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●大阪GANZ toi,toi,toiにて、「大阪ヤング・プログレ・フェスティバル」融解建築
呆を認知症と呼ぶようになったのは、日本全体が高齢化したためであろう。つまり、老人が多くなり、認知症も増えたからで、痴呆と呼ぶのは人権無視との声が出始めた。



言葉は生き物であるので、時代に合った言葉を使うのがいいようだが、筆者は気恥ずかしさもあって、たとえば「イケメン」という言葉を一度も使ったことがない。一旦使い始めると気にならなくなるのはわかっているが、老人は老人らしい古い言葉でいいではないかとも思っている。なので、このブログも老人の呟きに過ぎず、若い世代向きではないが、老人の考えを知る機会にはなる。もっとも、若い人は老人に関心がなく、結局は無益であろう。そうであっても書くのは、義務と思っているからだ。自分に義務を課すことが理解出来ないかもしれないが、若い人もさまざまなはずで、前言を翻すと、若い人の中に筆者の文章を面白がる人があるかもしれない。前置きはさておいて、今日は融解建築という5人組のバンドの番だ。昨日は東京のロック・バンド「百様箱」がジェスロ・タルを思わせるところがあると書いたが、彼らに続いて舞台に立った融解建築は中央前列に身長2メートル近い細身の男性がフルートをかまえて立ち、それがまたジェスロ・タルを彷彿とさせた。そして正直なところ、双方のバンドの区別がつきにくかった。共通していると思ったのは、融解建築も都会的センスと知的な雰囲気に溢れていることだ。彼らは京都のバンドで、「建築」という音楽らしくない言葉が入っているのは、メンバーの誰かが建築家を本業としているのだろうか。あるいは建築も音楽も芸術であり、以前に書いたことがあるが、エウヘーニオ・ドールスの考えによれば建築、彫刻、絵画、そして詩、音楽の順に芸術が並び、それにしたがえば音楽は建築が融解したものと言える。明治に日本にやって来たアーネスト・フェノロサは薬師寺東塔を見て「凍れる音楽」と評したので、「融けた建築」は「音楽」ということになるだろう。融解建築はそれほどの美意識と自負を持ったバンドということになりそうで、それはまたフェノロサの美術の鑑識眼を向こうに回しての、音楽に対する知的好奇心を極度に高めている態度の表明でもあるかもしれない。それほどに知性が感じられる演奏で、緻密な作曲を綿密に練習しているというのが第一印象だ。フルートはそういう知的な雰囲気にぴったりの楽器で、また京都らしい雅さがある。YOUTUBEで知ったが、現在の彼らは第2期で、第1期のフルートは若い女性が担当していた。それが男性に代わってどれほど男らしくなったかと言えば、あまり差はなさそうだ。それはフルートが女性っぽい楽器であるという理由と、第2期になってもバンドが目指すものが大きく変化しなかったからであろう。ただし、これは第1と第2期をもっと比較しなければわからない。
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 ジェスロ・タルはロック・バンドだが、融解建築の音楽はロックよりもジャズに近い。もっと絞れば70年代前半に流行ったフュージョンと言ってよい。あるいはそれよりのロックだ。またフルートとなれば、誰しもハービー・マンが思い当たる。彼の演奏は今はあまり聴かれないようだが、50年代末期から60年代初頭には絶大な人気を誇り、筆者はそれをかろうじて知っている。ハービーがチック・コリアを見出したと言ってよく、いわばフュージョン音楽の祖のひとりだ。そのため、フルートをメインにするバンドはハービーを避けては通れないが、融解建築の世代ではそこまで遡らず、フュージョンで言えばやはりチック・コリアのリターン・トゥ・フォーエヴァー辺りが馴染むのではないか。16ビートはあたりまえとして、変拍子を多用し、そこにフルートが軽やかに乗るが、「象牙の塔」という曲では素早くで短いフレーズの繰り返しがきわめて多く、その点がクラシック音楽によくある練習曲を思わせる。一方、その執拗とも言える繰り返しはロックの特徴で、ライヴの大きな音を聴くと70年代前半のプログレそのものだ。またギター・ソロが加わらないパートでは室内楽ないし軽めのロックの趣が強い。となると、ギター・ソロが顕著なパートはもっとロックっぽいと言ってよく、実際そのとおりだが、やはりフルートがこのバンドの重要な個性となっている。