困った時の神頼みではなく、実際は友人が頼りになるが、その友人との出会いは神の導きかもしれない。レザニモヲと武田理沙さんが初めて共演したのは
去年10月27日、京都のBlueEyesでのことだ。

筆者はそれを最前列で見た。会場にはプログレ・ファンの吹田在住の松本さんも来ていて、彼とはその前日梅田のディスクユニオンで初めて出会った。今日から5日連続で演奏順に取り上げるライヴについては、松本さんから今年1月13日に画像つきのメールで教えられた。武田理沙さんの初関西ツアーから2か月経った頃に、また彼女とレザニモヲの共演の話がまとまったことになる。最初に武田さんを関西に招いたのは金森さんで、そのライヴを見た松本さんが今度は尽力した。それは今日の題名にあるように、「大阪ヤング・プログレ・フェスティバル」に出演する5つのバンドのうちの1組という形で、5000円は高めだが、イギリスからギャレン・エアーズを呼んでいるのでそうなるのは仕方がない。彼女は今月下旬までに他に合計4都市で演奏する。筆者がそのチラシを最初に見たのは2月16日、大阪天満の音凪でのことだ。ライヴが終わって帰ろうとしていると、明日の土曜日ギャレンが演奏する近江八幡の酒游館の主が、
ニエリエビタさんにそのチラシを手渡しながら、「対バンを見つければ酒游館で演奏出来る」といったことを話していた。そのようにしてライヴハウスを中心に人の輪が広がって行くことを目の当たりにした。松本さんによれば「大阪ヤング・プログレ……」の企画をチラシに組み込んで印刷する費用は、一サラリーマンとしては厳しいものがあり、負担していないとのことだが、ライヴ客の中から金森さんや松本さんのように、音楽家の活動をいわば直接支える人がいる。筆者はそこまでの行動力はないが、ライヴの感想を書くことで新たな人のつながりが生まれるかもしれないとは思っている。さて、開場の4時前に着くと10数人が玄関前で並んでいた。地下は会場で、階段を下り切ったところで入場料を支払う。予約者名簿の筆頭に筆者の名前があった。内部は板張りで、立ち見となると200人入るらしいが、当日は椅子やテーブルがあって5,60人の入りではなかったか。4時少し前、筆者の目の前で松本さんは武田さんに、ピアノを用意するので、またザッパ・メドレーを演奏してほしいと言ったところ、武田さんはすぐに首を横に振った。そのために体力も時間もかなり吸い取られるからだろう。あるいは次々と新たなことに挑む彼女にとって、もうザッパ・メドレーは終わったことなのかもしれない。また今回武田さんはわざわざ大阪に来たので、ほかの会場でのライヴが何度か企画されればよかったが、一昨日の夜、難波のベアーズのみとなった。またそのライヴは全力投入した渾身の出来栄えで、武田さんはかなり疲れたようだと松本さんから聞いた。

