報告を義務と考えて、工事が終わる3月末までに出来る限り写真を撮っておこうと思いながら、すぐ近くに住むことが却ってその機会を得なかった。今日の2枚の写真は先月24日の朝8時半頃、東京に行くのにJR嵯峨嵐山駅に向かう途中で慌ただしく撮った。

工事期間中の最後の撮影だ。重機が河川敷に置かれているが、工事は終わっていることがわかる。ただし、あまり状態がよくわからないのが不満で、今月7日、桜が満開の頃に嵯峨のスーパ―に行く途中で撮った写真があり、後日投稿する。さて、今回の工事は、渡月橋のすぐ下流に大きな砕石を詰め込んだ直方体の籠を隙間なく川幅いっぱいに並べ、なだらかな段差を造ったことだ。このことによってすぐ下流に堆積土砂の中州が出来ないのであればいいが、しばらく様子を見なければわからない。おそらく数か月後にまた出来ると思うが、そうなれば来年3月に浚渫工事があるだろう。このなだらかな段差は川の水量が多い場合は水面の下に隠れるが、渇水期では丸見えで、砕石の上を右岸から左岸まで歩いて行こうとする若者を見かけた。だが、左岸際は渇水期でも水量が多く流れるようになっていて、そこで行く手を阻まれる。そのすぐ近くまで行くのは危険だが、晴天が長く続いて水量が減るとさほどでもないかもしれない。以前あった6号井堰では真夏に右岸から左岸まで歩くことが出来たが、その堰を取り除いたことで、同じような段差を渡月橋のすぐ下流に作る必要が生じたようにも思える。またこのなだらかな段差は少しでも見栄えよくするとの考えによって斜面にされたが、遠目には段差があることは明白で、渡月橋を左岸下流側から見た場合の景観に問題を生じさせないのかという疑問がある。そうした写真はよく撮影されるので、いずれポスターなどでこの段差を含んだ写真が見られるが、以前の様子を知っている人はその記憶と比較して格好悪くなったと思うのではないか。だが、人は新しい建造が出来上がってしまえば以前の状態を忘れるものだ。また渡月橋を訪れる観光客のほとんどは橋のすぐ下流に注目しないはずで、大がかりな改修工事が行なわれたことに気づかないだろう。そう考えると筆者が撮影しておいたことは何かの役に立つかもしれない。長年変化のないような歴史的景観も、台風やそれに伴う洪水の被害を受けると、元どおりにすることが最適ではなく、流域全体を考えながら、最適と思われる修復をせねばならない。それは予想のつかないことで、また筆者はごく限られた時期しか観察しないが、その短い間だけでもさまざま工事がある。それは数百年観察を続けて知ることの典型的な工事をほとんど網羅しているはずで、そこから人生も同じであるとの想像がつく。200歳まで生きても、70歳以降はそれ以前に経験したことを繰り返すだけで、新鮮味はないに違いない。