芸術を教える学校に学ぶ必要はなく、独学で自作を創ることを目指してまだ2年しか経っていないという。今日紹介する「コズミック・カズ」という若いロンドン在住の音楽家で、彼女がインタヴューで語っている。

「CAZ」は彼女の名前「CAROLINA」のことで、先月25日はALEX RAFAEL ROSEとともに演奏する予定であったが、別々に自作曲をそれぞれ30分ずつ披露した。先月上旬に来日したようで、12日にアレックスとともに東京の渋谷でライヴを行なった。大阪が二番目なのかどうかわからないが、来日して見聞した成果がいずれ彼女の新作に反映されるだろう。5曲演奏し、最後の曲でアレックスがドラムスで加わった。サンプリングした音をパソコンから奏でながら歌うその姿は、スタイルのよさと悪魔に扮した衣装と化粧で存在感がとてもあった。かなり素人っぽい歌唱力だが、演奏しながらの身振りは様になっていた。ある曲では最前列で見る筆者の真正面に出て来てマイク片手に歌い、含羞を持ちながら堂に入ったものがあった。当日の出演した5名のうちでは最も印象深く、同じような音楽を日本人女性ではまずやれないことを感じた。その理由は、音楽の形式のことを何も知らない手探り状態から作り上げたその音楽が、メッセージ性が濃厚で、またそれに見合ったファッションやステージでの身振り、そして何よりその混沌としたノイズの中に終始響き続ける通奏低音がとても個性があることだ。その通奏低音によってノイズ音楽でありながら統制が取れていて、曲がとても印象深くなっている。これは一回限りの演奏で客に覚えてもらうには、またもう一度聴きたいと思わせるためにはとても大事なことだ。彼女は大きなカリスマ性があるが、YOUTUBEに
4去年4月にロンドンのライヴハウスで演奏した30分ほどの動画は、残念ながら音はさっぱり駄目で、彼女の演奏の実態を知るためには見ないほうがよい。この1年は各地で演奏してさらに実力をつけたはずで、ベアーズでの演奏はもっと迫力があった。演奏の最後に彼女はCDを販売用に持参していると言った。それを買えばよかったと悔やんでいる。それはおそらく5曲入りで、アマゾンで音源が販売されている。音楽に見合ってなかなか色彩感覚がよいジャケットは彼女のデザインによる。音楽をやる前は美術に才能を発揮していたのだろう。その色彩や造形のセンスは彼女のファッションに表われている。当夜はライヴが始まる前、受付の男性に声をかけた金森幹夫さんに楽屋を少し案内してもらったが、それに通じる扉を開けた途端、そこに彼女と鉢合わせをした。彼女は愛想のよい笑顔で、髪は緑、濃いマスカラやピアスなど、そのけばけばしいパンクぶりに筆者は驚いたが、彼女がコズミック・カズであることを演奏が始まって知り、髪や衣装が違っていたことにさらに驚いた。

