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●京都深草Annie‘s Cafeにて、HYPER GAL
姿を見ながら聴くと何人でどのように演奏しているのかがわかるが、そのことが怪しくなって来たのがデジタル時代になってからで、少人数で多様な音が出せるようになった。これは演奏がロボット化して来たと言ってよい。



●京都深草Annie‘s Cafeにて、HYPER GAL_d0053294_01092856.jpg
完全なロボット演奏となると、これはいつどこで何度聴いても同じレコードやCDにすでにあったと言えるし、ジュークボックスはその形も含めてロボットさながらであった。それよりもっと昔にプレイヤー・ピアノが発明され、ピアノという楽器もロボットに近いものとして発明されて来た。客を前にしたステージでの生演奏におけるロボット演奏となると、70年代の小規模なシンセサイザーにあったが、今世紀に入ってパソコンの性能が著しく増して、ザッパが1億円ほどで購入したとされるシンクラヴィアによる音楽と同じような曲を個人で作ることが可能となった。ザッパのシンクラヴィア曲はコンサート・ホールで聴いてもその内容はCDと同じで、ライヴ演奏の面白みはない。コンサート会場や小さなライヴハウスに行く楽しみは生演奏にあり、この事実は人間がこの世にいる限りは永遠で、客を前にした生演奏はなくならない。演奏者の好みによって、パソコンなどを通じてのロボット的な機能を使う場合があるが、その操作も生演奏のうちにある。つまり、ライヴハウスで音楽に触れる楽しみはレコードやCDにはない一回限りの生の演奏、言い換えれば一期一会の出会いで、演奏者も客も人間的な触れ合いを求めていると言える。さて、今日から4回連続で24日に京都深草の国道24号線沿いにあるAnnie‘s Cafeで見たライヴを順に取り上げるが、印刷した地図を持参したのに、また店を見つけられなかった。地図に付した赤丸の位置にそれらしき看板がなく、うろたえながら10分ほど右往左往していると、制服姿の女子高校生がスマホを見ながら信号待ちをしていた。声をかけながら近寄り、店の場所を訊ねると、「知りません」と素っ気ない。彼女は目を上げて筆者の顔を見た途端、思いを変え、店のスペリングを筆者に問い、調べてくれた。そして振り返りながら、少し行くと赤い看板があるとのこと。筆者は100メートル北に赤丸印をつけていたのだ。彼女の親切によって汗まみれになることを免れたが、筆者が着いたのはほとんど一番乗りの6時半で、店内で待ち合わせをした金森幹夫さんはそれから20分ほど後に姿を見せた。そしてHYPER GALの演奏は7時を15分ほど過ぎてから始まった。角矢・石田のコンビの演奏を見るのは1月以来二度目で、今回も最前列の左手に座り、写真も撮った。前回書いた内容はほとんど記憶にないが、読み返さずに書く。まず、客に向かってヴォーカルの石田さんは、あまりしゃべらないと言いながら、5月なのに猛暑で疲れるとか、歌が無意味と言われるが、無意味に意味があるなどと、それなりに面白いことを口にした。
 意味があるかないかは、表現者の意図とは無関係に作品に接する者が勝手に決めることであるから、無意味を表現することに意味があるという作者の考えに対して意味がないと言う自由はある。またそれとは逆に、なるほどと頷くことも出来るので、ここではその観点から書き進めると、まずHYPER GALの音楽は、衣裳やユニット名はそれなりに若い女性であることを売りにしているが、AKBに代表される集団的な若い女性グループとはほとんど共通点がない。つまり、媚びを売りにしておらず、歌も単調そのものでサビがない。サビは曲の途中で少し利いているのがいいのだが、冒頭から最後までサビだらけという曲が2、30年前から目立って来た。サビで聴き手の気分がより高揚するのであれば、最初からその気分にさせればいいではないかとの考えなのだろう。それを「身も蓋もない」と言う。実際、世の中はまだるっこしい段取りを踏まず、いきなり中身、本番で、どんどん即物的になって来ている感がある。筆者にとって誰もが同じ顔に見えるAKBの類もそうで、彼女らに熱を上げる男性の気持ちが理解出来ない。彼らはおそらくライヴハウスには行かず、またHYPER GALを知っても声援を送らないだろう。ではHYPER GALの魅力はどこにあるかとなれば、「媚びない女らしさ」と言えそうだが、その意見を彼女らは無意味として退けるだろう。