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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『文房四宝 清閑なる時を求めて』
飾の凝ったものが美しいとされるが、その限度があり、実用からあまりにかけ離れると脆弱な感じが増す。文房四宝とは、筆、墨、硯、紙のことで、この言葉を筆者は榊莫山の本で昔知った。



●『文房四宝 清閑なる時を求めて』_d0053294_01395224.jpg先月25日、難波でのライヴハウスに向かう前に本展を東洋陶磁美術館で見た。とてもいい内容であったので、最終日の30日に家内が高槻在住の義妹を誘って見に行った。義妹は書道を長年やっていて、本展は書の作品は並ばないが、書に関係する宝物を見ておくことは目にも心にもよい。珍しい展示内容でもあって、筆者が訪れた時は普段以上に人が多かった。また写真撮影は自由で、筆者は最も気に入った印材の中から1枚撮影し、その他はブログを書く際の参考にすべく、説明パネルを撮って来た。それらの説明をかいつまみながら以下に感想を書く。まずは筆で、13本が展示され、チラシやチケットに印刷された具利文のある明時代の堆朱、堆黒のものが大半であった。筆者の隣りで見ていた70歳くらいの女性ふたりが具利文とは何かを話し合っていて、ひとりは「文様がぐりぐりとしているからかな」と言った。それは正しく、同じ文様は盆や茶入れなどの文物にもよく使われている。堆朱は赤や黒などの色の漆を何層にも塗り重ね、そして深く文様を刻んでその断面をバウムクーヘンのような色の縞模様にする技法で、それはチケットの具利文からもわかるが、凹凸の差が大きいので握った時に手に馴染みやすいだろう。現在も同じ技法による筆が作られているのかどうか知らないが、筆記用具が多様化し、今では高級なものは万年筆の印象が強い。蒔絵を施したものは数十万円はするが、手作りは高くつくという感覚が機械がなかった頃以上に浸透しているとすれば、それはまともなことだ。宝とはそのように手作りしたもので、機械で量産したものから今後宝とみなされるものはほとんど生まれないだろう。万年筆でさえ使わないネット・ライフの人々は、宝物をパソコンやスマホに求めるかもしれないが、数年で機種が古くなって処分の対象になる。つまり、現代は宝物を生めず、求められもせず、いわば本展に並んだ古い文物が宝の言葉にふさわしいものとなっている。そしてそれらは宝であるので傷をつけるなど消耗させてはならず、手に持って愛でるのがせいぜいで、美術品としての格を持っている。だが、最初からそのようにして使用を意図しなかったのではなく、さんざん使われた中から生き残ったものだ。説明パネルには、新石器時代の陶片に残される符号文字に筆の使用が認められるが、現存最古の筆は湖南省長沙近くの楚時代の墓から出土した紀元前8から3世紀のもので、筆管は木、筆頭(鋒)は兎の毛を使っているとある。これは今後の発掘によってもっと遡り、筆先に水気を含ませると、木片よりも長い線を描けることを知っていたと考えてよい。
●『文房四宝 清閑なる時を求めて』_d0053294_01401950.jpg
 説明パネルの続きは、秦時代に筆は改良され、各地で違っていた名称も「筆」に統一され、秦篆や隷書の書体が生まれた。漢にかけて紙の製造が進み、篆書から草書、隷書から楷書が作られ、楷・行・草の三体が普及した。一方で鋒は兎以外に狐、栗鼠、羊以外に鳥や植物も用いられるようになった。筆管の装飾は唐から発達するが、消耗品ゆえに明以降のものが多く現存する。材質は金、銀、象牙、犀角、瑪瑙、漆、七宝、竹、木彫りなどを使い、16,7世紀は書画の名人とともに筆匠を輩出し、清時代は豪華な筆が作られ、爛熟期を迎える。次に墨だが、これは説明パネルがなかったか、見落とした。だが、ラスコーの壁画を思い出すまでもなく、松明を燃やした後の煤で洞窟の中に壁画を描くことを人間は思いつき、墨は人間が道具を用いるようになったと同時に知った絵具であろう。