彼女の演奏中に目を引いたのは、今日の2枚目の写真からわかるように、耳が悪魔のように尖っていたことだ。これは本物そっくりに作った耳をつけ足しているが、黒い衣装の胸の淵部分も悪魔風デザインだ。文字どおりのその「子悪魔」ぶりは、日本の女性がそのまま真似しても違和感があるだろう。この悪魔のイメージはヨーロッパのもので、キリストに対峙する存在として、また一方では道化者のイメージとして定まって来たものだ。ベアーズでの彼女の扮装は、日本の「アンパンマン」の「ドキンちゃん」と言いたいところだが、色彩的には「ばいきんまん」とそっくりだ。彼女の5曲入りCDのジャケットの色彩は紫が利いて、その点でも「ばいきんまん」を連想させる。インタヴューで彼女は、「別世界からやって来て、地球のすべてを知ろうとし、そしてユートピアと反ユートピアのテーマや実在の本質、自身を理解することを探る」と語っていて、自分の化粧や身なりは「反ユートピア」の体現であろう。その反対に日本ではメイド・カフェや「かわいい」イメージは「ユートピア」的であって、CuBerryが作るアニメのキャラクターもそうだが、それはたとえば『不思議の国のアリス』におけるアリスにひとつの原型があって、カズはそれを模倣しようとは思わないのだろう。また、日本人女性はカズのステージでの雰囲気が似合わないことを知っているのだろう。だが、「ばいきんまん」は黴菌でありながら、本物の「反ユートピア」的とまでは言い難い。それと同じくカズも悪魔を装った「かわいさ」であって、日本の「かわいい」文化に強く反応している。また「反ユートピア」を表現する意図があっても、その「反ユートピア」の到来を希求しているのではなく、「ユートピア」を知るにはその反対の存在も知ろうという立場だ。それに、筆者が知らないだけで、日本のアニメには彼女の悪魔的キャラクターは珍しくないかもしれない。カズによれば、去年12月、「ディアスポラ・ディスコ」という会場でアジア人のアーティストが出演する催しがあり、そこで演奏して感銘を受けたそうで、そのことでアジアにより関心を抱いたのであろう。それが来日のきっかけとなったと想像するが、日本だけではなく、アジアの他の国でも演奏したか、演奏中かもしれない。だが、やはり日本はコス・プレの本場であって、ステージ・ファッションの点で学ぶものが多いだろう。また彼女の派手な化粧は、日本人や東洋人であっても彼女とあまり雰囲気が違わないほどに化けられることを思わせ、またそう見ると彼女の素顔はどことなしに日本的な雰囲気もある気がして来る。それはともかく、アレックスと一緒に来日したとして、日本から得るものはカズのほうが多いだろう。それは角矢胡桃さんのようにノイズ・ミュージックを演奏する若い女性がいるためで、また角矢さんはカズの演奏を聴くために当夜訪れたのかもしれない。

カズは伝統的な楽器音を使わず、自分の周囲から音を録音してサンプリングする以外に自分の声を声とはわからないほどに変調させて用いる。そのいくつか重なった音によるサウンドスケープをパソコンから流しつつ、小さなキーボードでメロディを加え、それに合わせて歌う。会場で見たが、小さな赤いボックスの表面を左手の指先で撫で回すたびに彼女の声がエコーのように響いた。つまり、演奏のたびに即興性が入り込む余地があり、サンプリングした音も音量を上げ下げ出来るのだろう。そのことを感じたのは特に最初の曲「NATURE‘S GLITCH」(自然の異常)だ。この曲は通奏低音がF#、D、E、Bの下降順に鳴り続け、また各音の間はグリッサンドでゆったりと繰り返し奏でられるが、ベアーズではこの4音がよく耳についた。ところがYOUTUBEやサウンドクラウドでの同曲ではあまりはっきりと聞こえない。他の4曲も同様に不協和音の通奏低音がゆっくりと流れ、それはたとえばスティーヴ・ライヒのシンセサイザー音楽
「ふたりの預言者のための10の声のための歌」を思わせた。カズは「誰でも望めば学校に行かずに音楽を作ることが出来る」と言うが、それは何も学ばないという意味ではなく、自分が必要とするものは貪欲に吸収することだ。どういう音を録音してどうデータ化させるかという手法は簡単だが、その加工音をどう系統立ててカオスを表現し、またカオスの中から一定の大きな規則を作り出すかは、ある程度の楽音の知識が欠かせず、実際彼女はキーボードを弾いている。だが、誰しもそのヴィルトゥオーゾを目指す必要はないとの考えだ。彼女はインタヴューで、「わたしの音楽には、自分の経験とすべての様相から世界を理解することが反映しているが、それは個人的な考えから政治的な考えまで含み、いかに感じているかということだけはなく、よりよい世界を勇気づけ、励ますものであることを望むものです。今のところその音楽は全く宇宙的、別世界的で、わたしの現時点での人物像としてもみなされるサイファイ(サイエンス・フィクション)や幻想、宇宙のテーマ、話題を反映していると思います」と語り、自己主張がしっかりしている。特に環境や人種、LGBTQ問題や芸術家については敏感で、そうした過小評価されている存在を励まし、評価を上げるために、今後もライヴを積極的に行なうと言う。これは同世代の日本の女性ミュージシャンには珍しい態度に思える。男女間の恋愛や個人的な何気ない話題、あるいはあまりに抽象的で理解が及びにくい歌詞ではなく、自分を取り巻く全世界、さらには宇宙へと視野を広げるその態度は、若い女性であるだけにほとんどおとぎ話に思われかねないが、それでも現時点での目標をしっかりと定めているところは見上げたものだ。エレキ・ギターも弾くので、今後どう化けるか楽しみだ。