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●『画業と暮らしと交流 「大観邸」 横山大観』
親をほとんど知らずに育った筆者は大人になる過程で父親代わりの人物を求めたのであろう。それは実際に会って話せる人物でなくてよい。作品や著作を通して尊敬出来る男性で、筆者にはそういう存在は何人もいる。



●『画業と暮らしと交流 「大観邸」 横山大観』_d0053294_23513220.jpg最初に就職した大阪の設計会社で筆者は家内と同期で、新入社員教育の場であったと思うが、横長のテーブルに筆者はひとり置いて家内の右手に位置した。家内は筆者の横顔の少し左手に社長の顔を見ながら話を聞いたので、嫌でも筆者の顔が目に入った。そして印象は、がちがちの真面目タイプでつんと澄まし、女性には全く無関心、アホなことを言う連中には目もくれないというものであったらしい。それは半分当たっていて、真面目でなければ先の長い人生を生き残れないと漠然と思っていた。それは今も変わらないが、思えばもう老境だ。もう真面目でなくてもいいと思うが、そもそも筆者は真面目に生きて来たかと言えば、真面目に遊んで来たというのがふさわしい。人間、どのようにしてでも生きて行けるものだ。ただし、後悔するのは駄目で、自分で選んだ道の先がどのようになっていても、それを受け入れねばならない。さて、今日は今月13日に京都の高島屋で見た展覧会について書く。横山大観は筆者には父と思える存在ではないが、その想像される人柄は稀有なもので、作品に対峙すると身が引き締まる思いがする。大観の展覧会は何度か見ていることもあって、特に書きたいことはないが、母を見舞いに行くついでに見た。予想以上に盛況で、どの作品の前にも隙間なく人が並んでいた。筆者は大方は人の背後から見たが、珍しい作品がたくさんあって面白かった。副題に「大観邸」とある。これは東京上野池之端つまり不忍池のすぐ近くにある。戦争でほとんど焼け、戦後復元された。筆者はそこに訪れたことがある。正確な日時は調べなければわからないが、1988年頃の春と思う。当時東京で仕事をしていた女性に案内してもらった。彼女は筆者より一回り年下で、美術好きの筆者が今度東京に来た時はぜひそこに案内しようと計画していた。彼女と訪れた時、他には来館者はおらず、彼女はその雰囲気が気に入って、母親にもいつか見せたいと言った。おそらくその機会はなかったであろうが、彼女はその時のことを覚えているだろう。展示してある絵はさほど多くなかったと思うが、最も印象深かったのは床の間にあった横長の水墨画で、冬場の桐にフクロウが描かれていた。当然それは本展に出品された。筆者が桐に関心を持って屏風やキモノに染めたのは、その絵を見たことと、当時3階の仕事場から山を見ると、5月に薄紫色の花を咲かせる桐の木が数本よく見えたことによる。どちらが先の経験かはこれも調べなければわからない。
●『画業と暮らしと交流 「大観邸」 横山大観』_d0053294_23520882.jpg
 本展を見たいと思ったひとつの理由は、チラシにある「横山大観」の署名だ。これは珍しい。大観は自作に「大観」と署名するからだが、どの作品あるいは何にその「横山大観」が記されているのか確認したかった。それは辞令をもらった際、あるいは叙勲の際の挨拶文の署名ではなかったか。ただし、本文はとても達筆で、そのことを家内に言うと、代筆であることがわかった。だが、署名だけは大観がした。大観の書の作品はあまり聞いたことがなく、字は得意でなかったかもしれない。だが、この「横山大観」の署名はよい。筆者はその4文字の大観の署名を所有している。厚さ4センチほどの芳名帖に10数名の有名日本画家の署名と押印があって、昭和8年頃のものだ。全員が署名の上部に画題を書いているが、最初が大観で、「海春」と書く。この「海春」を見ながら、大観の本質が絵を見る以上に脳裏に鮮明に浮かび上がる。その後の大観の画業を思ってのことだが、大観の画業は日本の15年にわたる戦争とは切り離せず、池之端の邸宅が戦災に遭い、それが再建されたことは、大観の画業を今後どのように考えて行くかを示唆もしている。昭和8年は1933年で、ヒトラーが政権を得た年だ。その2年前に日本は中国に侵攻していた。それから15年の戦争の間、大観は描き続け、また戦闘機の費用を賄うために描きもしたが、それは異国で戦う兵士を思っての出来得る限りの粉骨砕身であった。