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●『クレーの絵と音楽』
縁の下の力が弱いと床がぐらつく。隣家の1階の床の一部を踏むと、少し柔らかく、根太が腐っているようだ。戸を締め切ったままなのでよけいに腐食が進むようで、一度部屋にある物を全部移動させて床板を剥がしてみなければならない。



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そう思いながら何年も経つが、最近隣家の3階で今日取り上げるピエール・ブーレーズが書いた本を見つけた。いつ買ったのか記憶にないが、興味が湧き、母が一時帰宅した6日に読んだ。ページの半分はクレーの絵画の図版で、2時間ほどで読破出来た。筆者は10代半ばからクレーが好きで、日本初のクレー展を見て以降、可能な限りクレー展には足を運び、図録も買っている。クレーの著作『造形思考』は出版から2年後の75年1月に買っていて、上下本で12000円をたぶん1万円前後の古本で買った。一方、ブーレーズの音楽に興味を抱いたのは20代前半で、そのことは以前別のカテゴリーに投稿した。今日はその補遺のような内容になる。『クレーの絵と音楽』は4500円で、短時間で読める本としては高価だ。ブーレーズがクレーの作品を選んだ画集の意味合いもあり、また色彩が美しいが、クレー好きでブーレーズの音楽に関心のない人向きの本ではない。原題の『Le pays fertile Paul Klee』は英語では『The fertile land』で、『肥沃な国』の邦題のほうがはるかにブーレーズの意図を汲むが、日本ではクレーの知名度はブーレーズの百倍以上はあり、本の売れ行きを考えて『クレーの絵と音楽』が採用された。訳はところどころわかりにくく、訳者が原著に忠実であろうとしたためか、あるいは理解が及んでいないのかはわからない。ともかく、そこは読み飛ばしても大意はわかる。訳者の笠岡英子は、船山隆との共訳で『ブーレーズ音楽論 徒弟の覚書』を出版していて、クレーの研究家ではないだろう。ちなみに同書も筆者は所有する。買ったのは20年以上前のことで、巻末辺りを読んだだけだ。同書の原題を訳すと『徒弟の覚書』だが、それが副題にされたことに倣えば、今日の本は『クレーの絵と音楽 肥沃な国』でもよかった。筆者が「肥沃」にこだわるのは、クレーが自作絵画につけたその形容詞がブーレーズにとても意味を持つからだ。クレーの絵画は色彩豊かで構図も単純性を基本に複雑化したもので、さまざまな種類の絵具で描いただけではなく、下地に糊を使ったり、また紙ではなく布目にこだわったりするなど、素材にも気を配った独特なものだ。子どもでも楽しいと感じる夢の国といった詩情があり、技法や素材のことを知らなくても充分楽しめるが、そういうクレーの絵画にブーレーズが魅せられた理由が本書からわかる。だが、ブーレーズの音楽はクレーの作品のように即座に理解出来ず、また世界観が全く違うと感じる人も多いだろう。
●『クレーの絵と音楽』_d0053294_01103436.jpg
 本書に書かれるようにブーレーズがクレーの絵画に初めて出会ったのは1947年7月から8月で、当時彼は22歳であった。またクレーは1940年に60歳で亡くなっている。本書がガリマールから上梓されたのは89年で、ブーレーズは42年も経ってクレーの絵画と自作曲との対比をまとめ上げた。本書で言及される彼のライヴ・エレクロニクスを併用した曲『レポン』は81年の第1稿から84年の第3稿という形で完成され、また『二重の影の対話』は85年であるから本書以前となり、91年から93年にかけて書かれた『…エクスプロザント‐フィクス…』(爆発-固定)は本書以降の作品となり、これらのブーレーズの後期の電子音を併用した代表作を聴きながらクレーの絵画を思い浮かべると、またクレーの印象がいささか変わって来る気がする。ブーレーズがクレーに嫉妬したとすれば、それは理論と詩情が見事に一致した作品世界の肥沃さだ。