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●『冬のソナタ』
去年5月下旬から書き始めたこのブログで採りあげようと思いつつ、適当な掲載日が見つからなかった。そして、今日を逃せば来年になるし、来年には書く気が失せているかもしれず、今日と決めた。



さて、映画『白い恋人たち』の最後は、オリンピック会場から人が去った後の光景をいくつか映していた。南仏になるので春の訪れはパリより早いはずで、会期終了直後、つまり2月下旬の撮影かもしれないが、日本で言えばちょうど3月に入ったばかり、今頃の日差しに見えた。雪のうえに黄色に輝く光の溜まりを見るのは、確実にひとつのドラマが終わって次の新しい日々が始まることを告げるようで、楽しいような惜しいような思いにさせる。だが、やはり春の楽しさが惜しさには勝つ。したがって、冬の物語の終わりにこの春の光を見せることは、ドラマを見た後にいい気分にさせるには最も効果的で、『白い恋人たち』はその点で模範的な映像を作り上げていた。だが、これは冬季オリンピックを描く映画であるから、最後が春の到来を予感させることで締め括られるのは必然と言ってよい。このように、四季のある国においてある一定の長さの月日に拘束されて一連の映像を撮影する場合、物語の最後を季節の推移に合わせた内容とすることで、観賞者に対してひとつの普遍的な思いを印象づけやすい。『冬のソナタ』の最終回は雪が消え去ってすでに春の日差しが指す中、主人公の男女が再開するシーンで終わるが、これは『白い恋人たち』に共通する「春の到来」の適用だ。よく知られるように、韓国で放送された『冬のソナタ』には『白い恋人たち』の主題曲がさまざまな楽器で演奏されて鳴りわたる。そして、サウンドトラック盤のCDを聴けばわかるように、明らかに「白い恋人たち」に似たメロディの曲もある。これを安易な模倣として謗る人があるが、それは読みが浅い。もともと『冬のソナタ』には、『白い恋人たち』の音楽を初め、その終末部における春の到来の点においても、範とする姿勢があって、主題曲をそのまま借りるからには、そのムードを壊さないように、ある程度似た新曲を書き下ろして使用する意図があったと見る。これは剽窃ではない。むしろ賛辞だ。
 「白い恋人たち」という題名が日本の創作であることは昨日書いたが、『冬のソナタ』の原題は直訳すると『冬の戀歌』であって、この「戀」は昨日書いたように『白い恋人たち』の主題曲の歌詞の最後に出て来る「l’amour」であるから、『冬の戀歌』とは実は『白い恋人たち』の主題曲のことと考えてもよいことになる。とすると、『冬のソナタ』に頻繁に「白い恋人たち」が使用されたことに納得が行くし、山の雪積もる中で戯れに遊ぶ印象的なシーンにおける主人公のふたりは、それこそ「白い恋人たち」そのものであって、『冬のソナタ』は『白い恋人たち』をかなり意識して作られていると思える。だが、韓国で2002年1月14日から3月19日にかけて20回で放送されたこのドラマは、冬場の放送が予め決まっており、また、視聴者の反応を見て途中で多少の回数の増減は許される状態にあったとはしても、最終回が3月、つまり春に放送されることを前提に脚本が書かれ、撮影もされた。そのため、最初から『白い恋人たち』が念頭にあったのではなく、脚本が仕上がって撮影に入る段階で、最終回は春の到来に合わせた映像になることを予測し、それに見合う筋立てを目指して撮影を続行したに違いない。当初ペ・ヨンジュン演ずるミニョンが最後は亡くなるという設定であったというが、それが春の到来にふさわしくないかと言えばそうではない。春は冬が死ぬ季節であり、愛する人の死によって冬のドラマが締め括られ、残された女性ユジンがひとりで逞しく生きて行くという設定でも、充分に「春の到来」に見合った普遍的な筋書きにはなった。結局、後味のよいものにした方がよいという思いが勝って、ミニョンは盲目となり、ユジンがその目となって生きて行くことが暗示されてドラマは終わったが、これもまたさらにふくらみある話で、春という新しい季節の中で、ふたりが助け合って生きて行くという新しいドラマの暗示を視聴者に提示してくれる。そしてこの筋立ての方が『白い恋人たち』の最後と似て、温かさがあり、ドラマの後味を悪くしない。
