牛のような大きな男フランツ・ビーバーコップが主人公で、彼を演じるギュンター・ランプレヒトの姿は映画『Uボート』でも見たが、そのほかにも出演しているのだろうか。印象深い俳優で、TV用映画の『ベルリン・アレクサンダー広場』だけでも長く記憶されるだろう。
この映画のDVDを1年少々前に購入しながら、すぐには見る気になれなかった。先月下旬、1階の本棚を少し整理した時、決心をした。見始めて途中で止めたDVDやビデオが何本かあって、それらを順に消化して行かねばと改めて思い至ったからでもある。本作は「エピローグ」も含めて14話で、毎日1話ずつ見て、数日前に見終えた。このDVDを買ったのは、本作の上映会を昔京都のドイツ文化センターに数日通って見た記憶の大半を忘れていて、もう一度じっくりと見たかったからだ。同センターで上映されたのがいつなのか気になったので、先ほど本棚、正確に言えば本棚がいっぱいで危ないので床に並べた段ボール箱に収納した本を調べると、幸いなことに2,3分でいくつかの資料が見つかった。その中に入手して以来一度も開いていない『ベルリン・アレクサンダー広場』のパンフレットがある。これが有料か無料か覚えていないが、DVDを見た後ではちょうどよい解説書だ。DVDに封入されているブックレットとほぼ同じ人たちが執筆しているが、内容はみな違う。同パンフレットに挟んでいた上映会のチラシによれば、上映は2002年12月6,7,8日の3日間で、通し券は5000円だ。筆者はこれを買ったと思う。全14話で計15時間、1日当たり5時間見たことになる。上映はいつも夜9時頃に終わり、寒い中を同センターから四条河原町の阪急の駅改札までちょうど30分歩いたことをよく覚えている。当時は同センター1階のホールでの映画によく通った。それがとてもいい思い出になっている。本作の上映の3日間に、同センターの職員の女性と顔馴染みになって言葉を交わしたが、ファスビンダー没後20周年記念の特別上映会で、同センターの職員も初めて見る機会であったのだろう。筆者は1日目の終わりに大いに興奮し、その後の展開を楽しみにしたが、「エピローグ」まで見て思ったことは、それまで知っていたヘルツォークやヴィム・ヴェンダースよりもファスビンダーの才能が大きいことだ。それは商業的成功を狙わない純粋な過激性で、36歳で夭逝したことは天才的なロック・ミュージシャンのようなところがある。上映会から10年ほどして彼のDVDのボックス・セットを全部買ったと記憶する。とても高価で一気に全部見る気になれず、まだ半分ほどは見ていない。去年だったか、それが新デザインで再発され、価格がうんと安くなったが、筆者が買った旧盤は相変わらずアマゾンでは高値だ。解説書が違うのか、その理由がわからないが、新しいもののほうが画質もよくなっているのではないか。
それは本作でも言えるのかどうか。筆者が購入したのは再発の廉価盤で、箱がより小さく、そのためにブックレットの文字がとても小さい。2006年の制作となっているが、これは欧米でのことで、日本語字幕入り版の発売は最初が2013年だ。筆者がドイツ文化センターで見た時点ではまだDVD化されていなかった。つまり、とても貴重な上映会であったが、一度見ただけではよくわからない。ともかく、ファスビンダーの代表作としてよい本作をもう一度見れば、彼の他の作品もよくわかる気がした。そして今日は17年ぶりに感想を書くが、細部をほとんど忘れていたのでとても新鮮な気持ちで見られたことはいいとして、何しろ14時間もの大作で、見所がどこにあるのかを確認するだけでも大変だ。正直なところ、17年前に見た時と同じ困惑を覚えている。それは特に14話目に相当する「エピローグ」だ。これは他話の2倍の2時間の長さで、また大部分が他話とは違った妄想を描写した象徴的な内容だ。上映会でも大半の場面に没入出来ず、2時間もあったとは信じられず、最後の締めくくりの場面を鮮明に覚えているだけであった。それだけに今回はなおさらファスビンダーの過激性を再認識したが、本作が何百万人もの人が見るTV用に制作されたとは信じられない。