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●『絹谷幸二 天空美術館 夢見る力~空想大劇場~』
松」という看板が外されていることに最近気づいた。松尾大社の近くにあった果物店で、閉店して20年ほど経っていた。同じ看板は桂にもあって、店は営業していないが、昔は芋を扱っていたのだろう。



●『絹谷幸二 天空美術館 夢見る力~空想大劇場~』_d0053294_01414594.jpg芋があまり売れなくなったので野菜や果物全般を扱うようになったのかどうかは知らないが、スーパーが近くに出来てからは売り上げが減少し、ついに店を閉めた。ところがここ10数年で商売相手であったスーパーもなくなり、今はコンビニになっている。そのコンビニも嵯峨では閉店してコイン・ランドリーに変わった話を聞いたが、時代の変化は著しい。それでも「芋松」の屋号は面白く、焼き芋店に似合いそうだ。最新の格好いいものも10年や20年で古臭く見えることがある。その一方、古いものが却って新しく感じることはよくある。芸術家は有名になりたいために作品を作り続けるのではないが、作品が売れないことには制作はままならないから、作品が売れること有名になることとは関係がある。それで名前を先に売れば作品が売れると勘違いする者もいるが、作品が他者に評価されて名前も知られて行くのであって、まずは作品が目立つ必要がある。その目立ち方にいろいろあって、作者が自身の姿を世間に晒すことに積極的な場合は若い女性に多い。そういう作家は周囲から「天は二物を与える」と持てはやされることを期待し、また本人もその人気に応じて人目を惹く作品を生み出すことがままあって、芸術の世界でも注目されるために何でも使うことが常識となっている。つまり、売れるためにはなりふりかまわずで、引っ込み思案では誰も注目してくれない。目立つほどに人気が出るとなれば、その目立つ方法をどのように生み出すか。それこそ何でもありで、またそうであるだけに突飛であるほどによい。だが、みんながそう考えている中で突飛なことがどれだけ可能か。見え透いた突飛さは、単なる面白さ狙いで、表現の必然性が欠如していると思われかねない。またすぐに模倣されるが、先に表現した者勝ちであって、その見え透いた突飛さが安定した人気を得ると、評論家は簡単に自分の当初の思いを曲げて賛美する。結局のところ、人は作品を前に好きか嫌いかを決め、嫌いな場合は無視し、好きな場合は褒めるが、なぜ好きなのか、なぜ嫌いなのかを考えると、そこから社会と自己の関係が見えて来る。これは自分が社会の動きからどれだけ遅れた考えをしているかの確認になるかと言えば、それは他者が決めることで、自分ではわからない。ただし、仮に自分が時代遅れの考えをしていたとしても、それを恥じることはない。「芋松」が一概に時代遅れの屋号と言えないことと同じで、時代遅れに見えているものが将来何かの糧になることは珍しくないからだ。となれば、筆者の文章も時代の先を見抜いていることもあり得る。
 今月3日はボルタンスキー展を見た後、梅田スカイビルを目指した。最近地下道がなくなったことをTVニュースで知っていたので、グランフロントの少し先から西へは道がないと思って、工事現場を囲む白い塀沿いに福島方面に向かって時計回りに歩き、福島駅前辺りからスカイビルを目指した。後でわかったが、地下道は壁の絵が変わっていたものの、以前と同じ場所にあった。そのため、5,6倍は長い距離を歩いたが、初めての道でそれなりに面白かったと痩せ我慢で気分を取り直した。スカイビルを訪れるのは5,6年ぶりだろうか。今回は2棟あるスカイビルの西棟27階にある絹谷幸二の天空美術館を訪れるためで、西棟は初めて利用した。ここで書いておくと、天空美術館より少し上階に大阪ドイツ文化センターがある。展覧会を見終えた後、同センターに立ち寄ろうかと思いつつ1階に下りると、ちょうど午後5時であった。