榊莫山の本から墨は松煙墨と油煙墨に大別されることを知ったが、青みがかった青墨というものもあって、筆者はこれを染色にたまに使う。松煙墨と油煙墨は燃やして得る煤の素材の違いで、前者は松材、後者は種々の油で、どちらの墨が高価というものではない。青墨は青の顔料を少量混ぜたものだが、墨には煤を固める膠以外に香料も混ぜる。本展で並んだものは大半は未使用でまた表面に仔細な絵模様の彫りが見られ、また外形を小さな慈姑そっくりに模すなど、使うにはもったいないと思わせるものばかりであった。これらは実用に向かないかと言えばそうではなく、質のよい墨であることに加えて凝った装飾を施したものだ。展示されたものは明末期から清中期のもので、表面の文様や文字が見えにくいものはその拓本も展示された。これを墨と見比べると、はるかに拓本のほうが彫りの細かさがよくわかり、技術の高さを思い知る。またこうした彫りはまだ柔らかい墨を型に嵌めて作ったもので、同じ墨が複数存在したはずだが、使ってしまう人もいて、本と同じように完品は年を経るごとに減少して行く。次は硯で、説明パネルをかいつまむと、硯は筆、墨とともに古代から存在が知られ、新石器時代の遺跡から現在の祖型が発見されている。素材は石のほかに漆、陶器、鉄もあるが、三国時代から陶硯が多くなり、隋・唐では灰釉、青磁のものが見られ、唐では亀形の陶硯など、動物硯や器形硯など形が豊富になる。材質の多くは石で、端渓が最高とされた。宋時代、広東省にはその石を採掘する坑が70ほどもあって、元・明でも採掘は続き、明末期は老坑から良質の石材を産出した。色と質はさまざまで、紫がかった潤いのあるものが最上とされ、また動物の目に似た紋のあるものが特に珍重された。本展にはこの「眼」と呼ばれる文様がたくさんあるものが展示されたが、樹木の節のような目が石にあるという自然の妙を愛でる思いはよくわかる。
●『文房四宝 清閑なる時を求めて』_d0053294_01410777.jpg
 榊莫山の本で端渓石に並ぶものとして欽州石があると知ったが、これは唐の時代の安徽省から産出し、青黒くてねっとりとし、石文、石彩に富むが、宋にかけて次第に衰微した。また澄泥硯も有名で、これは陶硯で河の中の泥を使って唐から宋にかけて造られた。次は紙で、これは前漢の出土例があるが、後漢の蔡倫が植物繊維を用いて薄く改良したとされる。正倉院の唐時代の紙はよく知られ、芸術的に高い完成度にあったことがわかる。唐では彩色した紙が流行し、金粉を蒔いたものは文様を描いたもの、胡粉を施したものなどが宋にかけて作られた。これらは古くから工芸が発達した蜀(四川省)で製造され、日宋貿易によって11世紀の日本にも運ばれたが、元になって製造は安徽省や江西省、浙江省に移った。紙の素材は六朝時代は麻が主流であったが、楮紙がむしろ好まれていた。唐では浙江省や江蘇省などで竹紙も作られ、五代に始まる印刷術によって改良が加えられ、北宋の福建省でも竹紙が作られた。明になった製紙業が盛んとなり、皇帝専用の豪華なものも作られる。清では唐や宋の代表的な紙の倣製が行なわれた。本展に並んだそうした豪華なものはよほどの能筆でなければ紙があまりにもったいないと思わせ、使うことが惜しい墨と同じく、鑑賞用と言ってよい。一度見ればその繊細な手描きの文様を表面に持つ紙は忘れ得ず、宝物と呼ぶにふさわしいことがわかるが、皺が生じやすい紙であるだけに、展示のために移動させることも所有者としてはしたくないものだろう。さて、文房に必要なものとして、他に諸具と印が展示された。前者は水滴、筆洗、筆筒、筆架、墨床など、それに紫砂壺があった。水滴や筆架は東洋陶磁美術館には李朝のものが常設展示されていて、説明は不要だろう。紫砂壺は素焼きの急須で、日本の常滑のそれを思わせるが、赤茶色というより、紫色に近い。急須は文房で文人が煎茶を嗜むために必要なものだが、最近筆者は変わった形の急須を入手した。