織物のように道が縦横に走っている奈良市内だが、昔からもっぱら近鉄奈良駅から東部を歩くばかりで、一度郡山からJR奈良駅まで真冬に歩こうと思いながらまだその機会がない。そのように思い始めたのは、柳沢淇園がかつてそのようにして歩いたからで、そのことは彼の書からわかる。

2年前の晩秋に家内と一緒に大和文華館に淇園の半世紀ぶりの展覧会に行き、写真をそれなりに撮ったのに、ブログに投稿する機会をなくした。そう言えば2年前は展覧会をたくさん見たにもかかわらず、ブログに投稿したのはたったの3回で、そのことが大いに気になっている。見た展覧会はどれも覚えているし、またかなり月日が経ったほうがよけいなことを忘れているので、却って感想を書けば面白いものになる気がしているが、あれもこれもと欲張っても時間がない。それはそうと4日は大阪でライヴを見るためというより、奈良での展覧会が主な目的で、ひとりで出かけたが、以前訪れたのはいつかと思って先ほど調べると、2年前の2017年には行っておらず、少なくとも2年半以上は経っている。これには驚いた。毎年必ず行っているはずと思っていたからで、またいつも歩く道はほとんど同じなので、久しぶりに訪れてもそういう気がしない。ところで、京都から奈良に出るには近鉄京都線を使うか、梅田に出てから鶴橋経由で向かうかの方法があって、どちらが交通費が安いかとなれば、ほとんど変わらない。それでも大阪に出るほうが何かと便利で、4日はそうした。展覧会は5時で終わり、ライヴは7時半が開場で、2時間半をどこでどう過ごそうかと思っていると、奈良で古書店などを覗き見しているとあっと言う間に時間が経った。展覧会を5時まで見た後、大通りを南にわたって興福寺の境内に入った。するといつの間に完成したのか、中金堂がすっかり完成していた。今調べると去年の秋に落慶したとわかったが、見た展覧会のチケットの束を繰ると、2年前の8月下旬に大阪高島屋で『興福寺の寺宝と畠中光享展』を見ていて、そのチケットの裏の文章に2008年秋に約300年ぶりに中金堂を再建し、その高さ10メートルの柱に畠中が描く14名の法相の祖師像が貼られるとある。そのことを同展で知ったはずなのに、去年秋の落慶は知らなかった。新聞を読まなくてもネットにニュースが出たはずだが、それを目に留めなかった。それに去年は奈良には行かなかった。この中金堂の工事について初めてブログに書いたのは2010年11月で、
「興福寺境内通り抜け」と題し、翌年3月には
「興福寺境内通り抜け、アゲイン」として投稿した。それからでも8年も経っている。その間に何度も工事中の様子は見ているが、変化がないこともあって撮影しなかった。表向きの変化がないのは当然で、完成するまで仮の建屋はそのままだ。それはともかく、最初の投稿から9年目にして中金堂の写真を載せることが出来る。

石段を下りて猿沢池の畔に着くと、西日が強く差す中、柳の苗木に気づいた。そこが以前はどういう眺めであったかはグーグルのストリート・ビューを見ればわかるが、柳の古木が並んでいたと思う。それが全部若い木に変わったのは、去年秋の台風で古木が倒れたからではないか。そう思ってゆっくり歩いていると、通りがかった人の「桜の木がなくなった」という話し声が聞こえた。柳と桜は京都でもよく一緒に植えられるので、猿沢池でも桜の木はあったのだろう。池の西端の桟敷のようになった通路に白木の丸太を50メートルほどの長さに連ねたベンチを見かけた。これも以前来た時にはなかった。20人ほどが座っていて、中央辺りが10メートルほど空いていた。座っている人の前を通るのは気が引けたので、桟敷から60センチほど下がった道路から上って丸太をくぐった。そこに腰を落とし、池を眺めると涼しい風が吹いていてとても気持ちがいい。喫茶店に入っても殺風景で、興福寺の塔が左手に見える絵はがきのような眺めを楽しみながら、手提げ復路からメモ帳を取り出して、切り絵の案を鉛筆でいろいろと練った。その後はアーケードのある商店街に入り、いつも訪れる古書店や骨董店を梯子したが、後者について書いておく。店内を一巡すると、レジのテーブルに掛軸を写真を貼付した分厚いファイルがあった。天神さんや弘法さんの縁日で業者がやっている方法で、客は小さな写真でまず確認し、気に入ったものがあれば実物を目の前で広げてもらえる。時間つぶしのつもりでそのファイルを順に繰り始めると、目の前の女性店主は「気に入ったものがあれば広げます」と何度か口にした。顔を上げると、彼女の背後にたくさんの掛軸の箱があることに気づいた。写真ファイルは絵画が8、書が2の割合で、10数点に1点は写真に×の線を引いて売り切れを示してある。数百の写真をざっと見て行くと、2点気になった。1点は四条・円山派の絹本墨画淡彩の栗図だ。達者な筆さばきで、3000円しなかった。広げてもらうとやはり知らない画家で、ネットで1000円で手に入る部類と思って買わなかった。もう1点は名刺の半分ほどの写真で、ファイルの全作品中、場違いな文人画だ。その紙本墨画の横幅の蘭図を広げてもらって、驚いた。筆者がよく記憶する印章の欠け具合や彫りの個性は、田能村竹田の小判型印の本物に間違いない。2000円なのでよほど買おうかと迷いながら、箱がなく、また軸先はプラスティックで、とても安っぽい表具は比較的新しい。それに墨のかすれがどうも印刷らしい。竹田は贋作がとても多い。竹田に蘭図はあるが、店の作品は竹田らしい訴えるものがどうも希薄だ。真作の可能性はなくはないが、他の掛軸からして、竹田の本物は混じらないだろう。それでも買おうと思いつつ、その60センチほどの長さの巻物を持ったままライヴを見るのは面倒と考えた。