机に向かうことはパソコンに向かうこととなっている筆者だが、このブログはスマホで閲覧する人のほうが多い。パソコンを持たないか、外出中に読むためだろうが、スマホを持たない筆者なので、スマホ読者向きの内容になっていないだろう。

スマホ向きとは、あまり長文ではないことだろう。そのためと言うより、たぶん年齢による気力減退のために、筆者はここ1年ほど、段落数は多くて4つ、1段落当たり1150から1200字としている。使用する写真の枚数は段落数に応じるが、ある場所でたくさん写真を撮った時、投稿は数回になることがあるが、それほど書く内容がないと思う場合、写真を厳選する。今日はそれに該当し、捨てる写真は使う写真の4,5倍はある。それはさておき、昨日は朝8時半に家を出て、地元のふたりととともに車で平安神宮へ行った。1週間ほど前、昔からよく知っている筆者と同世代の女性Tさんがやって来て、平安講社の欠員が出来たのでその補充を引き受けてもらえないかと言われた。筆者は何でも安請け合いしてしまうたちで、断ればよかったが、筆者以外に頼める相手がないようなので引き受けた。平安講社の役員は地元の学区から3名が携わり、ひとりが理事で、残りふたりはその補佐だ。つまり、Tさんと筆者は副としての立場で出番は少ない。3人は3年連続で役目を負うが、筆者が代役となったのは、70代半ばの副の男性が体調を壊したからで、その人とTさんがわが家を訪れて事情を説明してくれた。だが、昨日理事のMさんと話すと、Mさんも体調が思わしくなく、平安講社の最も重要な行事である10月22日の時代祭りには参列出来ないと言う。そうでなくても役員を引き受けたので、筆者は時代衣裳を着て御所から平安神宮までを3時間も歩くが、Mさんは理事として別の人を推薦する考えがあるようだ。ただし、Mさんはいずれ筆者にも時代祭りで馬に乗る足利将軍という重要な役割をしてほしいと洩らしたので、筆者が理事になる可能性もある。西京区では10の自治連合会があり、馬乗りの人物は「足利将軍」「伊勢氏」「細川氏」「山名氏」「二階堂氏」の5つの役割を担当し、計10名を充て、毎年持ち回りで役割を順に担当する。馬に乗る役目はかなりの高額を負担すると聴いたことがある。それを支払っても乗りたい金持ちが地元にはたいていいるが、この時世ではそれは難しくなっていると聞く。そのため、結局理事が乗ることが多いようだが、半額は自治連合会、半分は理事の負担が相場らしい。また3時間も乗るからには練習が欠かせず、そのための費用は自分で負担する。わが学区では3年後の令和4年に足利将軍を引き受けるが、その時まで筆者が平安講社に属するならば、2期目を引き受ける必要があるし、また理事になっていれば馬に乗ることになる。

こういう役割は少しでも若いほうがいいと思うが、若い世代は暇も金もない。それで70代が中心となるが、自治会に加入している人がどんどん減少している昨今、いずれ時代祭りも立ち行かなくなるかもしれない。馬に乗らずに歩くだけの役割でも、洗濯業者が去年から協定を結んだのか、着用した裃を洗濯に出すのに2万5000円するとのことで、何かと費用がかかる。お祭りは金がかかるのは常識だが、それを誰が負担するかという問題が今後はますます大きくなるだろう。それはともかく、このブログに「神社の造形」というカテゴリーを設けてから筆者が平安講社の役員になったことを家内は面白がっている。筆者もその口で、物珍しさから3年は引き受けてもいいかと考えたが、筆者が引退する時は筆者が代役を見つける必要がありそうで、これは今から考えておかねばならない。当然同じ学区つまり自治連合会内の住民で、しかも温和でそれなりの責任感のある人が求められる。またTさんはそう思って筆者を推薦したであろう。筆者は早起きは苦手だが、昨日は朝7時に起きて準備をし、Mさん宅に行ってMさんの運転で平安神宮に出かけた。春の例祭は毎年4月15日と決まっていて、秋はおよそ半年後の時代祭りで、役員の主な出番はそのふたつだが、年末にまとまった数の護摩木を各自治会に配布してしかるべき金額を集める役割もある。また理事と副1名は他の学区の理事との会合などが年に数回あり、学区によって違うが、おおよそその費用の半額は自己負担だ。さて、例祭にはスーツ着用と言われやので、慌てて箪笥の中を探ると、何年も着ていないジャケットが20着ほど出て来た。もっとかもしれない。一度も着ていないものもあるが、サイズが合わない。スーツはめったに着ないが、昔誂えて一、二度しか着ていないものを着ると、ちょうどよかったのでそれを着ようと決めていたが、3日前に家内が調べると、小さな虫食いの跡が数か所見つかった。ほとんど見えないが、気になる。それで別のものを着て行くことにし、冠婚葬祭用のスーツではない黒のダブルにした。これも買ったまま一度も着ていなかったが、ここ半年で5,6キロ痩せたので、試着するとぴったりであった。平安神宮北東角の駐車場に入ると、ほとんど一番乗りで、車を停めた後、神苑へまず入った。朝の9時頃でももう外国人観光客がかなり多い。桜は散り初めを過ぎているが、好天も手伝って神苑の眺めは申し分なく、たくさん写真を撮った。例祭は10時開始で、その20分ほど前には外拝殿に続々と人が集まった。今日の最初の写真と2枚目は同じ立ち位置で撮ったが、外拝殿の中だ。2枚目の奥に折り畳み椅子が並んでいる。そこは外拝殿(大極殿)と内拝殿の間の砂利を敷いた空間で、例祭用に臨時の大型テントが建てられていた。それは鉄部分は朱、テントは緑色で、神社らしい色合いになっていた。

