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●神社の造形―大将軍神社(東三条社)、その1
路」か「岐阜」かどちらを使おうかと思い、前者にする。冒頭の一字を青にしていた頃も「岐路」を使った気がするが、それを調べずに先を書く。なお、今日から3日間は15日の投稿に少し触れたが、岡崎に行く前に訪れた東山三条の大将軍神社を取り上げる。



●神社の造形―大将軍神社(東三条社)、その1_d0053294_22125813.jpg
さて、20代前半の筆者は家内との交際中、別れるかどうかの瀬戸際に「岐路」の言葉を家内に向けての手紙に使ったことがある。家内はそのことを忘れているはずだが、筆者にとっては思い出深い。その後40数年、家内は筆者の価値観に沿って生きて来たが、それは岐路に立った時、筆者の採る道に同行して来たことであって、また筆者は同行者がいるので勇気づけられて来た。のろけを言うつもりではないが、家内と交際し始めて間もない頃、会社のある年配の独身女性から、かわいい小鳥を見つめるような眼差しで筆者と家内はこう言われたことがある。「とってもふたりは似合っているね」。その女性は30代前半だったと思うが、会社の女性では最年長組で、もう結婚を諦めているかに見えた。こうして書いていて、彼女のことをまざまざと思い出すが、彼女なりの人生を進み、生きていれば今は70代半ばになっている。筆者と家内がお似合いという言葉はその後も別人から何度か言われたことがあるが、どのようなカップルもお似合いに見えているのに、やがて別れる場合がある。これはカップルが岐路に立って別々の道を進むことだが、見えない先に対して両人の思いが違うことは致し方がない。男が間違っているのか、女がそうなのか、あるいはどちらも正しいのか、お互い先を進まねばわからない。また傍からは間違っていると見えても本人たちはそう思わない場合があるし、一昨日の投稿の最後に書いたように、一度別れた夫婦がまた一緒になることもある。岐路に遭遇してどちらに進むか。人生はその連続だ。道を間違ったと思えば引き返せばよいが、面倒と思ってそのままずるずると先へ行くことも多い。それで学べばいいが、そういう人間は最初から道を過たない。一度間違う人は似た誤りを百、千回と繰り返し、さしてまずいとも思わない。一方、「結果オーライ」という言葉を好んで使う人があるが、結果は常に次の結果への過程であって、「結果オーライ」は一時の気休めだ。なので、筆者はその言葉を好まず、使ったこともないが、その「結果」を「この瞬間の自分の思い」と自覚している。それは岐路に立って進むべき道の選択を間違わなかったという自負というおおげさなものではないが、現在の自分の状態は自分が選んだものという思いに揺らぎはない。なので、誰かを羨むことが全くない。後悔がなくはないが、それを岐路にあって道を間違ったこととは思っていない。後悔は思い悩んでもどうしようもないことで、気になっていることに時間を割くのがよい。それは目前に現われている岐路に対処することだ。
●神社の造形―大将軍神社(東三条社)、その1_d0053294_22132206.jpg
 去年9月の台風で東山三条の大将軍神社の拝殿が倒壊したニュースをTVで見た。この神社は三条通りから少し南に入ったところにあって、これまで筆者は三条通りからちらりと眺めて来ただけで、境内に入ったことはなかった。三条通り沿いに村山造酢という会社があって、前を通ると酢の匂いがするが、木造から鉄筋コンクリートに建て変わったのは10数年前だろう。村山造酢の背後すなわち南隣りに大きな銀杏の木がそびえていることを筆者は京都に住むようになった頃から知っている。それほど目立つ巨木だ。またこれは以前に書いたことがあるが、この銀杏の木をさらに意識するようになったのは、芸術新潮に連載されていた洲之内徹の『気まぐれ美術館』だが、その連載初期の頃に、洲之内はある若い男性画家による村山造酢やこの銀杏の写生の図版を紹介したことを市立中央図書館で借りた単行本によって知った。激しいタッチで、その画家はほどなくして自殺したが、関東から京都にやって来てこの銀杏の木に目を留めて描いたことが興味深い。このブログに「神社の造形」のカテゴリーを設けて以降、筆者は何十回と村山造酢の前を歩いているが、銀杏の木を神木とする大将軍神社に行かなかった。その意識もなかったと言ってよい。それはこの神社界隈が京都人があまり足を踏み入れない地域であることを知っていたことと、岡崎に行くのに三条通りを利用し、その脇道を南に下がる理由がないからであった。だが、去年の台風で被害を受けたことで改めて存在を思い出し、そしてようやく台風から10か月も経って訪れた。これは岐路に遭遇して迷ったというより、気になっていたことをこなしたに過ぎないが、30年かそれ以上も気になりながら、また三条通りからわずか20メートル踏み込めばいいものを、そのままにしておくというのは、人間はよほど関心を抱かない限り、身近にあってもそちらに動いて行かないものぐさであることを思う。ま、これはずぼらな筆者に限ってのことかもしれないが。拝殿はまだ完成しておらず、青いビニール・シートと業者の車が目立った。拝殿だけではなく、樹木もかなり倒れたが、銀杏の木は無事であった。これは樹齢800年とされ、殿のすぐ背後にあって、北側は村山造酢なので、北風はその会社の木造よりもかなり高くなった建物で遮られる。今日の最初の写真は境内西の鳥居で、2枚目は鳥居を入って突き当り、左は「天満宮」だが、左端に緑色のコーンが見える。これは工事中の拝殿の境界を示し、写真左上隅に工事の一端が見えている。3枚目は2枚目の右端に写る「白龍辨財天」だ。境内の中央の拝殿が工事中であるので、参拝客は境内の端をぐるりと一周するしかない。寺社を巡って朱印を集めることが流行っているので、珍しくはないが、観光客らしき40代の女性がひとり参拝していて、それぞれの社の前で熱心に拝んでいた。岐路に迷っているのだろうか。
●神社の造形―大将軍神社(東三条社)、その1_d0053294_22180995.jpg

by uuuzen | 2019-07-19 23:59 | ●神社の造形
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