同センターは閉館していたはずだが、あるいは連休で休館していたであろう。それはさておき、帰宅して調べると同センターにYYさんが勤務しておらず、驚いた。2,3か月前まではそうではなかったのに、新年度を迎えて退職か転勤になったようだ。同センターに問い合わせてもいいが、個人情報保護から教えてもらえないだろう。もしYYさんがこれを読めば、連絡してほしい。話を戻す。天空美術館が出来たのは2年前とのことだ。当時京都国立近代美術館で絹谷幸二展があったが、2008年に彼の展覧会を見たので、それには訪れなかった。そして本展は2,3か月前に開催を知った。半年間の会期で、来月10日までやっているが、連休中に気晴らしに訪れるのはいいと思って家内と出かけた。2年前に始まった展示のリニューアル展で、「夢見る力」と題される。これと会場でもらったリーフレットにある「人類を元気に!」という言葉を合わせると、絹谷の思いがよく伝わる。梅田スカイビルは外国人観光客が日本で見るべき現代建築のベストに挙げているので、その人気を見込んで絹谷は自分専用の美術館を設けたのだと思うが、屋上に行くには東棟を利用するから、西棟にはほとんど人が訪れないのではないか。また西棟はテナントが空いていて、それで27階を美術館として使うことが出来たと想像するが、そうでなくても絹谷はこの高層ビルが気に入り、自作の展示にふさわしいと思ったのであろう。もちろんそれは眺望がいいからで、この美術館には喫茶店「天空カフェ」もある。リーフレットの平面図を見ると、誰でも利用出来そうだが、そのような客はいないだろう。それにエレベーターを降りるとすぐに本美術館のエントランス・ホールで、そこには高齢の親切な警備員がひとりいるので、入場せずに右手からすぐ後方へと回り込んで「天空カフェ」方向には歩きにくい。なぜこんなことを書くかと言えば、その喫茶店は眺めがよいのにとても安かく、また客が少なかったからだ。
 本展の面白さはエントランス・ホールを入ってすぐの円形のシンボル・ゾーンだ。そこで専用の眼鏡がもらえて20名ほどが横並びに座って合計10分ほどの3D映像の「平治の乱」と「夢無辺」を続けて見せられる。これは絹谷の絵画に入り込んで別世界が次々に展開して行くもので、龍が大きな口を開いて見る者を飲み込む場面もあって、子どもは大喜びするだろう。3Dとはいえ、絹谷の絵の各画題が江戸時代に流行った「立版古」のように平面の切り抜きが空間に浮かぶ2D的3Dで、その舞台の書き割りじみた様子が少々安っぽい感じがしたが、それは日本的であると言え、3D映像で描かれる日本的な画題に合っている。これは絹谷が監修して外注したものだろうが、観客動員を見込む思惑としては成功している。芸術的なアニメは昔から世界各地で制作されていて、絹谷のこの映像がそういう作品に比べてどうかとなれば、あまり意味はないと思うが、背後の部屋に絹谷の2Dとしての絵画がたくさんあり、またそれらとこの映像の関係を考えると興味深いことがある。そのひとつは、表面がかなりざらついて凹凸感のある絹谷のフレスコ画の質感が、3D映像では感じにくいことだ。現物の質感が伝達されにくいことは画像や映像の宿命で、それで絹谷が重視するのは絵画のマチエールではなく、絵画に描く空間ということになるが、そうなればアフレスコにこだわる必要がなくなり、3D映像は絹谷の絵画の持ち味を展開する一方で欠落させてもいる。ただし、そのように思う人はきわめて少ないはずで、多くの人は絹谷の絵が立体的かつ分解的に見られることを楽しむだろう。また3D映像は画家として自作をわかりやすくするため、また人々を元気にするための一助で、重要であるのは会場の大部分の面積の壁を占める絵画だ。それは子ども連れが楽しむ遊園地的なものと言ってよく、深淵なる思想といったことをあまり考える必要はない。となれば時代が変わればすぐに消えて行く大衆文化の類かとなるが、まずは見て楽しく、快活な気分になることが肝心との思想が絹谷にあるのだろう。