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●京都西院OOH‐LA‐LAにて、燻裕里
れを感じたのか、燻裕里さんは予定されていた時間を演奏したと思ったようだが、筆者の後方から「まだ半分ほど!」という声が上がった。それで燻裕里さんは何を演奏しようかと小さな声を出しながら2,3曲続けた。



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それでも予定より少し早く終わったようだ。時計を見ると9時半で、金森幹夫さんはいつものように京都に泊まる必要がなく、すぐに帰った。Sさんも同様で、ふたりは筆者より先に店を出た。名張と明石なので家に着くのは11時過ぎだろう。Sさんは燻裕里さんの演奏を見続けていて、筆者が見た1月23日、大阪のHARD RAINでの演奏以降にも出かけたと聞いた。Sさんはサラリーマンだが、スマホもパソコンも持たず、また服はたいていいつも同じで、一風変わった人と見られるだろう。そこが燻裕里さんのファンであることを納得させるが、Sさんはほかにも注目している音楽家がある。先月21日のGANZでの「大阪ヤング・プログレ・フェス」に訪れたところ、目当ての武田理沙さんの演奏が終わっていて、途中入場を断られたそうだ。また17日は帰り際に、筆者が以前にも見たことのある手製のはがきの半分大のメモ帳をポケットから取り出し、ニエリエビタさんのライヴはないかと訊ねた。筆者は直近では来月4日に大阪メトロの谷町9丁目駅地下にあるOneDropという店で彼女が弦花さんの誘いで演奏することを覚えていたので、そのことを薄暗がりの中、Sさんに代わってメモ帳に記した。さて、OOH‐LA‐LAでの燻裕里さんの演奏は1月のHARD RAINとほとんど同じ、もしくは気力は減退していた。それは年齢的に避けられないことなのかどうかはわからないが、ひとつの型を完成させていて、Sさんはその細部の変化を各ライヴで確認することを楽しんでいるのだろう。落語で言えば、同じ演目でも枕が毎回違うことを喜ぶ通だ。筆者はザッパに関してはそういう細部の違いがよくわかり、またとても楽しめるが、燻裕里さんの演奏に対してそうなるまでには何十回もライヴに接する必要がある。ついでに書いておくと、筆者はこうしたライヴの感想は、広く浅くの態度からなるべく初めて見る音楽家を優先したいが、ここ半年見た限りでは同じ音楽家がライヴごとにすっかりレパートリーを変えることは絶無で、同じ曲目では感想を書く時にネタ不足となる。ビートルズは半年ごとに新作アルバムを出したから、ライヴハウスで活動する音楽家にもそれを期待したいが、毎日音楽に専念出来るプロではない場合がほとんどで、半年に1枚の新作アルバムはとても無理だろう。ライヴは多くて数十人の客で、しかも彼らはSさんのように演奏者の固定ファンではない場合が多いはずで、演奏者としては同じレパートリーを何年も続けることは演奏技術が上がり、効率的でもある。
 長年燻裕里さんの演奏を見続けているSさんにしかわからないことがあるはずだが、燻裕里さんのように長老格とでも言うべきライヴハウスで演奏する音楽家がどれほどいるのだろう。そこには昨今の男女平等がどれほど見られるかという疑問も湧く。燻裕里さんは60代半ばだが、同じ世代の女性シンガーソングライターが現在ライヴハウスで演奏しているだろうか。そういう話は聞かないが、小説家や画家ならそうではないので、ライヴハウスでの演奏は若い女性でなければ難しい現実があると見える。それは音楽家の意思の問題でもあるが、若い音楽家が毎年登場し、ファンの目がそちらに移りがちで、その意味からは燻裕里さんは生き残って来た大物であり、Sさんが注目するのはその点においてで、またSさんのようなファンが今後も生まれ続けるかどうかは、燻裕里さんのように長年活動する人が多いかどうかに関係してもいる。17日はSさんから燻裕里さんについて興味深いことを聞いた。そのひとつは公に出来ないが、簡単に言えば長らく活動することを陰で支える人のことで、小説ネタになるだろう。筆者はその興味も大いにある。そういう公にはならないことが音楽性と深く関係していると思えるからで、音楽家の生活や人間性から作品を見る立場が得られる。一方、そうした個人的なことはどうでもよく、作品本位で分析、評価すべきとの考えもある。