 『白い恋人たち』が日本でも評判の映画になったのは、その挿入音楽がよかったという面は無視出来ない。映画やドラマは効果音や音楽によって評判が大きく左右し、より広い世代と層に受けるには耳によく馴染み、覚えてもらいやすい音楽を用いる必要がある。だが、これはどんな映画やドラマでもそれなりに腐心しているはずなのに、大ヒットする場合と全くそうでない場合がある。つまり、特別の方法がないから、制作者としては放送するまでどうなるかわからない。さきほどアマゾンで調べると、このドラマ『冬のソナタ』のサウンドトラック盤をを買って批評を寄せている人が130件あった。だぶりがあるので本当はこれより若干少ないが、それでもこれは例外的に多い数字で、筆者の知る限り、これを越えているCDはない。星印5つが最高評点だが、9割がこの得点をつけている。また、CDを買った人がみなこうした評価を寄せるはずはなく、それはたぶん100人にひとりいるかいないかであって、いかにこのCDがよく売れたかがわかる。最初に書き込んだ人は2003年9月1日だ。これはNHK-BSで最初にこのドラマが放送され、その最終回が終わった直後あたりではないかと思う。130件の最新は去年6月3日であったが、この9か月間は誰もこのCDに対して印象を書き込んでいないところを見ると、ドラマを見る人もほとんどいなくなって「冬ソナ」ブームもようやく去ったと言えるかもしれない。筆者がよく行く中古レコード店に顔馴染みの店員がいる。2年前だったか、筆者がこのドラマが面白いと言うと、彼は日本を嫌っている国のドラマは絶対に見ないと言いながら、どうせCDもすぐに安価で中古市場に大量に出回るとつけ加えていた。だが、大量に売れたはずのCDはまだ100円や200円の捨て値で中古店に大量に出回ってはおらず、買った人はそれなりに思い出として大切に所有しているように思う。また先の書き込みでは、ドラマを見る前にCDを買い、音楽に魅せられてドラマを見るようになったという意見が目立つから、『白い恋人たち』と同様、このドラマが日本で大ヒットしたのは音楽が特によかったからだと言ってよい。筆者もそれなりに韓国ドラマを見て来たが、実際このドラマの挿入曲以上によく出来た、つまり映像とよく似合っていて、しかも音楽単独でも充分鑑賞に耐えるものにはまだ出会っていない。
 RYUが歌う主題曲「最初から今まで」はト短調の曲だが、その音階に含まれるFの音の代わりに半音高いF♯の音が効果的に使用されている。これは別に珍しくはないにしても、実際に弾いてみると、音階はどこかアラビアっぽい雰囲気を部分的に保つ。まさかそれが理由ではないと思うが、このドラマがアラビア圏でも受けたと聞くと、やはり音楽に親近感があったからではないかと考えたりもする。サウンドトラック盤は同じ曲が別々のアレンジでいくつか入っているので、アルバム1枚で3曲くらいしかないような感じがするという意見があるが、これは筆者も否定はしないものの、あえてそのような別ヴァージョンを多数収録することでアルバム全体のムードを整えていると見る。また3拍子のリズムが印象的な「あなただけが」という曲は、調性が「最初から今まで」と同じで、こちらはF♯の音は経過音的にわずかに登場するだけだが、主題曲とあえて似た曲を用意することで、ドラマ、そして音楽の世界を整った印象として作り上げている。もしドラマの挿入曲が長短取り混ぜ、調性も拍子も全然違ったような曲ばかりを10いくつも用意したならば、冬のドラマとしては全くふさわしくないものになったに違いない。20回の連続ドラマであるからには、曲をいくつか用意するにしてもなるべく均質な印象を与える方がよい。ところで、韓国の放送局にアクセスすると、小さな画面ながら無料でこのドラマの全編を視聴出来る仕組みになっていたのに、さきほど確認するとサーヴィスは終了していた。記憶に頼って書けば、第1回の放送では「最初から今まで」はまだピアノ演奏のごく素朴なものが使用されていて、CDに収録されているヴァージョンとは違って、部分的な未完成状態であった。これが2回、3回となるとRYUの歌声が入ったものに変化したが、その主題曲の変遷ぶりが、いかにも放送に合わせながらスタッフが走り回っている様子を想像させ、生々しくて面白かった。この主題曲は学生が作曲したものだが、日本の80年代のあるポップスによく似ているという意見がある。筆者はその曲を知らないので、どこまで似ているのか確認出来ないが、似ている云々を言えば、音楽の世界では無数にある。似ているではなく、そのままという例では、たとえば去年流行した「ジュピター」は、ホルストの作品に歌詞をつけただけのもので、そんな安易な方法で作られた曲がヒットするのは何だか面白くない。まず原曲を聴くべきであるし、それにホルストは遺言でこの「ジュピター」を含む『惑星』をどんなアレンジをしてもならないと言っていたはずだ。夫人が亡くなるとなし崩し状態になったというわけか。