日本ではあり得ないことで、巨額の製作費を30半ばの映画監督によくぞ使わせ、存分に表現させたことのあっぱれさを思うが、娯楽作品の範疇を超越していて、「エピローグ」を難解、退屈と感じて途中でチャンネルを変えた人が多かったのではないか。ファスビンダーはTV用と劇場用映画を分けて考えていて、後者は客に緊張感を与えることを目論み、妥協しない態度で制作したが、TV用の本作が妥協しているかと言えば、全くそんなことはない。そのため、放送は当初の予定の夜8時15分ではなく、9時半からで、2時間の「エピローグ」は11時からとなったので、全編を楽しんだのはファスビンダーの信奉者だけであったのではないか。「エピローグ」の異質性は、原作の小説の手法を映像で模倣したものと思える。フランツとラインホルトの絡みに焦点を当てるのであれば、「エピローグ」の2時間は長い。原作はこのふたりの男の話を中心にはするが、コラージュの手法によって1920年代後半のベルリンのあらゆる事件や記事などを挟み込む。そのダダイズム的手法はカットをつなぐ映画と似ているが、物語とは直接関係のない当時の事件やニュースを映像で挟むと、映画は煩雑なのものになるし、また原作を忠実に映像化することにファスビンダーは意味を認めなかった。ファスビンダーは長編の原作を14,5歳で読んだ。日本にそのような早熟の少年がいるとして、彼は映画監督になってそれを作品化することにまっしぐらに突き進む勇気と才能を持つ者がどれだけあるだろうか。
ファスビンダーは5年後に原作を再読し、「読み進めば読み進むほどに、目を閉じ、耳を蓋いたくなるほど私は衝撃を受けた……デーブリーンの想像力を、そのまま無意識に私の人生にしてしまったわけだ。しかもその小説がそのあとも私を救ってくれた。それは、不安に満ちた危機から脱出することや、染み付いてしまった汚れの中で可能な限り「アイデンティティー」と呼ばれる物を創りだしていくことだった。……結局私がこの作品を映像化するまでに10年かかった。」と書いていて、原作がいかに決定的な作品であったかがわかる。原作の邦訳本は高価な古書で、近年新訳が出たが、筆者は長年気になりながら先日ようやく旧訳の上下本を購入した。それを読む気になるのに10年ほどかかりそうだが、前述のように前衛的な構成で、読み進みにくいはずだ。そのことは、本作の「サプリメント」DVDに収録されている本作のメイキング映像からもわかる。ランプレヒトは最初の50ページほどで読む気が失せたと発言しているが、彼はファスビンダーの脚本を読んで初めてこの小説の本質を把握し、自分がどう演じるべきかを知った。またファスビンダーによれば、3分1を読み進んだ頃からフランツともうひとりの主役の男ラインホルトの出会いが描かれるとのことで、映画を見てから小説を読むほうがいいだろう。ファスビンダーはこの小説を隅から隅まで把握していたので、3000ページの脚本を書き上げることが出来たし、また本作とは別の3時間の劇場用映画用の脚本も同時に書いて撮影に備えたが、同じセットを使いながら俳優を変えた後者は撮影されなかった。TV用の15時間と、映画館用の3時間の両方が撮影されていたならば、原作の小説をファスビンダーがどのように解釈していたかがよりわかったはずで、彼が1980年に本作を撮り終えた2年後の6月に亡くなったことはとても惜しい。前述のファスビンダーの再読後の思いと前後するが、ファスビンダーは最初読んだ時は3分の1ほどを読み進めるのに退屈し、さらに読み進むと、「突然『読む』とは呼べないようなし方で、丸呑みし、貪り食らい、すべてを吸い取った。いやそれでも表現が弱すぎる。それはもう『読書』というようなものではなく、むしろ生きることそのものとなり、私はこの作品と共に悩み、迷い、不安に陥った。しかし幸いなことにデーブリーンの小説は、それを読む人間が破滅したり、自らを見失ったりすることのないよう非常に巧みに創られている。……道徳的になることなく、道徳的姿勢を要求することを示唆してくれる。それはまた、日常的になることなく、ありきたりのものをあるべきものとして、つまりは聖なるものとして受け容れることを教えてくれる……」と書いている。この後に書かれることがなかなか重要だ。
