椅子の座り心地がよくない映画館が今はもうないだろう。めったに映画館に行かないようになったのは、見たいと思う映画がないというより、筆者の生活では話題の映画の情報が入って来ないからだ。

そう言えば先日「風風の湯」で常連のKさんが日本の映画を見て来たと言った。認知症の父親とそれを世話する娘との話で、ごく簡単に内容を聞いただけで見た気分になった。社会問題になっている認知症についてわざわざ映画で見たいとは思わない。娯楽として扱うには痛いテーマであるからだ。筆者は古い名画をなるべく見たいと思い、気になるものをネットで買い込んでいるが、手元に届いてもほとんどはすぐに見ず、数年や10年ほどはすぐに経ってしまう。
先日取り上げた『年上の女』もそうで、ようやく腰を据えて見る気になった。今日はその映画に使われた音楽について書くが、そのCDを買ったのは10年前ほどだ。それでもいつかこのカテゴリーに取り上げようと思い続けて来て、今日はあまり乗り気ではないが、とにかく書き始めた。先ほどアマゾンで調べるとこのCDは1万円ほどしている。製作枚数が少なかったのだろう。また日本ではこの映画が封切りされた時にドーナツ盤が発売されなかったようだ。それでも筆者はなぜかこの曲を子どものころから知っている。映画は1959年であるから筆者が小学生低学年で、もう家で母がほとんど終日鳴らすラジオを聞くともなく聞いていた。それが本格化したのは小学5,6年生からだが、3,4年生の頃に母は夏のまだ明るい夕方5時頃に筆者と妹ふたりを連れて銭湯によく通い、その帰宅後に夕食を済まして、7時には寝なさいと言われた。だが、いくら何でも7時はまだ明るく、眠れない。それでも母の言葉には絶対服従で、無理やり眠った。それはいいとして、銭湯に行く頃、それから帰ってから夕食の間、ラジオが流れていた。毎日同じ放送局であったので、同じ時間に流れるコマーシャル・ソングや番組のテーマ音楽が耳にこびりつき、今でもそれを思い出す。そういう子どもの頃に「年上の女」の映画音楽を聴いた気がするが、中学生になってからであったかもしれない。そうとすればTVでこの映画が放送され、それを見たのだろう。ともかく10代前半であったことは間違いないが、ラジオで聞いたとすれば日本でそのレコードが発売されたと思うが、これは調べてみないことにはわからない。またそれが入手出来ないので筆者はCDを買ったが、ジャケット最下段に「NEVER BEFORE RELEASED」とあるので、初めての発売だ。ただし、CDに含まれている3つの映画のカップリングとしては初めてという意味かもしれない。サウンドトラックなので、時に小さくパチパチという雑音が入っていて、またモノラルだ。だが、それが時代を感じさせてまたよい。
3つの映画は最初に『裸足の伯爵夫人」、2番目が『年上の女』、3番目が『静かなアメリカ人』で、『年上の女』以外は見ていないが、音楽を聴くととてもよい。これはいずれ見たいと思う。また作曲者のマリオ・ナシンベーネは名前からしてイタリア系だが、このCDだけでも大きな才能であることがわかる。イタリアと言えばニーノ・ロータにエンニオ・モリコーネが日本では誰でも知る映画音楽作曲家だが、ナシンベーネはそれに劣らないと言ってよい。そう思うのは筆者にとってニーノ・ロータやモリコーネ以上にこの「年上の女」の音楽が印象深いからで、こういう不思議なメロディを書く才能がいるものだと長年思い続けて来た。これは前に書いたことがあるが、10数年前あるいはもっと以前か、家内と京都の高島屋の1階で待ち合わせをして、7階のグランドホールでよく展覧会を見た。もちろん今も見るが、その頻度は大きく下がった。それはいいとして、ホールにはごく小さくBGMがかかっていて、毎回筆者はハモンド・オルガンによる「年上の女」に聴き耳を立てた。家内は仕事帰りであるから、筆者らがそのホールにいる時間帯はほとんどいつも同じ夕方で、そのためにBGMも同じ箇所を耳にしたのだろう。筆者は「年上の女」を聴きながら、それがレコードなのか誰かが演奏したものなのかはわからなかったが、CDを聴きながら、やはりそのBGMと全く同じ演奏がありそうでなさそうで、よくわからないままでいる。だが、CDにもハモンド・オルガンで演奏するヴァージョンが含まれている。この曲を知っている人は筆者から上の世代であるはずで、高島屋のホールのBGM担当者は、展覧会に訪れるのが高齢者が目立つので古い映画音楽を流していたのかもしれない。そのほかに流れていた曲も60年代の有名な映画音楽であったが、家内が仕事を辞めた5年前から数か月に一度くらいしかそのホールでの展覧会に行かず、また行ってもBGMは流れていない。それでCDを聴くと、家内と一緒に見た展覧会よりも、そのホールの雰囲気を思い出すが、それほどに筆者にとってこの曲は長年の思い出と絡まっている。またこの曲が流れている最も古い記憶は、前述した小学生低学年の頃、家族4人で風呂に行き、またそれから戻って食事し、すぐに布団を敷いて寝かされたことだが、それは多分に後に作り変えた記憶で、本当はラジオで聞いたのは2,3回であろう。それでも記憶に留まったのであるから、よほど耳慣れないメロディであったからだが、ただそれだけでは覚えられないはずで、琴線に響く何かを感じ取っていたのだろう。それはともかく、いかにも1958年を刻印していて、また当時の筆者のことを思い出すので、本当は聴いて楽しいばかりではないが、もう幼ない頃の嫌なことも淡々と思い出せる年齢になり、またこの曲のことやまた映画で使われたことなどもよくわかる。