武田さんの音楽を筆者はまだブログにまともに取り上げていないが、その予定はある。またそうこうしているうちに彼女の音楽がどんどん変わって行っているようで、しばし静観する思いもある。さて、レザニモヲのさあやさんと武田さんは馬が合うのだろう。あるいはザッパ・ファンでもあるプログレ・ファンの松本さんは去年BlueEyesで両者のザッパの曲を引用した共演を見て、それをもう一度今度は大阪でと考えたに違いない。プログレは演奏技術の卓抜さが絶対条件で、その意味ではフォーク系のシンガーソングライターとは対極にある。ギャレンの演奏は彼女の歌とギター、それにキーボードの伴奏ので、「大阪ヤング・プログレ……」に彼女を組み込むことは多少の違和感があるように思われるが、ギャレンがケヴィン・エアーズの娘ということでプログレの血を引いている。それはともかく、「大阪ヤング・プログレ……」の客はプログレ・ファンで、4時から9時過ぎまで途中で休憩を挟みながらぶっ続けに聴いたが、フォーク系よりも多彩で派手な音が好きな筆者としては大いに楽しめた。ライヴはたいてい夜7時や8時から始まるので、筆者はチラシをろくに見ずに夕方6時に家を出れば充分間に合うと思っていた。それが19日に松本さんからメールがあり、4時開場で最初にレザニモヲと武田さんの演奏があることを知った。そのメールがなければ最も注目した彼らの演奏が見られなかった。さて、レザニモヲはステージの右手、武田さんは左手に陣取り、ずっとそのままの位置で演奏したのではなかった。去年10月のライヴで、さあやさんは電子マリンバのマレットでドラムスのシンバルを叩く場面があった。今回はそれが拡張され、武田さんがドラムスの963さんと途中で入れ変わった。小柄な彼女のどこにそれほどの力があるのかと思わせられるほどの激しさで、彼女がライヴにかける意気込みがさらに感得出来た。何かに憑かれていると言えばよい。そのために演奏後に疲れ切るのだが、彼女の演奏はアポロ性よりもディオニュソス的だ。今回も最初は彼女のノイズから始まったが、ノイズはそれこそ音楽では最もデュオニソス的で、狂騒と混沌の神がかったお祭りを指向する。これは彼女の生活がディオニュソス的ということではない。むしろ全くその反対だろう。逆に、フォーク系の音楽家のほうが実生活ではディオニュソス的と想像する。そのようにして人間はハレとケで均衡を保つもので、激しい表現をする者ほど実生活では衝動とは無縁なのではないか。ま、このことは武田さんとわずかに話し、その表情を読み取っての筆者の想像で、また彼女の実生活とライヴ活動がどう折り合いをなしているかに関心があるからだ。彼女はレザニモヲのように、特定の相方はおらず、またそのことを彼女がどのように思っているのかはわからないが、三十路に突入した彼女にそれなりの葛藤があることは何となく伝わる。

レザニモヲと武田さんは今回どの程度音合わせをしたのだろう。結論を言えば10月の面黒楼卍さんを交えての共演の拡張で、最後はザッパの「WATERMELON IN EASTER HAY」が演奏された。10月と大いに異なるのは、前述のように武田さんがドラムスを叩いたことだ。その間963さんは武田さんのキーボードを演奏したが、さあやさんがそれを扱う場面もあった。武田さんのノイズやさあやさんのマリンバを中心とする部分を予め決めてのアポロ的な大枠に、途中のドラム・ソロを中心としたメンバーが交代してジャムを繰り広げるデュオニソス的な部分を組み込んだ40分の演奏で、ザッパ・ファンならそれがたとえば88年ツアーの「キング・コング」の構成を連想するだろう。根幹にザッパがあり、またザッパ的な激しさを旨としていたが、今回は全体としては武田さんのドラムスの披露によって武田さんがより目立っていた。またマリンバの音が時々きわめて小さく、機材の調子がおかしかったのではないか。筆者としてはさあやさんのマリンバの音色をもっと楽しみたく、また彼女の出来れば長い即興を聴きたいが、武田さんのキーボードのようにはまだそこまで演奏技術が上達していないのかもしれない。それにさあやさんは武田さんとは違って演奏にディオニュソス的なところはほとんどない。となれば彼女は私生活でそれを実践していることになるが、彼女を目の当たりにしていると全くそのように見えず、むしろ私生活は満たされているように見える。その安定感、優しさが彼女の持ち味だが、舞台では神がかった姿に変身する。963さんは力いっぱに叩くドラマーであり、武田さんとさあやさんというふたりの女神を相手取って一歩も引けを取らない。そのトリオが繰り広げる音楽は、構成と破壊を対比させ、特に破壊の部分をどれほどうまく緊張感を保ちながら瞬時の連続として破綻を見せないかに尽力され、40分の息詰まる演奏は聴き手も同じほどに気力を消耗させる。もちろんそれは気持ちよさが伴ってのもので、またライヴならではの醍醐味だ。ザッパらしさをより強調するにはギタリストを足せばいいが、そうなれば案外月並みなものになるかもしれない。ということは、今回は一種の欠落感が持ち味になっていて、またそのことで印象深い効果を上げている。欠落感をそうとは思わせないものとして表現するのは、武田さんもさあやさんも人として独立し、充実しているからだろう。独身女性が増えている現在、彼女たちの中は男がいないという欠落を重視しない人が多いだろう。筆者の母は20代半ばで子どもを3人抱えてその後再婚しなかった。その逞しさは子どもを育てるのに必死であったからだが、女性音楽家は自作をわが子のように愛おしく思うのは常識として、それのみに生きる価値を覚悟しているだろうか。若い女性音楽家を目の当たりにすると筆者はそのことをよく思う。