また実際音楽家個人の公にはならない事柄を知っても、それは作品に刻印されていることを改めて発見することであり、作品から受ける直感によって当の音楽家の個人的なことも大方はわかる気がする。当然それは実際にはよくわかっていないので、謎めきを伴なった理解であって、またそれゆえに魅力的なのだが、その謎はたとえその音楽家と一緒に暮らすなどして豊富なことがわかってもすべて消えることはない。ただし、そこまで魅力的な音楽家がいるかとなると、一生の間にほんのわずかしか出会えない。Sさんが言ってくれたもうひとつのことは、燻裕里さんが日本の伝統的な音楽も取り入れているということだ。そのことを聞いた後、今回はそれを目の当たりにした。曲名は知らないが、明らかに浄瑠璃やそれから派生した新内や常磐津の音階を使っていて、ブルースやR&Bだけに立脚していないことを知った。これはさすがの長老的貫禄で、音楽遍歴の多様性では今の若者はとてもかなわない。また日本において独創的なロックをやる場合、何に目をつけるかは、真面目な音楽家であれば誰でも苦闘するはずで、そのひとつの案が浄瑠璃であることは、作詞に日本的情緒を盛りたいからであろう。浄瑠璃は心中を扱うことが多く、欧米のロックのラヴ・ソングにはない、またそれでは物足りないどろどろとした情念を燻裕里さんは興味を抱いたのではないか。ちなみに女性では去年10月末頃に見た面黒楼卍さんがそういう世界を表現しているように見える。
 17日も、ある曲を演奏し始めた途端、「あれっ!?」と首をかしげて指が動かなくなる場面があった。それはHARD RAINでの時と同じで、筆者はその物忘れもライヴでの型に含まれるひとつの演技かと思ったが、実際に思い出せなかったのであろう。それはプロとしては大きな失態だが、それも含めての燻裕里像であることを認められるかそうでないかで、Sさんのように追っかけのファンになるか、もう今後は見たくないと思うかのどちらかとなる。筆者は浄瑠璃的な曲以外にまだ知らない面がどれほどあるのかという関心はあるが、そういう未知の部分がいつライヴで見られるかはわからない。本人も何をどの順番で演奏するかは決めておらず、舞台に立った時の気分でレパートリーが変わる。それでも型としてある程度はどこでも同じ曲を同じように演奏するだろう。それは左手でギター、右手でキーボードを同時に使ってのユニゾンによる即興演奏や、ループ・ペダルでギターの伴奏リフを鳴らしながら即興で同じギターでソロを演奏することだ。それらはひとりで舞台に立つことで編み出されたことで、また彼がひとりでライヴをするようになって来たことは、長年同じメンバーでのバンド活動が難しいことを示唆しているだろう。そこがロックとフォークの大きな違いで、後者であれば高齢になってもギター一本で気軽にどこででも演奏出来る。ただし、年齢に応じた魅力を保持していればの話で、見世物としての個性が強くなければならない。燻裕里の型と化しているライヴは、その点をよく心得ている。見世物とは客を楽しませることであり、またそのためには印象深い姿や音楽でなければならず、身も心も赤裸々に晒す必要もある。それが高齢の女性音楽家に出来るかとなると、溝口健二の映画『西鶴一大女』の夜鷹を演じる田中絹代のように、周囲の男たちから怖い者見たさとしての対象になりがちだ。そうでない道は、若者にはとうてい及ばない知性を身につけることだが、それをやろうとする若い女性シンガーソングライターがどれほどいるだろう。さて、燻裕里さんはまた7年間精神病院に入っていたことを口にし、その時に書いた曲を演奏したが、最後の曲はHARD RAINでもやったかもしれない。子どもの対話を歌詞にしたもので、玩具をお互い自慢するという内容だ。曲の最後で、ある男子はロケットを買ってもらったと自慢し、その直後燻裕里さんは大きなキーボードの鍵盤に身を乗り出し、低音から高音へと爆音を奏でてロケットの発射音を模倣した。それは案外幼ない頃の思い出かもしれない。そうだとすれば、人生の鮮明な思い出を自らが発する音で表現することを追い求めて来たと言えるが、その自身を晒す行為を、疲れ果てて舞台に立つことが出来なくなるまで続けることが生きている実感であり、また創作との思いであろう。
by uuuzen | 2019-04-20 23:59 | ●ライヴハウス瞥見記♪
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