体が下敷きになったそうだが、割れなかったようで現在は元の位置にきれいに手入れをされたうえで据えられている。一回り小さくなった社は同じ場所に同じ向きで建てられ、そのうち境内に馴染む。樹木があると神社らしくていいが、巨木になると倒れた時の被害を受けやすく、近年の異常気象によってその可能性が増している。異常気象は人間の開発が原因でもあるようで、そのことをこの大将軍神社は端的に表わしているように思える。ここ数十年で神社の周囲に高い建物が出現し、神社は周囲の建物に囲まれた谷底にあるかのようだ。それらの建物は方除けを見て建てられたはずだが、結局は土地建物の所有者は自分のつごうのよいように解釈し、時には法律を犯しても平気という場合すらある。高い建物が周囲に建つと、地下水の流れや日照が変わり、また頻発する異常気象によって数百年生きて来た老木は寿命を早めるだろう。ともかく、2017年の「荒熊稲荷社」の倒壊に続く2018年の拝殿の倒壊は、大将軍神社周辺が激変して来ていることと関係があると思える。それはこの神社周辺の再開発が著しいからで、京都はこの東山三条南と似た地域の東山七条の崇仁地区に芸大を移転させる計画で、同和問題に絡む再開発が進行中だ。
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 今日の2枚目の写真は本殿の東、つまり境内の東北にある隼社で、工事業者の車が並んでいたことと、また一昨日書いた女性が先に社の前に進んで拝み始めたこともあって、遠目に撮影した。さまざまな木が雑然と生えていて、せせこましい感じがする中、リュックを背負ったその女性の後ろ姿と、右手に青銅色の神馬像が見えている。この神馬像を東近江市内の神社を巡った時、いくつか見たことがあるが、狭い京都市内では比較的珍しいのではないか。隼社が隼に関係があるのかどうかだが、ネットでは「隼(はやぶさ)社」は「ハヤクサ」の訛りで、「瘡神(くさのかみ)」とある。筆者が子どもの頃はデキモノが顔その他に出来る子どもが多く、深緑色の軟膏で「タコノスイダシ」という薬があった。漢方薬を中心にしたものと思うが、抗生物質が珍しくなくなってデキモノのある子どもを今はあまり見かけない気がする。その一方、もっと厄介なアトピーが出現し、その特効薬がない。食生活が変わり、また清潔になったのはいいが、それでデキモノとは違う皮膚病が現われた。それは進歩とは言い難い。そこで神頼みとしてたとえば隼神社が創られたことを笑うことは出来ない。医学がどのように進歩しても解明されないことはある。そのひとつの代表がアトピーで、これが治癒するようにと拝むことは心の平静を保ち、少なくても治癒とは反対方向の行為ではないはずだ。そのように、拝むことは望む方向への期待を込めてのことで、神社は目に見える形で人のそうした行為を後押しする存在となっている。だが、今では御利益は金運とそれに深く関係する良縁がもっぱらで、瘡封じを宣伝する神社は希ではないか。平安時代、この大将軍神社のある辺りは「東三条の森」や「鵺の森」と呼ばれ、鬱蒼とした森であったが、今は御神木の銀杏の木も細く見え、森が林になったような明るさだ。鵺も隼も住めなくなり、人と車のみが右往左往する。そのことは嵐山の「風風の湯」の前の桜の林も同じで、30数年前に比べ、樹木は半減し、また背丈も低くなった。今日の3枚目の写真は東側の鳥居で、そこを出て北に向かう間、村山造酢が造る酢の香りが強く漂っていた。筆者はこの酢を一度だけ一瓶買ったことがあり、他にない香りにさすが値段だけはあった。その独特の味はこの会社だけの建物に住みつく菌のお蔭だ。もっと安価で全国で知られる酢があるが、画一性はどの分野にも及び、アトピーもそのことに大いに関係があるだろう。個性を育むべしと言いながら、個性のある者は集団から排除され、頭角を現わしても落ち目になるや総叩きだ。洲之内徹が紹介した村山造酢とその背後の銀杏の神木を描いた画家は確か発狂して自殺した。樹齢800年からすればその青年が仰ぎ見てスケッチした時間は瞬間にもならない。この神社から見てもそうで、話題沸騰になることがなくても、同じ場所で存続してほしい。
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by uuuzen | 2019-07-21 23:59 | ●神社の造形
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