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●神社の造形―平安神宮神苑の地主社
能であれば平安神宮は建都1100年に際して千本丸太町に大極殿を設置し、それを中心に出来ていたが、用地買収が出来ずに畑が広がっていた岡崎に造られた。そのことは以前に書いた。



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千本丸太町西北の児童公園内に大極殿跡の石碑があるが、朱雀大路は現在の本通りとされ、大極殿は千本丸太町交差点にあったと考えられる。周辺は住宅や店舗がひしめいて観光になるようなものがないが、その地域に平安神宮が出来ていれば岡崎はどういう活用がなされていたかと思う。平安神宮の大極殿は8分の5サイズで復元されたが、原寸が難しかったのは、やはり用地の買収資金が不足したからか。現在の平安神宮を千本丸太町を中心に嵌め込んだのが今日の最初の画像で、その状態で平安神宮があれば、東に御所、南西に二条城があって、京都の中央が現在以上に緑豊かで古都らしくなったし、千本丸太町西北にあるいくつかの寺の境内にもかからない。赤で記した東西の丸太町通りと南北の千本通りは途切れるが、周辺にある狭い道を拡幅すればよい。岡崎には「勝」の文字を含む寺が確か6つか7つあったのが、みな移転して美術館や都メッセが建った。そのため、千本丸太町を中心に平安神宮をどうにかして造っておけばよかったと思うが、明治時代でも断念したからには、もう将来も無理だろう。建都1200年記念として平安神宮に匹敵する歴史的建造物を何も遺せなかったからには、1300年祭ではさらに無理だろう。文化庁移転で何百年も先を見据えた京都の改造が行われるかと言えば、社神には手をつけられず、せいぜいいくつか建物を造って土建屋が潤うだけのことだ。それはさておき、千本丸太町に平安神宮が造られていたなら、神苑の池の水はどこから引いたであろう。現在の神苑は疏水から引く。神苑を造った小川治兵衛は無鄰菴の庭も手がけ、やはり疏水の水を利用した。ちなみに無鄰菴は平安神宮南西500メートルにあり、その庭については9年前の「無鄰菴、その3」に書いた。千本丸太町近くに水源がないならば、二条城の濠の水をどこから引いていのか。これは二条城南の神泉苑の湧水と、ポンプで汲み上る地下水を利用している。千本丸太町では神泉苑の湧水を使うことは無理で、地下水を使うしかなく、その点は大丈夫であったと想像する。ともかく、明治半ばでは街中は住宅がひしめき合い、平安神宮は辺鄙な場所に造るしかなかった。現在の岡崎は美術館や図書館、動物園を擁する文化地域で、そこに平安神宮があることに市民は馴染んでいるが、それは神社を文化施設と感じることでもある。千本丸太町に出来ていれば、現在の岡崎と同様、周辺に美術館や図書館を設けるべきと思うが、千本七本松に市立中央図書館があることから、千本丸太町を中心に文化ゾーンが出来ていたであろう。筆者にはそのほうが便利でよかった。
●神社の造形―平安神宮神苑の地主社_d0053294_23431671.jpg
 15日は平安神宮の神苑を巡りながら、一昨日書いた臥龍橋のそばで作業員たちを見かけ、その背後に石の鳥居があることに気づいた。鳥居を真正面から撮ろうとすると、背後の池に落ちそうなので、斜めから撮った。それが2枚目の写真で、駒札に「地主社」とあった。鳥居をくぐると左手奥の数段の石壇上に社がある。3枚目の写真がそれで、神苑の東北の鬼門に位置し、大地主神を祀り、鬼門鎮守と除災招福の神徳があるとされる。平安神宮を造った当時からこの場所にあったならば、神苑内に囲い込まず、神苑から外すか神苑と外部の境界上にあってよさそうだが、写真からは何となく外部からも入れそうな気がする。社の背後が明るいのは会社の敷地で、その建物があるからだ。神苑を巡っていても気づきにくい神社だが、社の右手前の細い木に縦長の小さな黒い賽銭箱がくくりつけられていて、入苑料を支払ってお参りする人があるのだろう。外側から出入り出来る扉があるにしても、会社の敷地を通る必要があるし、外側から出入り可能とすればそこにも普通は鳥居があるはずだ。平安神宮以前からこの地にあった神社とはいえ、この地は会社や幼稚園、それにすぐ北は丸太町通りで、何代にもわたって熱心にお参りする民家はないだろう。千本丸太町よりも用地買収がたやすかったことは、現在の平安神宮の敷地の大部分が田畑で、民家はあっても数えるほどであったのだろう。となれば、立ち退く必要のある寺社もなく、かろうじてこの地主社があったと想像するが、現在と同じ場所であったかどうかはわからない。おそらく別の場所にあったものを神苑の鬼門に移したのであろう。鬼門はきれいに保つべきと聞くが、確かにこの社はやや陰鬱な感じが漂いつつも掃除は行き届いている。これは出入りの造園業者ではなく、平安神宮に勤めている人たちの担当と思うが、そう言えば入苑時に証書のカードを提示したのは若い女性で、筆者は彼女が4月15日の例祭で舞い踊った4人の巫女のひとりと直感した。当然例祭以外に巫女の出番はよくあるはずだが、毎日式典はないはずで、また4人いれば交代で神苑の受付をすることも出来る。神苑を巡っていればわかりにくいが、平安神宮には建物が多い。家内の銘は10年ほど前に平安神宮で結婚式を挙げ、披露宴の席には筆者も参列した。一流ホテルに比べるとかなり安価であったそうで、自然豊かな神社で結婚式をするのはいい。そう言えば梅津の従妹の息子ふたりは松尾大社で結婚式を挙げた。その披露宴に使われる建物内部で自治連合会の総会と食事会があって、筆者は一度だけそれに出席したが、それはとても立派で食事もよかった。ところがその後大社側の大幅な値上げによって自治連合会としては使いにくくなり、別の料亭を使うようになった。神社も経営が大変だが、氏子と対立せずに歩み寄りすべきではないか。
●神社の造形―平安神宮神苑の地主社_d0053294_23435506.jpg

by uuuzen | 2019-07-18 23:59 | ●神社の造形
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