現代音楽がごく一部の愛好家のものに留まり続けていることをブーレーズは熟知し、クレーの絵画のように老若男女に愛される作品をなぜ現代の音楽家が書けないのかを考え続けたが、それはクレーの絵画が大衆の娯楽ではないのと同じように、娯楽音楽への道を模索するものでは全くなかったからで、たまにはブーレーズの作品に接して独特の酔いを覚えるのもよい。話は変わるが、20代の筆者はクレーの『造形思考』やブーレーズの音楽論の存在を知って、芸術家は自分の思想を文字で他者に伝えられる才能を持つべきと感じた。それは独自の理論を持つことで、その理論にしたがって創作する立場だが、シェーンベルクが音列(セリー)の表現技法を見出した時、ブーレーズはそれに魅せられ、その理論をもっと深めて自作を書こうとした。ただし、セリーの理論にしたがえば誰でも似た曲が書けるし、実際そのような硬直化が起こった。調性音楽のあらゆる可能性が試された後、12の音を平等に使って楽曲を特定の音に支配させないようにするとの考えが芽生えるのは西欧音楽では必然であったが、理論優先でいわば自動的に作曲が進むと考えるのは本末転倒で、創作行為の最初の閃きという感情、情緒、詩情といったものがなければ作品は他者の心に響かない。そのことをブーレーズはある意味ではクレーの絵画によって知り、自信を深め、勇気づけられもした。そのことをクレーの絵画に即し、また批判を交えながら本書は明らかにする。クレーはただ場当たり的な気分で描き続けたのではなく、自分の語法を要素に還元出来る造形の思考を根底に持っていたが、ブーレーズはそれをセリーの技法になぞらえつつ、痩せ細った音楽ではなく、肥沃な作品世界を生涯求め続けた。だが、その肥沃さはクレーの絵画のようにわずか1秒見ただけで把握出来るものではない。音楽は15分や40分という長さの曲を最初から最後まで聴かねばならず、また一度聴いただけはわからない。
●『クレーの絵と音楽』_d0053294_01111749.jpg そこに絵画と音楽の違いがあり、音楽の聴き手がブーレーズの曲の本質を味わうには、最初の胸をざわつかせる思いを心の留めながら、時を置いて何度もその理由を探るために聴き直すことが必要だ。しかも本来は生演奏に接すべきで、特に「レポン」のような独特な楽器編成と楽器配置の曲はCDだけでは本質が把握出来ない。筆者はCDを買ってそのブックレットに記される観客や楽器の配置図を見ながら音楽を聴いても今ひとつぴんと来るものがなかったが、幸いYOUTUBEでライヴ演奏の様子がわかり、ようやくブーレーズの意図したことが伝わるようになった。ただし、その視覚性は一度画面を見ればよく、後はまたひたすらCDの音を聴き込むべきだ。ただし、「レポン」や「爆発‐固定」は微細な音がびっしりと詰まっていて、その細部を味わうにはステレオの音量をかなり大きくしなければならない。結局コンサートに接しない限り、実感が伴なわないが、それはクレーの絵画を美術館で見ることよりもはるかに実現が難しい。ヨーロッパに住んでいてもそうだろう。そのため、「レポン」や「爆発‐固定」のコンサートはきわめて珍しいお祭りと言ってよく、またそれだけにその非日常性が心に強い印象をもたらす。また、ブーレーズがそのように巨大で微視的な作品を書いたことは、とても日本ではかなわず、西欧の音楽の歴史の貫禄をつくづく感じさせる。筆者は「レポン」や「爆発‐固定」を中世の大聖堂の精神性を20世紀に再現したような作品に思うが、一方のクレーの絵画はそのようなところがないとしても、作品の奧の作家の精神性は響き合っている。さて、クレーは最初音楽を志し、生涯ヴァイオリンを演奏し、音楽の楽しみを忘れなかったそのためクレーの絵画は音楽を思わせるようなところがあるが、クレーが聴いた音楽は当時の前衛的なものではなく、演奏した音楽はバッハやモーツァルトであった。それゆえ、ブーレーズがクレーの絵画に関心を寄せるのは、同時代人でもないので理解しにくいかもしれない。