それは、フランツとラインホルトの関係を「純粋な愛」としながら、「ふたりともそのことを理解せず、豊かに、幸せになることが出来ない」とし、そして、「具体的に言えば、この読書は、私を殆ど麻痺させていた、責めさいなむ不安から救ってくれた。……私のホモセクシュアルな憧れを認めてしまう不安、抑圧されている欲求と妥協してしまう不安、この読書は、ただただ病み、嘘をつき、絶望して行くことから私を救ってくれた……そして破滅からも。」と続ける。つまり、ファスビンダーはフランツとラインホルトの間に、同性愛ではあるが、本人たちが気づかない「純粋な愛」を認める。それは「取り出して見せることも、搾取することもできず、何の役にも立たない。ひどく悲しくひどく恐ろしい……愛が利用できるか、少なくとも役に立つと知った人々をひどく不安にするに違いない」ものだ。デーブリーンがそのことを意図して書いたのか、あるいはファスビンダーが深読みしたのか、それは原作を読まねばわからない。ファスビンダーはフランツの人物像に惚れ、自作の他の映画でしばしば同じ名前の男を主役として登場させた。デーブリーンはフランツ・ビーバーコップの両親については一切描写しておらず、フランツがどういう経緯で恋人のイーダと同棲し、また彼女を殺めることになったかの遠因は読者が想像するしかないが、ファスビンダーはそのことを思い続けて自作の映画にフランツの人物像を拡大解釈して登場させたのであろう。それは搾取されながら純粋な愛を与え、またそのことに気づかない人物だ。ところで、原作の最初の映画化は1931年、ピール・ユッツィによる94分の作品で、ファスビンダーは同作をそれなりに認めながら、原作とは何の関係もないと言っている。それはフランツとラインホルトの間の感情の交わりの細やかさを描写していないからではないか。となればファスビンダーが計画した3時間の劇場版がユッツィの映画とどのように違ったかが気になるが、今手元にあるドイツ文化センターで昔買った冊子『社会批判的リアリズム映画 サイレント映画からトーキーへ』に掲載されるユッツィの『ベルリン・アレクサンダー広場』の資料にこういう下りがある。「1929年に出版されたアルフレート・デーブリーンの『ベルリン・アレクサンダー広場』は、ドイツにおける最初の真正の大都会小説だっただけでなく、手法的にももっとも前衛的な映画的モンタージュの手法によって、1928年のベルリンの状況を、実際の新聞記事や案内広告や街頭風景などを、虚構の日付け入りで組み立てたものだった。時代をリードする映画の手法が、小説構成の新しい手法となったのである。従って、ピール・ユッツィによる映画化は、小説を元の映画に戻したようなもので、事実きわめて時事的な「シネマ・ヴェリテ」という趣があった……」
このコラージュ的な特徴を盛ったのが「エピローグ」であろう。また、本編の13話にも象徴的な挿話がいくつもあり、この映画の筋立ての発端になっている、フランツが同棲相手のイーダを自室で殴打して死なせてしまう場面は、長短さまざまに執拗に使われる。殺した理由はやがて明らかになるが、働きの悪いフランツを食わせるためにイーダは売春をしていた。そのことをイーダが嘲笑しながら怒鳴ったことから、フランツは自分の不甲斐なさもあって暴力を振るうのだが、殺人罪で4年服役し、出所したのが1928年だ。それから1年少々の出来事を第13話までで描く。出所後のフランツはベルリン滞在も許可され、真面目に生きることを誓うが、やがてラインホルトで出会ってからは彼がモノにした女を次々と紹介されて同棲し、また悪事に手を染めて行く。本作でのまともな人間は、アパートの管理人のおばさんと贔屓にしている酒場の店主程度で、他はみなやくざやチンピラ、売春婦だ。ラインホルトやその親分の窃盗事件に巻き込まれたフランツは、車で逃亡する際、ラインホルトから車から蹴落とされ、片腕を失う事故に遭う。アパートに戻ったフランツはラインホルトを恨まず、また元のように彼に接近して一緒に仕事をするように頼むが、ラインホルトはそんなフランツを気味悪がる。やがてラインホルトからの紹介ではなく、フランツの古い恋人のエーファによってフランツは若い家出の女性ミーツェを引き合わせられ、彼女と幸福に暮らし始めるが、彼女にも自分がラインホルトの仕業によって片腕を失ったことを打ち明けない。