伸びやかな気分で描くには大きな画面がよい。それで筆者は「風風の湯」の露天風呂に面する湯気で曇った大浴場の大ガラスに、直径1.2メートルほどの円を右手で描く。

ところが、先週からは気温が高くなったのでガラスが曇らなくなった。10月にはまた描けるようになるから、ちょうど半年が描ける期間だ。筆者は細かい手作業が得意で、15センチ四方の安物の色紙を使って左右対称の切り絵を作ったり、またはがき大の小さなスケッチブックに描いたりするが、後者はブログを始める頃にはやめた。そのスケッチブックを左手で支えながら立って写生するのはなかなか骨が折れる。今ならもう根気がないかもしれない。それに描きたいものがないだろう。そう思って写真で済ましているが、これは表現技術の退化を招く。手先を使って切ったり描いたりすることは絶対に頭によい。そうした作業をしていると脳と手先が直結していることをはっきりと感じる。そういう感覚をスマホは奪い去っているが、そのことを何とも思わない人はいずれ絵画鑑賞の楽しみも忘れる。それはさておき、先週は
平安神宮の例祭に参列したことを書いた。たくさん撮った写真の中に、時代装束を着た司会者が檀上に姿を見せるまでに撮影した1枚がある。司会者が撮影は遠慮してほしいと言う前の撮影で、また本殿を向いていないのでブログに載せるのはかまわないだろう。今日はまずその写真を載せるが、右端に桜が見える。宮司が言うには、去年の台風で神苑の桜は大きな被害を受けたそうだが、残りの木は咲き、例会まで持った。さすがに見事で、例会の間に風が吹くと、花びらが舞っていた。さて、先月17日に、
はがき大のスケッチブックに描いた若い女性の横顔をいくつか紹介した。その時、ブログを始める2年前の2003年1月25日、北野天満宮の縁日で描いた御幣を飾る建物のスケッチに気づいた。朱塗りが美しいと思って描いたもので、手前は蕾の梅の木だ。まだ寒い時期に手をこわばらせながら描いた記憶があるが、この小さな絵がブログの
「神社の造形」を始めるひとつの遠い契機になっている。またこの朱色は、「神社の造形」の
最初に投稿した「松江のお宮」の郷土玩具が朱ではなく深紅であることに、どこか割り切れなさを感じていたからでもある。それで筆者が「松江のお宮」を模して作る場合はこのスケッチのような朱色にしようと思い、また今も思い続けている。それはそうと、筆者の眼前にある「松江のお宮」の4つ目として、息子の嫁をどこかで探そうかと最近思っている。そのためにも撮りためた大量の神社の写真をわずかずつでも投稿したほうがいいような気がしている。神を信じておらず、それどころか自分をテセウスと思っている筆者だが、そのテセウスは迷宮をさまよう。今日は久しぶりに向日市まで自転車で走ったが、牡丹を初めたくさんの花を見かけ、創作のことをあれこれ伸びやかに考えた。