具える必要最小限のメンバーはベースにギター、ドラムスの3人というのが60年代後半のロックの世界では常識化した。もちろん、そのうちのひとりがヴォーカルも担当出来ればなおよく、機材と演奏技術の発達によってさらに多様な音を奏でられるようになった。

そうなると、ベースにギター、ドラムスを基本にしなくてもいいとの考えも出て来る。これは欠落の美学とでも言うべきものだが、ベース、ギター、ドラムスから何かを引き、その代わりに比較的珍しい何かを足すという形態になることが多い。欠落させながら新たな何かを加えるので、新奇さを付与出来るが、昔流行った言葉で言えばポストモダンに当たるこうしたバンドのひとつが、今日取り上げる神戸を拠点にするO‘SUMMER VACATIONだ。これを「王様の休暇」と訳したくなるが、「O‘」は「OF」の意味だろう。となると、「夏休みの」となるが、5月で真夏の暑さになっている現在、ちょうど聴き頃となる。そのためかどうか、ヴォーカルの若い女性はステージに登場した時はレスリングかボクシングの選手のように、ガウンらしきもので上半身を覆っていたが、演奏を始める直前、それを脱ぎ去ると、臍は丸出しではないものの、山本リンダが「どうにもとまらない」を歌う時と同じ、腹が見える衣裳となった。また歌っている間、とても激しく動き回り、最前列で見ていた筆者にほとんどぶつかりそうな瞬間が何度かあった。彼女を中心とした写真を2枚撮ったはずが、どれも写っておらず、残念ながら今日は演奏前に屈み込むベーシストの写真しかない。彼はエフェクターの調性に余念がなかった。話を戻して、どの曲もテンポが速く、彼女は絶叫調で歌うので、大変な体力の消耗だろう。一見柔和な彼女が一旦歌い始めると恍惚の境地に入るのは、激しいリズムを伴なうロックという音楽の魔力だ。2010年にヴォーカルの横田という女性とベースの三木という男性が中心になって結成したバンドで、YOUTUBEの2015年12月の演奏ではヴォーカルは横田さんだが、その後に現在の新しい女性に交代したようだ。またドラムスも何人か交代しているようで、ベースの横田さんがバンドの中心人物であろう。もちろん女性ヴォーカルも欠かせない。彼女は基本的には楽器を担当しないので、ギターを欠いた物珍しさが売りになっている。これはドラムスと電子マリンバのレザニモヲも同じで、さあやさんは自分たち二人組にギタリストを加えると普通のバンドになると考えている。欠落性を大きな個性とするのは、絵画で言えば劇画に相当するかもしれない。写実からはほど遠く、また誇張や様式性が顕著であるからだ。つまり日本的ということで、作品に政治思想を盛り込まない。その最たる若者の音楽がAKBの類で、戦争放棄から無抵抗、そして「かわいい」を個性として、猫や子犬のように他者から攻撃されない存在を目指して来た。
「かわいい」文化が世界に歓迎されるのであれば、日本の若者のロックもそうなるだろう。すでにそうなっているのかもしれないが、AKBの人気が欧米に浸透しなくて日本のロックが歓迎されるとは思いにくい。そこでベイビー・メタルという「かわいいメタルロック」がそれなりに人気を得ているが、これは日本が様式化を得意とすることや、若い女性が音楽で活躍出来る場が広がっていることをよく象徴している。YOUTUBEにはヴァンクーヴァーでライヴをするO‘SUMMERの映像があるが、それは「かわいいパンク」という新しい様式として歓迎され、いい意味での無抵抗主義が認められているように見える。それは言い換えれば平和主義で、音楽本来の意味を体現している。ただし、日本は若者の賃金が上がらず、ますます住みにくくなって来ている。そういう変化に呼応して今後どういうロックが登場して来るのかという期待もあるし、それはミュージシャンにとってもやり甲斐があるのではないか。それはともかく、O‘SUMMERはヴォーカルを女性としたところに、パンク・バンドとして衆目を集める思惑があったのだろうが、彼女が何を歌っているのかはほとんどわからない。YOUTUBEで確認してもそれは同じで、歌詞はさほど重要ではないかもしれない。ネットではCDの音源が紹介されている。