ミーツェはフランツとの生活費を稼ぐために売春を始め、フランツはそのことを快く思わないが、強引な彼女は金持ちの旦那をつかまえて出かけたりし、やがて彼女は強姦されもする。そうしたベルリンに出て来た田舎娘の末路は当時はいくらでも例があったろうし、現在の日本でも変わらない。それどころか、都会の10代の女子が金目当てに売春することがスマホ時代になってさらに加速化し、強姦や殺人の危険に晒されている自覚がない。本作のミーツェはまだ純粋で、売春はするものの、ひたむきにフランツを愛する。またそのためにラインホルトの誘いに乗って郊外の森に出かけ、そこで口論になった挙句、殺害される。それはラインホルトがフランツの秘密を知っていて、それをミーツェが知りたがり、またラインホルトはミーツェがフランツの片腕を失った原因をてっきり知っていると思っていたのに、そうではないことをミーツェから知り、激高したミーツェの口を封じようとしたためであった。ラインホルトはフランツが愛する恋人にも自分の仕打ちを打ち明けなかったことにある種の慄きを感じたであろう。ミーツェの死体が2週間後に森の地面下から発見され、フランツは逮捕され、精神病院送りとなったまた服役する。
女も男も性的に愛したファスビンダーは、フランツとラインホルト、ミーツェに自分の分身を見て、彼ら3人のそれぞれの愛を描こうとした。それは彼の他の映画を見るとなお明らかになる。男が男であっても女であっても純粋に愛することが出来るかとなれば、男対男では同性愛でなければ友情と呼ぶべき感情だ。それをファスビンダーは女との愛より上に置き、また友情と呼ばずに愛と考えた。では男と女との愛は常に打算的なものかとなれば、本作のミーツェはフランツに献身的で、そのために殺害される。つまり、男と女の愛も純粋だ。ところが本作では同棲しているエーヴァも平気でフランツとよりを戻してセックスし、さらには子どももほしいと言うし、イーダもミーツェも売春をしている。そういう女をフランツは心のどこかで信用していないのかもしれない。だが、女といつの時代でもそういうもの、つまり男を困惑させ、破滅させかねない悪女であると、ファスビンダーも思っていたのではないか。フランツがラインホルトから酷い仕打ちをされてもラインホルトにつきまとうのは、フランツの一方的な愛で、また本人がそれを自覚していないのは愛と呼べるかどうかだが、ラインホルトから大怪我を負わされたことを面と向かって言わなかったばかりか、誰にも恨みを語らなかい潔さは、キリスト教における赦しとして理解すべきであろうか。そのフランツの思いと行動は、ファスビンダーが書くように、「ひどく恐ろしくてひどく悲しい」が、純粋な愛とはそういうものだと、10代半ばで喝破した。ラインホルトは女を見ればすぐに好きになってモノにするが、1か月も経たない間に嫌気が差し、次から次へ女を変える。これは実際は女嫌いで、「エピローグ」に描かれるように、ミーツェ殺害の件で4年服役する間に若い男と同性愛の楽しみを発見する。だがそのことをファスビンダーは重視せず、フランツとの関係を「純粋な愛以外の何物でもない」と書く。ただし、より社会的な存在のラインホルトはそのことを理解しない。より常識に囚われているからで、失う物が何もないフランツはラインホルトより過激と言える。また、そこにフランツが女性にモテる理由があるだろう。もちろんそれは生活の安定を求める普通の女ではなく、社会からはみ出た売春婦か歌手といった人物だ。だが、そうではない女も登場する。夫を失ったばかりの金持ちの主婦は、行商で訪れたフランツが夫とそっくりなことを知って即座に恋心を抱いて身を委ね、大金を与える。それはフランツが悪人に見えなかったからでもあるだろう。そういう純朴なフランツが最後にどうなるかと言えば、「エピローグ」で描写されるが、駐車場に勤務するサラリーマンとなる。ファスビンダーはその後ナチス党員になるであろうと書いている。過激さを失って平凡な人間になったからだ。