ところで、ジェスロ・タルの1992年のアルバム『A LITTLE LIGHT MUSIC』は、自分たちの代表曲をきわめて軽めの音にアレンジし直して演奏していた。これはほとんど懐メロ・バンドとして歓迎されていた中にあってどうにか変化を求めてのことで、またアレンジを変えればがらりと曲の雰囲気が変わることを試してもいた。融解建築の音楽はその92年頃のタルの音を思い起させるが、それは京都らしい上品さであると思われやすいだろう。それもあるのかもしれないが、実際は彼らの好みは整理された秩序にあって、大音量で聴き手に眩暈を起こさせるよりも、じっくりと演奏を聴いて音の変化を認識してほしいのであろう。となると、それは踊りたくなるような音楽とも違い、卓抜な演奏技術によって建築に似た構成美を伝えようとするもので、その意味できっちりと楽譜に書かれた作品であることにも気づく。それはロックとは対極にあるものかと言えば、それは早計で、ザッパにもそういう曲はある。ただし、融解建築に即興のソロがあるかとなれば、ギターにはあってもフルートにはほとんどないのではないか。そしてその意味で先に室内楽と書いたのだが、それは静謐さをどこかに秘めているからでもある。これはドビュッシーやヴァレーズにあるフルート・ソロ曲を思っての筆者の勝手な想像で、フルート・ソロに近い彼らの曲があればの話だ。またそういう曲はフルート奏者がリーダーであれば、いずれ作曲するかもしれない。
 フュージョンは演奏技術の点ではもう行き着くところまで行った感があり、新たな要素をどう導入して融合するかとなれば、珍しい楽器を使うしかないだろうが、フルートは比較的珍しくても、さんざんジェスロ・タルを聴いて来た筆者とすれば特筆すべき前例がある楽器だ。また融解建築の音楽はラウンジに似合う洒落た響きで、白人のジャズに近く、百様箱がR&B的ではないことと通じている。そして彼らのフルートを他の楽器に置き換えればどのバンドに近い音になるかを考えると、筆者はたとえばジャン・リュック・ポンティを思い浮かべるが、それもまだ素朴な73年頃だ。となると、当時の他のフュージョン寄りのロックにも融解建築が好むバンドがありそうだ。ともかく70年代前半という一種の懐かしさがあって、百様箱と同様、70年代前半では超絶技巧のバンドと思われていたものが、今の日本の若者には技術的な模倣はたやすいものとなっていると言える。そして融解建築の音楽はフュージョンに属しながら、その初期に学んで別の何かを模索していると言ってよい。それはフュージョンの手法を学んで新たにそれを組み立てる行為で、これはどの日本のプログレ・バンドにも言える。また日本的な何かは無意識であっても必然的に含まれるはずで、欧米のフュージョン音楽を初期から聴き続けている人はそれをより嗅ぎ分けるだろう。ただし、それが楽しめるのかどうかは別で、より規範としている音楽に似ている部分が多ければ評価されない。そこで融解建築はどうかと言えば、筆者がひとつ強く思うのは、映像の付随音楽だ。それも中学校の講堂で見せられた科学映画で、たとえばコオロギの一生を描いた記録映画の伴奏だ。これは音楽が写実性に富むということだが、そこには小説のような人間的なドラマは含まれない。言葉はよくないが、人間的な、男女の、ドロドロとした関係を描写するようなものではなく、もっと硬質の、規則正しい自然の真実に即したような映像音楽だ。こうした音楽は聴き手を熱くさせるのではなく、冷静にさせた後にゆっくりと熱くさせるもので、快感を得るには何度も聴く必要がある。これはYOUTUBEで今知ったが、彼らのCDに含まれる曲に「モルフォ・テセウス」と題する曲がある。テセウスはアリアドネから赤い糸を手渡され、ミノタウルスを退治するために迷宮に入った。その名前を持つ南米のモルフォ蝶のことだが、曲の前半はピアノ伴奏にフルートが重なる静かな調べで、後半はギターが加わって活気づく。全体としてはモルフォ蝶の美しさとその生態を想像させるような情趣に富み、それはライヴとは違った側面を示す演奏で、かつてのフュージョンでもなく、またロックとはとうてい言えず、独特の端正な、言い換えれば「イケメン」的な個性がある。それは聴き取りにくいものだが、一旦味がわかると、認知症でない限りは忘れ難い。
by uuuzen | 2019-03-25 23:59 | ●ライヴハウス瞥見記♪


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