そこではヴォーカルは比較的よく聞こえるが、それでも歌詞は聴き取れない。ライヴ、また爆音のロックとなれば声は楽器にかき消され気味だ。女性の甲高い声はひとつの楽器として機能しはするが、横田さんのきわめて技巧的でまた音色が豊富なベースや、またドラムスの大きな音に比べると、添え物的存在に感じられる。そうであるから彼女は山本リンダ風の目立つ衣裳を採用するのかもしれないが、彼女が男であればこのバンドは意外性が減って注目されにくいだろう。デビュー当時から女性ヴォーカルであることは、歌詞が女性の視点を反映していると思うが、それは誰が作詞を担当しているかによる。女性が書いているのであれば、フェミニズムを唱えるバンドとなりそうだが、他のふたりが男であればそれも難しいか。仮にフェミニズムに無関係な歌詞ばかりであれば、女性ヴォーカルの意味合いは乏しい気がするが、日本ではパンクを演奏しても形の模倣となりがちで、音楽が体制に抵抗することは難しい。その点に筆者は大いに関心があるが、現在の若者が置かれる閉塞感や社会の矛盾を伝えることに無関心な歌詞であれば、それはそれで現在の若者の音楽の実態であって、責められるべきことではない。古典となっているパンクをもっと美的なものに洗練させる方向性はあるし、特に三木さんのベースは熟練の職人技と言ってよく、そういうことは日本は得意とする。O‘SUMMERが目指しているのもそこだと思う。
三木さんのベースはエフェクターの多用にもよるが、10年近く活動を続けて来たことによる、他の追従を許さない素早い指の動きを終始見せる。これではギターがなくても充分と思わせるが、一方で昨日取り上げたSCREAMING CAR SHOWの吉田さんのギターが加わればどれほど凄まじい音楽になるかと想像させる。さまざまなリフを連結する点でも双方のバンドは共通点があるが、O‘SUMMERはドラムスがベースにぴたりと張りついてパンクらしさを体現する。B52’sを思わせる曲があったが、三木さんのベースが奏でる複雑なメロディとリズムはB52’sのようにダンサブルではなく、劇画の誇張した人物の表情のように独自の様式を追求した過激なもので、そのベースにドラムスもヴォーカルも沿っている。そのため、おそらくアドリブはほとんどなく、ライヴではCDと同じように演奏するのではないか。そうだとすればなおさらギター的なベースの演奏技術は高度化し、またその余裕の中でどのようにルーパーやエフェクターを使えばよいかの実験を重ねることも出来る。また、どの曲もほとんど同じ猛速度で演奏される中にわずかな差異があって、聴き手が楽しむには何度も繰り返して聴いて曲を覚える必要がある。筆者はメタル系の音楽はほとんど聴かないが、たとえばどの曲も同じように聞こえるデス・メタルでもバンドごとに、また曲ごとに微細な差がある。それがわかると面白いことはわかっているが、それはジャンルが細分化されて来た80年代半ば以降の音楽すべてに言えることで、聴き手は広く浅くか、蛸壺的に聴くかのどちらかを選ばねばならない。それはまだましで、メタルやパンクを聴かない人も多い。聴かせる気にさせるには、すでにあるバンドに似た音では不利で、前言の「欠落性」を逆手に取ってバンドを特徴づければよい。ただし、その個性も大枠のメタルやパンクに収斂して埋没しかねない。そこに現在の若いミュージシャンの閉塞感もあるだろう。また、閉塞感を抱えている若者がどういう音楽を求めているかとなれば、ライヴハウスに集まる客の数からして想像が及び、ライヴハウスそのものが閉塞の状態にあって、そこで奏でられる音楽は外に広がりにくい。それはライヴハウスで演奏するミュージシャンのYOUTUBE映像の1000に満たない視聴回数を見てもわかる。その現状を打破するにはどうすべきかを誰しも日夜考え続けている。思い切って海外で演奏すると日本らしさを感じ取ってもらえて人気が出るかもしれないが、現在の日本のガラパゴス的文化が真に世界に影響を及ぼすまでに日本の若者が頑張り続けられるだろうか。嫌なことを考え始めると、筆者はどうにもとまらない。それならまだしも、この文章、決めている原稿用紙9枚という様式はこなしたが、「どうにもまとまらない」。こまっちゃうなーー。