今日の最初の写真がそれで、橋の形をしていて急須には見えない。実用には不向きで、装飾だらけの作だが、てっぺんの三角の屋根が外せるようになっていて、そこから湯を注ぐ。まだ入る量を測っていないが、煎茶用なので多くて180ml程度だろう。底に「大清乾隆年製」の刻印があるが、当時のものかどうかわからない。今はお土産でいくらでも模作が買えるはずで、こうした変わった形のものならば置物にもなって楽しい。中央下の半円穹の空間には舟とその漕ぎ手の像があって、文人趣味にかなっている。また、ヴェネツィアの有名なリアルト橋に似た形で、清時代に中国とイタリアが強くつながっていたことを思い合わせると楽しい。アメリカの有名な陶芸家に髑髏を象ったものがあるが、そういう発想はもちろん中国のこうした異形の急須にある。
●『文房四宝 清閑なる時を求めて』_d0053294_01415371.jpg
 さて、残るは印で、筆者はこの展示コーナーが一番よかった。どれも小さいもので、50点ほどあり、2点を除き、明、清のものであった。説明パネルによると、中国で印章が盛んに用いられるようになったのは春秋戦国時代(前8-前3世紀)で、階級制度の確立と命令伝達の必要性からであった。宋になると刻印された文字や記号を研究する金石額が始まり、古印は鑑賞や収集の対象となり、そこに彫られた篆刻を明時代の文人が楽しむようになった。それは彫りやすい石材があったためで、初めて石を使ったのは元末明初の画家、王元章とさて、篆刻は文人が教養の高さを示すものとして、「書、詩、画、篆刻」の四つの芸術のひとつとされた。文人は美しい印材を求め、その代表的産地として福建省の寿山、浙江省の青田、昌化が挙げられる。特に寿山は有名で、田黄は印材の王者とされ、透明度の高い凍石、温かみのある色合いの芙蓉石など多くの佳石を産している。青田は印材の地としては厄から知られ、白、黄、緑、紅、青を基調としたさまざまな色調の石や凍石がある。また昌化は深紅の色で知られる鶏血石で知られる。寿山や青田、昌化の印材は美しい質感以外に細かい篆刻に耐える硬度を持ち合わせていて、こうした産地は中国でも限られ、篆刻が最盛期を迎えた乾隆年間には堀り尽くされたという。篆刻、印材のほかに見るべきものは鈕の彫刻で、六朝の金属印を模したもののほか、獅子や亀、象などの動物や青銅器を思わせる饕餮文などさまざまな形のものが彫られた。「掘り尽くされた」というのはいかにも何事も徹底的にやる中国らしく、人間の欲の凄まじさを思わせるが、実際は中国だけではなく、どの時代のどの人間でも同じだ。生物ならまだ新たに生まれて来るからいいようなものだが、それでもウナギが激減していると聞くと、人間の欲望の限りなさを思う。それが鉱物であれば、取り尽くせばもう出現することはない。そして現存するものはますます価値が高くなるが、彫りの巧みさとなれば清時代にかなうことは不可能なはずで、文人の世界に憧れる人にとってはこれらの印材はガラス越しに見るだけでもめったにない心が潤う機会であった。その色合いや手触り感は写真では伝わらないが、会場で撮った2枚を載せておく。宝石に見入るのと同じ底なしの魅力があり、筆者は生まれて初めて印材の美しさを知った。目録に今回出品された約150点の所蔵先が記されていないのが気になるが、チラシ裏面の文章には、「日本有数の文房具コレクションを中心に」とある。これは公的なコレクションではなく、所蔵を一般には知られたくない個人のものであろう。そうであるとすれば、所蔵家に出品を依頼して特別展の開催に漕ぎつけるまでそれなりの年月を要したはずで、そういう労苦を知らずに気軽に訪れて楽しむ一般客は、展示品との出会いをより深く感じ入るのがよい。
by uuuzen | 2019-07-13 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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