フランツとラインホルトの間に突如出現したミーツェは、フランツにとっては女癖の悪いラインホルトへの自慢の存在であった。その恨みからフランツから彼女を奪おうとしたラインホルトだが、ミーツェが殺されたことを知っても、片腕を失った時と同様、フランツはラインホルトに復讐しない。これはどのような運命でも受け入れる気弱な人物に思えるが、本作ではヨブについての言及があり、「ヨブ記」から本作を読み解くべきかもしれない。またこれは意外だが、ラインホルトは自分の女癖をよいとは思っておらず、フランツを連れて救世軍の教会を訪れる場面や、教会で懺悔をしたことがあるとの言葉がある。だが、ラインホルトはそういう自分が嫌で、自分の苦悩にまともに向き合おうとしない。そこがフランツとは違う精神の弱さだ。デーブリーンはユダヤ人で後にカトリックに改宗するが、本作の第1話ではユダヤ教徒の男がふたり登場し、フランツに暗示めいた言葉をかける。デーブリーンはベルリンの貧民街で精神科医を営業したが、ファスビンダーは本作で指摘しておきたい3つのことの最初に、「彼の作中人物、不幸でこれといった取り柄のない生き物たちに対するデーブリーンの態度は、彼自身は否定しているものの、ほぼ確実にジークムント・フロイトの諸発見の影響を受けている、というのが私の持論である。そうだとすれば『ベルリン・アレクサンダー広場』は、フロイトの学問的成果を芸術に適用しようとしたおそらく最初の試みであるだろう。」と書いている。また「エピローグ」で描写されるが、ミーツェの殺害後の裁判の後、フランツは精神病院に入れられ、そこで医師たちは自分の見解を述べて対立する場面があり、『カッコーの巣の上で』と同じように、精神科医への風刺が見られる。これはデーブリーンがフロイトや同業者をどう見ていたかを示唆し、また本作がフロイトの影響を受けていることは間違いがないだろう。ファスビンダーは本作で指摘しておきたい二つ目のこととして、「筋書きの一つ一つの些事を、それがどんなに平凡なことであっても、まるで非常に意味のある、大きな伏線のひとつとして物語ることだ。……簡単に言ってしまうと、筋書きのいかなる瞬間もそのためだけにあるのではなく、常にもう一つの別の、不可解で秘密に満ちた物語の一部になっているのだ」と書く。その後にデーブリーンがジョイスの『ユリシーズ』を知っていたかどうかはどうでもいいことだとし、「二人の作家が、殆ど同じ時期に全く同じ表現技法を作り出すことは、私は十分あり得ることだと思っている」と続ける。さて、先日書いたように筆者は目下ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』をまた最初から読み始めている。これは1925年に書かれた小説で、駆使された「意識の流れ」の手法は、『ユリシーズ』にも本作の原作にも用いられていて、誰が最初にその手法を発見したかは確定出来ない。
EVA KARCHER(エーファ・カルヒャー)著のTASCHEN版『OTTO DIX』は、「The Big City Triptychi 1927/28」と題する章で『ユリシーズ』を引き合いに出す。同章におけるディックスの代表作が同名作のベルリンの風俗を描いた3連作だ。
以前その図版を紹介した。今日はその左と中央のパネルの図版を載せるが、ディックスがこの大作を描いた1927、28年はデーブリーンが『ベルリン・アレクサンダー広場』を執筆した頃だ。つまり、ファスビンダーが本作で描写するベルリンの街の一画とは別に売春婦や傷病兵がたむろするキャバレーがあった。本作にもキャバレーの場面が少し出て来るし、ミーツェを買うためにフランツのアパートを堂々と訪れる紳士は、ディックスが描く「ビッグ・シティ」の中央パネルの右端に華やかな女に囲まれる男そのもので、貧富の差が大きかったことが想像出来る。それも現在の日本と同じで、金のない若い女は金持ちの男性に媚びを売る。この中央パネルの中央はチャールトンを踊る男女、左にはジャズ楽団を描き、画面左上隅には藤田嗣治そっくりの丸眼鏡の男がピアノを弾いている。