さて、CDジャケットは文字だけであまりに味気ないが、四つ折りで、他の3面は3つの映画の情報に充てられている。そして『年上の女』のみがLPジャケットではなく、映画のポスター写真が引用されているので、このCDが初めての『年上の女』のサウンドトラックの紹介かもしれない。「メイン・タイトル」から「フィナーレ」まで計10曲を含み、全部に「初公開」を意味するアステリスクがついているので、やはりそうなのだろう。またポスターはジョーと金持ちの娘のスーザンの結婚式の場面で、よく見るとジョーの黒のスーツの胸部に赤でジョーと主役のアリスが抱き合う写真が埋め込まれている。亡きアリスのことを思い浮かべながら結婚式を挙げるジョーで、この写真はこの映画の核を見事に表現している。全10曲の題名を最初と最後を除いて列挙すると、2「アリスとジョーがパブで」、3「アリスのビギン」、4「アリスとジョーが家で」、5「アリスとジョー」、6「アリスはひとり」、7「ジョー、アリスの死を知る」、8「ジョーと売春婦」、9「ジョー、喧嘩の後」で、これらは映画の順に沿っている。ジャケット裏面の解説は、ナシンベーネの自叙伝から、彼が監督ジャック・クレイトンに会った時の印象などを引用している。「ロンドンで初めて会ったクレイトンはかなり若く、痩せて神経質であった。自己紹介の後、「これが本だ!」と言って、赤で「Room at the Top」と書かれた分厚い本をテーブルに置いた。わたしたちは音楽の意味について話し合い、突如彼が極端に敏感であることを悟った。多くの監督がそうであるように、主張はなく、大声を出さず、足を踏み鳴らしもしなかった。わたしは影響を受けず、現代的で、単純な楽譜を書き、それはランバート・ウィリアムソン指揮のロンドン交響楽団によって演奏された。序曲として使用された「メイン・タイトル」は物語の全要素を含む。トランペット・ソロは他の管楽器に載る厚みある旋律で、上昇音階を苦く、不愉快な音色で高らかに鳴り響かせる。それをオーケストラ全体が劇的な強調で応答するが、それは蘇った強さで征服の困難さを表現しようとするかのようだ。わたしは序曲において、事実それのみならず、贋の価値に築かれた人生についての道徳的な態度をも示そうとし、続いての音楽を「作る」ことと物語を進展との間には厳格なパターンを用いなかった」。つまり、3分ほどの序曲が最も重要ということだ。これは劇的かつ悲劇的な響きで、アリスの自動車事故死を形容していると言ってよい。このわかりやすさはオペラの伝統を継いでいて、たとえばヴェルディの道化を主役とする『リゴレット』は序曲が悲しみに満ちている。ナシンベーネは当然そういう伝統をよく知っていて、映画を現代のオペラとみなしていたであろう。歴史的に見れば実際にそのとおりで、また50年代までの映画は特にそうだ。
ところで、筆者が昔から知っているメロディはこの序曲には含まれず、アリスの主題として2以降に使われる。それは序曲の主題と同じ音階で出来ているかもしれない。序曲の最初に奏でられるトランペットによるメロディはジョーの主題で、前述のようにそれをオーケストラが演奏し、その後にオーボエによる別の静かな主題が現われる。それはアリスの主題によく似ている。そのため、CDでは1「メイン・タイトル」と2とのつながりはきわめて自然で、また2によって1の後半で暗示されたアリスの全体像が浮かび上がる。アリスの主題は半音階的で、弦楽器群、チェロ、オーボエ、フルートやハモンド・オルガンなど、曲によって楽器が違うが、不安定な雰囲気がアリスの心境をよく表現している。これはワグナーの楽劇のライト・モチーフの手法で、ナシンベーネが古典音楽に基盤を置いていることがわかる。娯楽の主役が映画ではなくなってからは映画音楽は安易なものになり、名曲が生まれにくくなったと思うが、ビートルズ以降、音楽の才能の活躍の場はロックやフォークに移った。それは顔や姿を大衆に晒すことが前提で、TV時代には見栄えのよさが有名になる絶対条件になった。映画全盛時代はそれを俳優が担っていたが、俳優も小粒になって映画は面白くなくなった。そこでザッパを思うと、ハリウッドの近くに住み、映画音楽に並みならない関心を示し、実際に作曲した。そういう才能はロックでは珍しい。ザッパはイタリアの映画音楽作曲家をそれなりに研究したであろうし、ナシンベーネの才能も知っていたであろう。またザッパのロックは最初期に書いた映画音楽と地続きになっているもので、ザッパのオーケストラ譜を書く才能は、ストラヴィンスキーへの関心以外にハリウッド映画の音楽を学ぶことで育まれたはずだ。そんなことを思うと、筆者が成人してザッパの音楽を知るよりはるか以前に『年上の女』のアリスのテーマを聴き覚えていたことは、自分の音楽史を明確化するうえでとても興味深い。そこにはこの曲の音階を分析する必要もあるが、筆者は音は拾えても楽譜に書き起こす才能はない。そこで、ナシンベーネが映画の原作から主人公の心理を読み解き、基本となる旋律を作り上げ、それをそれぞれの場面にふさわしい編曲を施すという、そのひとつのもの作りの考えと態度が形を変えてどのような創作にも言えることに感じ入るだけだが、長年忘れずにいたこの曲についてそういう思いを抱けるようになったことが感慨深い。全10曲では3「アリスのビギン」が最もポップスぽくて面白い。この「ビギン」は踊りのリズムのビギンのことで、映画ではそんな場面があったのか覚えていない。また8「ジョーと売春婦」の「売春婦」は少し言い過ぎで、アリスが死んだ後、下町の酒場で知り合った労働者階級の蓮っ葉な娘で、彼女はジョーに優しかった。