その辺りのことをブーレーズもよく感じていたようで、絵画に比べて音楽の歴史が遅れていることを認めているが、それは絵画には多い理論を音楽で新たに見出すことが難しかったからであろう。ところでシェーンベルクは絵が上手で、その作品は彼の音楽と同じ味わいがあるが、彼は12音を等しく扱う無調性の音楽技法を見出した。またブーレーズは絵を描かず、音楽を機械の設計図のようなものとして考え、音を精密かつ巨大に組み立てたが、観客を無視したような無味乾燥な作品となることを避けようとしたのは、先立つ大作曲家の作品を分析し、また指揮することで培った考えにより、強固な理論と詩情の合致を目指したが、この詩情は理論を突き詰めたところに自ずと立ち上るものか、あるいは全然違ったところからつかみ取って来るものかは一概に言えないだろう。
●『クレーの絵と音楽』_d0053294_01114798.jpg 筆者もどちらかと言えば理論を好むが、それはおそらく京都に出て来てクレーやブーレーズの、つまり創作家における理論書が多いことに気づいたからで、バウハウス系統のモホリ=ナギやカンディンスキー、その他美術史や美術評論の本をたくさん読み続けた。それはほとんど趣味だが、一方では自分の友禅染における誰も試みたことのない技法、工程で作品を作ることを目指した。そして30歳になる直前、全国規模の公募展で大賞を得たが、その作品は糯糊による防染という友禅染の基本を守りつつ、それを誰も試みたことのない技法により、一方で点や線、面をどう処理するか、また着てよく映える構図、つまり用の美を遵守しつつ、さらに衣桁にかけた時に一幅の絵画として詩情を盛ることも考慮した。題名は「5月の風と雲」で、文字どおり風と雲を表現し、雲は風で移動することを念頭に染料の透明感を守って多層的に染め出した。その作品は江戸時代の友禅染では製作は不可能で、筆者からすれば友禅の前衛を思ったものだが、糯糊を使っている点で伝統から全く外れていない。京都は伝統が長いのでさまざまな分野で革新が出て来ると言われる。ブーレーズのような才能がフランスから登場したのは、それだけ音楽の伝統が長いからで、日本ではまず無理だ。だが、彼の考えやクレーの造形思考は理解が及ぶし、また音楽家を含めて造形家は一度は彼らの考えに分け入ってみるべきだろう。本書の話に戻ると、今日の2枚目の写真の左はクレーの1929年の「肥沃な国の境界に立つ記念碑」で、右が同じ年に描かれた「肥沃な国の記念碑」だが、前者は本書の巻頭、後者は巻末に掲げられる。前者は右から左へと順に倍々の分割がなされ、また左に行くほど多色で彩られる。これは右側が砂漠、左側が植物豊かな肥沃な土地を表わしていることは題名から誰の目にも明らかで、しかも中央にその境界に立つ記念碑が浮かび上がる。単純に倍々分割することだけで絵画を構成することはおそらく誰しも思いつく。だが、そこに詩情を盛るには内面に縁の下の力持ちとしての肥沃な感情と冷静な思考が欠かせない。3枚目の写真は本書でも言及されるヴィル・グローマン解説のクレーの画集の巻頭に掲げられる、1929年の「大通りと横の道」で、『造形思考』ではこの横縞に遠近法的な斜線を交差させる図を使った説明がある。そこからこれら3作品を見ると、理論がいかに豊穣な作品を生むかがわかるが、それはクレーであるからで、凡庸な画家では設計図のような図になる。線と面の構成にどのような配色を施すか。それは筆者の「5月の風と雲」も同じで、抽象の形態に詩情を表現しようとするものだが、音楽は構成があっても目に見える色がない。それは音色によって各自が自由に想像するもので、筆者は「レポン」が今のところ、「マルトー・サン・メートル」の世界に明らかに通じつつ、肥沃なものに満ちているように思える。
●『クレーの絵と音楽』_d0053294_01125947.jpg

by uuuzen | 2019-07-10 23:59 | ●本当の当たり本
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