昨日紹介した坂口安吾は、昭和10年代前半に友人を頼って京都にやって来た。そして祇園で舞妓遊びをして辛辣な意見を書いたが、舞妓のひとりがダンス・ホールに行きたいと言うので、東山の辺鄙なところにあるその場所に出かける。舞妓がそこに行きたがったのは、ダンサーの男に惚れていたからだが、夜の商売をする者同士が交際する現実は「大都市」文化が開花したベルリンで顕著であったことが、ディックスの絵画や本作からもわかる。坂口が舞妓とダンサーの恋愛に取材して小説を書けば、『ベルリン・アレクサンダー広場』のような小説になった可能性もあるが、ダンス・ホールで踊るキモノ姿の舞妓が周囲を圧倒していたことに感嘆はしても、現実の夜の世界の男女の生態にはあまり関心がなかったのであろう。それはともかく、ディックスの絵画が『ユリシーズ』との関連で評論される点は、日本ではなかなか思いつかない。だが、エーファ・カルヒャーはディックスが1932年に描いた俳優のハインリヒ・ゲオルゲの肖像については触れない。筆者は1989年の日本初のディックス展で買った図録で、ディックスが牛のようなハインリヒを目の前にして睨み合っている凄みのある写真を知った。それとエーファ・カルヒャーの画集の写真を比べると、後者は裏焼きしていることがわかる。それほどにエーファはあまりハインリヒの肖像画に関心がなかったのかもしれない。だが、これは迫力と真実味に富む名作だ。筆者はハインリヒとディックスの出会いについて知らない。またハインリヒがどういう映画に出演したかも調べないままであったが、今日はひょんなことから手持ちの資料からそれがわかった。
今日の4枚目の写真はピール・ユッツィの映画でラインホルトとミーツェが森で話をする場面だ。その左ページのキャスト紹介の最初がハインリヒ・ゲオルゲで、彼がフランツ役を演じた。フランツは運送業の肉体労働者であるから、体は逞しい。そこでファスビンダーはハインリヒと同じ巨漢のランプレヒトを起用したが、3時間の劇映画ではもっと迫力のある俳優を考えていた。それはハインリヒのイメージが強かったからではないか。ハインリヒは迫力のある演技をしたのであろう。その映画をディックスは見て、肖像を描きたいと申し出たのではないか。ふたりをアップで捉えた別の写真もあって、交友があったことがわかるが、およそ100年経ってユッツィの映画やハインリヒのことがほとんどわからなくなっているのに、当時のベルリンやそこで蠢く人たちを描き留めたディックスの絵画は今や画集で気軽に見られる。筆者がディックスの作品を最初に見たのは1976年で、それ以来事あるごとに彼の作品を思い出し、今回はファスビンダーの本作との関係でまた印象を強くしている。話を戻すと、ユッツィの映画ではラインホルトはハインリヒとはきわめて対照的な優男が起用された。それではハインリヒ演じるフランツがなぜラインホルトを愛したかが伝わりにくい。その点、本作のラインホルトは男前とは言えず、かなり癖のある細身長身で、フランツとは釣り合いが取れている。また本作に登場する俳優は、エーファを演じるハンナ・シグラはひとまずおいて、他はみな癖のある、また美形とは言えない。そのことがディックスが描いた多くの肖像画にだぶる。ディックスは売春婦を常に醜悪に描いた。それはある意味では真実で、いかに若さや美形を誇っても、忍び寄る老いの影を隠すことは出来ない。ディックスが1932年に描いた「VANITAS」(虚栄)は、微笑む若い裸婦とその背後に骸骨のような老婆を描く。同じ年には第1次世界大戦で従軍した自身の経験に基づいた「塹壕での戦い」を描いたが、どちらもヒトラーが政権を握る前年の作だ。フランツはミーツェ殺害の容疑で再入獄し、服役後は駐車場の管理人として働くが、やがてヒトラーに心酔するとのファスビンダーの予想は正しいだろう。ディックスやファスビンダーのように生涯過激さを貫く表現の人生は稀だ。それでも市井の平凡な人、あるいはチンピラにも純粋な愛を覚える時があり、そこには真実がある。そのことは坂口安吾の日本のバラック云々の言葉にあった真実の生活の美と同じと言ってよい。それはまたファスビンダーが本作について3つ目に言っていることとも呼応する。それはデーブリーンの原作の表現技法が自ら作り上げたか、既存のものから選んだに関係なく、作品の価値があるとする意見だ。それは日本が欧米の猿真似であっても作品の質はそれとは関係がないとする安吾の意見を思い出させる。