「どのような評価も拒絶しているほどの媚びのなさ」と言い替えればいいかもしれないが、作品は公にした途端、あらゆる評価の目に晒されるし、そこには一抹の正しさも混じるはずだ。そうでなければ作品行為は無意味で、何もしないほうがよい。彼女たちが様式を保って定期的に演奏するのは、石田さんが言うように、無意味と誰かから思われてもそこに意味があると思っているからで、意味のある行為をしている自覚を認めることが出来る。ところで、彼女のヴォーカルは念仏のような繰り返しで、実際筆者は空也や一遍上人の念仏踊りを想像するが、HYPER GALの演奏はダンス・ミュージック風ではあっても、どの曲も3分程度で、また曲の途中で大きな不協和音を伴なってのリズムの短い中断があり、踊りながら無我の境地に入るものではない。つまり、ダンス音楽ではなく、その効用を目指してもいない。1月の演奏に関して筆者はミニマル性を挙げた。白と黒のみの衣裳はミニマル性であり、また音楽がよけいなものを可能な限り削ぎ落している点でもそうだが、実際は彼女たちの音楽はミニマル性も否定している。ミニマル音楽は同じ音形をそのまま繰り返さず、漸次少しずつ変化して行くところに味わいがある。それはたとえば1分の長さの曲を1時間に引き伸ばして演奏することでも表現出来るが、最初から最後まで同じ音形の繰り返しが続くものではない。そういう音楽はむしろロックだ。HYPER GALの奏でるリフはロックのそれと言ってよい。
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 彼女らの単純で短い音形の繰り返しを強烈なドラムのビートを組み合わせる音楽は、たとえばザッパの1966年のデビュー・アルバム『フリーク・アウト』の「ヘルプ、アイム・ロック」に似ている。同曲は多くの人の声が混じり、複雑で混沌とした世界を表出するが、HYPER GALは石田さんがヴォーカルのみ担当し、残りの音はすべて角矢さんが奏でるので、どうしても音色は少なく、それだけに硬質で直截的だ。そこにルーパーを使って加えられる数音の短いメロディの繰り返しは、漸次変化して行くものではなく、またサビの変化もないままに突如終わる。そのように示しをつけるしかない音楽であって、長い繰り返しによる意識の高揚を目指してはない。このように、どの部分も何かに似ていながら、それらを拒否しているところが感じられ、そこに現在的な新しさを認めることは出来る。ただし、それを音楽の愉悦かどうかは聴き手によって思いは異なる。また、彼女たちはメロディのよさや和音の安心感といったものを削ぎ落し、ほとんどリズムだけを残しながら、それも途中で断絶させるという、非音楽的な音楽を求めているが、生で見る彼女らの演奏は、ロボットに見えることを目指してはおらず、客に向かって話し、衣裳にこだわり、また若さを強調した名前をつけているので、非音楽的ではあっても非人間的では全くない。また、その非音楽的なところは、ルーパーを使わず、ギタリストやキーボード奏者を加え、曲の途中にサビの部分を設けると、いくらでも音楽的になり得るが、そうなればどこにでもあるようなバンドになりかねない。そういう没個性を彼女たちは拒否しているのであろう。その禁欲的ともいえる立場は、筆者にはダダを思わせる。もちろん1910年代のヨーロッパ各地で起こったダダ運動の誰かに似ているというのではない。ダダは男性的であるからだ。また有名な女性作家のハンナ・ヘヒのコラージュ作品は女性らしさがあるが、それをHYPER GALと比較するのもやはり無理だ。筆者は今立ち上がってCD棚からハノーファーで生まれたクルト・シュヴィッタースの「URSONATA」を取り出して聴きながら、彼の「メルツ」と題するコラージュ絵画を思い出している。筆者は20代半ば頃から長らく彼に心酔したが、彼は絵画、彫刻、建築、グラフィック・デザイン、音楽、詩と、あらゆる芸術に誰とも似ていない独特の才能を発揮した。「URSONATA」はイーノに影響を与えたが、ダダはトリスタン・ツァラがチューリッヒのキャバレー・ヴォルテールで命名し、1970年代にイギリスからキャバレー・ヴォルテールというバンドが登場したところ、ダダの精神は忘れられていない。キャバレー・ヴォルテールの演奏をもっと削ぎ落して単純化した音楽をHYPER GALがやっているところ、彼女らにダダを想起することはあながち間違いではない。
by uuuzen | 2019-05-27 23:59 | ●ライヴハウス瞥見記♪
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