候補になる作家には展覧会の開催日の何か月前に出品依頼があるのだろうか。それには与えられる展示スペースの問題もあるが、本展では大きな一部屋丸ごとが会田誠の一作品に与えられ、話題になったその作品を見るためにも筆者は出かけた。
今日は
先月28日の投稿に続いて、書き足りなかったことに触れておくが、図録を買わず、また会場で受け取った展示目録は各コーナーに展示させた作家名のみ記され、作品名がないので記憶を呼び戻すのに不便だ。たとえば、チラシ裏面には20ほどの作品の小さな図版が並び、その中に万博公園の「太陽の塔」を背後から撮ったものがある。これは映像作品の一コマで、この映像を筆者は全編見たが、作者も題名も覚えておらず、作品目録のどの作家かわからない。「太陽の塔」の周辺に飛び回る烏の群れを執拗に追ったカラー映像で、また近くの高速道路を走りながら撮った場面が続き、最後は若い女性がちらりと映る街角であったが、題名がわからないこともあって何を訴えようとした作品かよくわからない。映像作品では学生運動やロック・バンドの演奏に合わせて踊る若者の生態をコラージュした白黒ものもあった。これはネットで調べて松本俊夫の「つぶれかかった右眼のために」という題名がわかった。その60年代末期の雰囲気が面白かったが、ゴーゴーダンスを踊るホット・パンツ姿の若い女性の股間がクローズアップされる場面が何度かあって目を引いた。ロックの喧噪さやそれに伴うエロさ加減は、その後バブル時代にはもっと盛んになったが、現在はロックで踊る若い女性の姿は見かけない気がする。それに政治に若者が異議を唱えて暴れることもない。その意味でもその映像作品は昭和を特色づけるものと言える。そうそう、一昨日の「風風の湯」であったことを書いておく。サウナ室で81歳のMさんと談笑している時、初めて見る中年男性が入って来て、たっぷりと濡れたタオルをその場で絞って水を垂らし、Mさんの隣りに座った。嫌な気分がしたが、Mさんは連休中の家族の話を続け、福井から京都に入ると道路事情が悪くなることを言った。その直後に男性はこちらを向き、大きな声で「原発事故で苦しんでいる人が今もいるのに何ということを言うのか!」と意味不明のことを大きな声で話して来た。Mさんも筆者もきょとんとしていると、勝手に話を続け、「自分は有名都市銀行に勤務する44歳だが、だいたい今の日本を作った段階の世代のために自分たちは苦労して働いていて、早くそういう連中がいなくなってほしい」とわめき散らし、その後も意味不明のことをまくし立てた。Mさんはそれを受け止めながら、「政治に文句があるならこんなところで言わずにもっと世間に向かってデモするなり、行動せなあかん」と諭した。日本を背負っているエリートの自負のあるその傍若無人の男は、隣り合った見知らぬ年配者を敬わず、筆者は日本の劣化を垣間見た気がした。

その男はサウナ室を出た後、すぐに水風呂に入り、「冷たいーー!!」を10回ほどあらん限りの大声で絶叫した。それは女湯を越えて、近くの中ノ島小橋まで丸聞こえのはずで、一緒に来ていた中学生の子どもが同じように恥の精神のない大人になるかと思うと、なおさら気分が悪かった。そういう気分の悪さと芸術が無関係かと言えば、たとえばロックをただうるさいと感じる人がいるように、絵画でも彫刻でも嫌悪感を催す人はいるだろう。先月会田誠がヌード・デッサンのモデルをしている若い女性から訴えられたことをネットで知った。彼女は会田の作品が女性を貶めていると主張した。筆者はほとんど会田の作品を知らず、これを書き始めるつい先ほどにネット検索すると、四肢を切り落とされ、その箇所に包帯を巻いた若い女性が犬のように四つん這いになって花見をしている絵画を数点見かけた。そのエログロさに若い女性が目を背けたくなるのはわかるが、表現の自由があるし、またその作品は、70年代の
佐伯俊男がよく描いた作品と同類でしかも出来は劣ると筆者は思うが、もっとひどいエログロの行為は戦争中にさんざん行なわれたのであって、平和な時代にそういう作品を見て違和感を覚えるというのは、人間の本質を直視しようとしない態度に思える。これは以前ブログに取り上げた