TさんとMさんは例祭は2時間要し、また寒いのでそのことを念頭に置いて何らかの防寒をしたほうがいいと言ってくれたが、コートを着ることは出来ない。マフラーも駄目で、それでスーツのみであったが、ちらほらと帽子を被っている人がいた。また中央付近であれば四方を人で囲まれるので寒さは多少は凌げるというので、中央よりやや右手に座ったが、その判断は正しかった。奥の本殿で摂り行なわれる例祭の様子がとてもよく見えたからだ。ただし、撮影不可で、写真はない。また例祭の初めに司会者がケータイやスマホのスイッチを切るようにと注意したにもかかわらず、全く無音の厳粛な式の間に数回それらが鳴った。しかも筆者から2,3メートル横の同じ人物が二度鳴らしたが、どこでもそういう人はいるもので、役員とはいえ、程度が知られる。京都市全域の学区から集まった講社の役員が勢揃いする日であったが、空席が数十はあったろう。椅子の数は規約に載る学区数がちょうど二百なので、六百ということになる。これが全員時代祭りに参列しても人数は足りないので、別の団体もあるのだろう。役員が全員席に着いてから、政治家を含む五十人ほどの男女の来賓が内拝殿の右手に順に上って椅子に座った。彼らのうち最初の10名ほどが後に本殿に玉串を奉納したが、全員であればもう20分は要したであろう。内拝殿の左手は神楽を演奏する人たちや巫女、また奉頌歌を歌う合唱隊などが陣取った。筆者は初めてであったので、2時間をそれなりに楽しんだが、TさんやMさんは慣れているので退屈であったかもしれない。背後の外拝殿で参拝する客の声が時折聞えたが、彼らは奥で何が行なわれているのかと思ったであろう。次に受付でもらった例祭の次第を記す。「宮司神前に進みて一拝」「宮司御扉を開き了して側に候す」「祭員神饌を供す」「宮司祝詞を奏す」「勅使御幣物を奉じて参進所定の座に着く」「御幣物辛櫃を便宜の処に置く」「随員御幣物を辛櫃より出し宮司に進む」「宮司御幣物を奉る」「勅使御祭文を奏す」「宮司御祭文を受け之を神前に納め了りて勅使に反命す」「神楽を奏す」「奉頌歌を合唱す」「勅使玉串を奉りて拝礼」「勅使退下」「宮司玉串を奉りて拝礼」「参列代表玉串を奉りて拝礼」「宮司御幣物を徹す」「祭員神饌を徹す」「宮司御扉を閉ぢ了りて本座に復す」「宮司神前に進みて一拝」「各退下」。この後は直会で、券と引き替えに高級な弁当や和菓子をいただき、それを持って帰途に着いたが、緋毛氈を敷いた床几がさくらん並ぶ神苑出口付近では枝垂れ桜の花弁が地面にびっしりと落ちていた。それを見ながら弁当を広げてもよかったが、そんな人はいなかった。檀上で舞った4人の巫女は冠の飾りが桜と橘が2名ずつで、また衣裳も凝っていたが、見事に息の合った舞いで見惚れた。今日の4枚目の写真はいただいた和菓子で、桜と橘を象っている。