 話を戻そう。中古レコードの店員はTVで韓国ドラマをたまたま見たが面白くないようなのですぐにチャンネルを変えたと言っていた。だが、よく聞くとそれは台湾ドラマで、そんな差も分からぬまま、つまりろくに見ることもなしに拒否している。こういう人は案外多い。自分がいいと思ったものを人にも勧めたくなる気持ちは筆者にもよくわかるが、貸す場合には相手が面白く思うかどうかを知ったうえでの方がよく、相手から貸してほしいと言って来るまで勧めない方がもっとよい。押しつけで貸すと、ひねくれた人は必ずけちをつけるし、貸した方が謝らねばならないということになる。また、これは何度も書くように、本当に必要なものは必ず当人は出会うものであって、いいものを教えてやろうとしなくても人は勝手に自分の関心に見合ったものを見出す。「韓国ドラマを好きという人はどこかずれている人が多い」と語る人があるが、そうした人はずれているのが実は自分であるとは絶対に思わず、とにかく幸福そうに、笑顔で楽しんでいる人を見ると腹が立つらしく、けちをつけては自分と気の合う人と会話を楽しむ。このような韓国ドラマを見もしないで偏見と先入観に凝り固まっている人に面白さを伝えようと無駄骨を折ることはやめておいた方がよい。NHKの『冬ソナ』特別番組でも言っていたことだが、このドラマに魅せられた人は大体夫婦揃って幸福で満ち足りた生活を送っている場合が多いとの統計があり、これは全く納得出来る。この場合の幸福とはお金がたくさんあるといったレベルの話ではない。貧しくてもそれなりに満足して、心が豊かという意味だ。そうでない人はどんな優れたものにでもケチをつけたがる。世の中にはケチのつけられないものはないからだ。この場合のケチをつけるというのは正しい批評精神では当然ない。ただいやみを言わずにはおれないだけだ。そんな人はどこの国にいつの時代にもいるものだが、ことが韓国となれば、なおいっそうの拒否反応を示すのが日本だ。未解決の凶悪事件はすべて在日韓国人が犯人だと書き続ける人があるが、こういう人につける薬はない。
 そういう日本と韓国の事情がありながらも、とにかく2002年の日本におけるこのドラマの放送によって、韓国の文化紹介は一気に門戸が拡大した。これはこれで他の諸問題とは無関係に大いに喜ぶべきことだ。戦後の歴史から見れば、まだ日韓の文化交流はほとんど始まったばかりと言ってよいが、韓国にあるものが日本の模倣ばかりなどとアホなことを思っているとますます視野が狭くなる。それはいいとして、筆者はこのドラマが『白い恋人たち』を参考にしたとして、ユン・ソクホ監督やそのほか、このドラマに携わった人々が、いつどのようにしてこの映画を見、そしてどんな思いを抱いたかに興味がある。つまりこれは『白い恋人たち』が撮られた1968年当時の韓国の外国文化の需要程度の問題への関心となるが、当時青年時代であった人々が親になって子を生み育て、その子が成長してチュンサンやユジンになったと見ることが出来るわけで、その意味でもこのドラマが『白い恋人たち』とつながっていることには、韓国の世代間のつながりを知る手立ても内在していて深い意味がある。最後にもうひとつ書いておくと、このドラマは濃厚なキス・シーンがなく、純愛ものとして評価されたが、筆者なりにかなりエロティックだと思えたのは、高校生のユジンがチュンサンにピンク色のミトンの片方を貸すシーンだ。その片方の手袋はチュンサンがユジンに会いに行く時、車にはねられて手わたすことが出来ず、路上に放り出されたままになる。女性が普段手を包んでいる毛糸の手袋を男に貸すというのは、キス・シーン以上に筆者にはセクシーな行為に思える。手袋の中の温かさは女性の気持ちそのものであって、それは女性が体内に男を受け入れてよいとの意思表示の暗示とも言える。直接的なセックス・シーンが否定されれば、物事は暗示に向かうしかない。そしてそのようなまるでヴィクトリア王朝時代のような暗示社会でも、当然エロティックな思いは存在するし、隠されたそれらがイメージの連想の中でむくむくと形を取り始めるところに高尚な美が宿り得る。そんな意味で、日本にはないものをいろいろと教えてくれるのがこのドラマであって、大ヒットした理由は単なるお涙頂戴の安易なドラマではなく、ポストモダン的要素をふんだんに盛り込んだ「今」の作品であったからだ。それなりにあげつらえる部分もあるが、放送日程を意識しつつ、それに合わせて突貫作業で作ったにしては充分過ぎる完成度と言ってよい。荒さはライヴ感に転換している。これもまた『白い恋人たち』にはあったものだ。あ、それに『冬のソナタ』という邦題は、『白い恋人たち』とタイトルをつけたセンスを受け継いだ命名で、これも大人気を得た大きな理由と言ってよい。

(上図をクリックし、現われる画面の図上にマウスを置いてください。)
by uuuzen | 2006-03-02 19:07 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画
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