ファスビンダーの映画『13回の新月のある年に』では、牛を解体して食肉にする工場の様子が長々と映し出される。さすがにその場面は吐き気を催すが、その仕事に従事する人がいて、みんなは肉を食べることが出来る。四肢のない若い女性は交通事故によってそのような姿になることはあり得るし、彼女が外に出て花見をしたいとして、誰もそれを止められない。会田はそのように思ってその絵を描いたのではないだろうが、人間はいつどのような姿になるかわからず、健康体であることだけが芸術表現の題材にかなうと考えるのは歪であろう。第1次世界大戦に従軍したドイツのオットー・ディックスは、傷病軍人の姿を盛んに描いた。それらは痛ましいよりも滑稽で、またそのように言えば不謹慎だと謗られるが、手足のない軍人が街中を体を揺すりながら歩いている姿は、客観的には漫画のように滑稽だ。またその滑稽さは不気味さや異常さも持ち合わせていて、それらはすべて戦争から出て来たものだ。一方ではそうした傷病軍人が闊歩出来るのは平和でもあるからで、会田の四肢のない娘の絵は、現在日本における、たまに報じられる若い女性を標的にした猟奇的な事件の反映にも思わせ、戦争のない時代であるから絵画はすべて人の神経を逆撫でしないものであるべきと思うのは、脳天気というほかないだろう。平和に見えて、あらゆるところに暗黒の穴は開いているのが現実で、それはみんな感じ取っている。人間は戦争によって狂うが、平和な時でも狂う。今の日本を見ていればそのことは誰でも納得する。

さて、本展のために特別に制作が依頼されたと思うが、その候補になってのはどういう条件があったのかはさておき、現在活躍中の作家4名が取り上げられた。柳瀬安里、会田誠、石川竜一、しりあがり寿で、筆者が名前を知るのは会田としりあがり寿のみで、またしりあがり寿の作品は本展では会場の入り口の階段ホールに洗濯物のようにたくさんぶら下げられた「ヒーローの皮」と題する衣裳と、開場の出口際にあった「地蔵マンZ」と題する白黒のアニメで、後者はモニターがあるとは気づかず、見ていない。その代わり、そのダイジェスト版がYOUTUBEで見られ、先ほど確認した。地蔵さんをロック・ギタリストになぞらえ、ドラムスの音は木魚を使い、主題歌もなかなか印象的なアニメで、日本の仏教界はこれを子ども向きに仏教を知らせるにはいい内容と歓迎するのではないか。住職も楽器を奏でて法話をし、寺が本堂を利用して若いミュージシャンに演奏させることは珍しくない時代で、地蔵さんがロックと合体して正義の味方となるのは不自然ではないどころか、遅いくらいだ。柳瀬と石川は写真を展示し、また後者は映像作品もあったが、あまり印象にない。何と言っても圧倒的であったのは会田の「MONUMENT FOR NOTHING V~にほんのまつり~」で、これは青森のねぷた祭りに登場する山車の技法を用いた巨大なオブジェで、天井から吊り下げられていた。それはほとんど骸骨のように痩せ細った日本の兵士が展示室の床に置かれた国会議事堂を指で触れようとしている姿を象ったもので、ねぷたの山車のように夜に点灯はしないと思うが、どのようにして会場に運んで展示したのかを思うと、その制作に驚くほかない。だが、これは半年ほど前に深夜のTV番組で見たが、弘前のねぷた祭りでは毎年山車のコンテストがあり、最優秀賞が決められる。それに出品している若い女性が紹介されたが、彼女がひとりで伝統的かつ巨大な山車の人物群の新たなデザインを構成する様子を知った時はもっと驚いた。それは技術的なことを完全に把握していることを前提に、いかに斬新で迫力があって、祭りの夜に人々に強い印象を与えるかを計算しなければならず、伝統工芸とはいえ、京都のちまちましたものとは比較にならない考えと行動力を見た思いがした。またそういう若者が青森にごろごろいて、彼らの山車は芸術として大都市の美術館で展示されることは絶対にない。そして彼らの山車の技術を模倣して会田は戦争で死んだ兵士の思いを代弁しようとしたのかもしれないが、結局は政治によって国の動きがいかようにも変わり、先のMさんの言葉のように、「政治に文句があるなら世間に向かってデモするなり、行動せなあかん」のであって、会田のその作品は平和にぼけている人々をぎょっとさせるに充分で、筆者は本展に出かけた甲斐があった。