そこに「海春」の二文字を思い合わせると、それは戦艦や戦闘機が行く海であり、また異国の地で死んだ兵士の魂が日本に還って来る海であって、筆者はこの二字を見つめていると涙が止まらない。それほどの気宇の大きな画家はほかにはおらず、大観以外は当時の画家はすべて小粒に見える。戦争の責任を誰に負わせるかといった問題を超えて、大観は戦争という運命を受け入れ、日本の風土の限りない美しさを描き、またそこに生きる者の魂と死者のそれとが宿り続けることを願った。そしてそれは作品に表現されて今も人の心を打つ。本展に出品された昭和27年の「或る日の太平洋」は富士と荒波を中心に龍を小さく描くが、本展にはほかにも海を描いた作品があって、大観は海と空を描くことを得意とした。そこに「海春」を思うと、海と空のみの色合いと動きの対比が目に浮かび、静かで平和で暖かい気持ちになれるが、これは蕪村の「春の海ひねもすのたりのたりかな」を知っているからでもある。だが、大観は明らかに江戸時代とは違うもっと切迫した時代に生きており、「海春」にはのんびりと春の海を眺めているという雰囲気はない。そこで思うのは、昭和8年頃に大観は「海春」と題して描いているかどうかだ。そのままの題名はなくても、それを思わせる絵はあるのではないか。これは図書館で大観の全集のようなものを見ればわかることで、心に留めておこう。
 本展は出品作が多く、還暦か喜寿だったかの祝いに、画家から贈られた作品群が目を引いた。その中に小川芋銭の作品がいくつかあって、それは当然だが、関西では芋銭の作を見る機会はきわめて珍しく、筆者は見入った。芋銭以外に、前述した芳名帖に登場する院展の有名画家の作品が勢揃いしていて、どれも同じ寸法の小品であったのは、示し合わせての作画であったようだ。大観の交友の書も目立ち、その中には岡倉天心のものがあって、その右下がりの癖のある筆跡は妙に現代的であった。最も感動したのは、昭和22年の全長26メートルの「四時山水」の絵巻で、特に京都や奈良の部分は馴染みの土地であるだけに、ふと涙が出そうになった。そういうことはめったにないのだが、大観の魂が日本各地の名所を飛翔し、それらを見下ろして描いたかのようで、航空写真を元に写実的に描いても同様の感動は与えられない。どの名所も大観らしい省略の利いた意匠性を基礎とし、また次々に描かれる場所は実際に飛行機に乗って飛び回るのとは違って、いきなりかなり離れた場所に移ったかと思えば、また少し戻るという場面もあって、そのことがなおさら想いとしての風景画であるとの印象を強くする。会場の出口近いコーナーに、受注帖や日記が何冊かあった。これは大観の妻が記録したもので、前者は内部が広げられていなかったが、発注者、画題や絵のサイズ、画料などが記されている。大観ほどの大家であるので、ほとんどが有名人か大金持ちが依頼したはずで、画料が大いに気になるが、大観の作品は今では入手が難しく、画料の何倍もの価格になっているはずだ。また大観は再婚したが、妻の存在はあまり目立たない。当時の妻の位置とはそのようなもので、奥に引っ込んでいて夫を支えた。同じコーナーには大観がデザインしたキモノや帯が数点あった。それらは大観が染めたものではなく、職人が原画を元に作ったものだが、大観らしい意匠になっていた。大観が竹林を細かく絵付けした清水六兵衛の一対の徳利は、実際に竹林で使いたいと思わせるほどにその染付の絵から竹林のざわめきが聞こえそうであった。会場の出口の真横に晩年の大観の対談の録画を上映していた。これは有名なもので、何度かTVで放送されたことがある。そこに映る大観は、60年代以降であればロック・ミュージシャンにいそうな風貌だが、日本のロック・ミュージシャンで大観に匹敵する仕事をした人はいない。その意味で、大観のような人は今後も出て来ない気がする。本展は池之端の大観邸の宣伝を兼ねたものだが、大観邸では所蔵品を全部常設展示していない。今回はそれらをまとめて見られる機会であったが、庭を見るには現地に行かねばならない。だが、東京人はいつでも訪れることが出来るので、筆者が訪れた時と同じように今も空いているのではないか。
by uuuzen | 2019-04-25 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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