その点をどう評価するかは見る人次第で、「ああ、面白かった」、もしくは「どこが面白いのかわからない」のどちらの人もいるはずで、またそのことはどのような美術についても言える。筆者は絹谷の絵画を見知っていることもあって、本展では3D映像は面白かったが、絵画はごちゃごちゃした感じが強く、また風神雷神や仏像など、日本の古い画題があまりに漫画的でしかも決して上手とは言えず、精神性を求めるのは無理な気がした。これはこの美術館の展示作品が特に持っている傾向かもしれないが、とすれば絹谷は高齢になるほど元気さは溢れても、より漫画的、悪く言えば卑しさのようなものが露わになった気がする。つまり、俗受けを狙い過ぎで、筆者はあまり正視する気が起こらなかった。
●『絹谷幸二 天空美術館 夢見る力~空想大劇場~』_d0053294_01530348.jpg スカイビルのワン・フロアを自分の美術館として借りるのにどれほどの費用がかかるのか、筆者には皆目わからないが、入場料はテナント料のごく一部にしかならないだろう。そう思うと絹谷の名声とまたそれによる収入の多さに目が眩むが、東京芸大の名誉教授で文化功労者にもなればそれも当然なのかもしれない。「天空カフェ」の壁面にはあらゆる色の顔料が入った大きな透明の瓶が数百個も並べられていた。それらを絹谷が使っているのだろうが、その一瓶の顔料代だけでも数十万円はするはずで、それらを存分に使って描ける身分というのは、貧しい青年画家にすれば自分が地獄にいる気分がするだろう。貧富の格差がますます拡大している日本と言われるが、頂点に立った画家とはどういうものかがこの美術館からわかる。会場のモニターでは絹谷の壁画をパネルに移し替える作業を記録した映像を見ることが出来たが、そのストラッポと呼ばれる技法を数人の男女が担当していた。彼らは絹谷が雇っているのだろうが、そのことにも驚かされた。絹谷が描くこと以外にそれをパネルに移し替える手間も要するからで、その独特の技法もあって絹谷の絵画の価格はどれほど高額かと思わせる。彼の技法はアフレスコと呼ぶもので、これはフレスコ画のことだが、アフレスコのアは、アカペラのアと同じく、英語の「to」の意味であろう。フレスコ(fresco)は京都で有名なスーパーの名前でもあるが、これは英語の「fresh」で、フレスコ画は漆喰が乾かない間に、つまり新鮮な間に水で溶いた顔料で描く。そのため、1日で描く分量を見定めて漆喰を塗るが、壁に顔料が染み込んで徐々に乾燥し、表面は強固になる。それは壁画として鑑賞するにはいいが、別の場所に移動するには壁から絵の部分を剥がしてパネルに移し替える必要がある。それがストラッポ技法で、これは専門家がやらねば壁画を破損する場合がある。絹谷の絵画はイタリアのとても古い絵画技法を使いながら、絵は日本の漫画的であるから、極端な新旧が混交している。それはフレスコ画であり漫画である点で他にはない画風であり、また他の画家が模倣しやすいが、それはそれだけのこととなる。となれば、誰も試みていないアイデアを実践すれば名声を得られることになりそうだが、それは事実と言ってよい。ただし、アイデアはあっても多数の作品で実践することは大変だ。それには才能は当然のことながら、時間と金をまず要する。それに、絹谷のように作品が大きな公募展で受賞することも欠かせない。今この瞬間にも、古い技法を復活させ、それで斬新な作品を作る人がいるはずだが、彼らの実験のほとんどは芋とみなされて注目されずに終わる。その無限の作業の繰り返しの中から、「人類を元気に」する作品が生まれるとして、「光陰矢の如し」であり、「少年老い易く学成り難し」でもあって、自分ですら元気を保つことが難しい。
by uuuzen | 2019-05-13 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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