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●老人の孤独と自慢話
せ気味のほうがいいのか太り気味がいいのか、筆者は最近60キロを割るようになって来た。それでも体調は却ってよくなった気がする。腹の出っ張りがなくなって、ここ10年ほど履けなかったズボンがちょうどいい。



家内は40キロちょうどで、それを下回ることもあるが、筆者の体重は家内のちょうど1.5倍ということだ。81歳(実際は84にはなっているだろう)のMさんは、いつも奥さんと一緒に「風風の湯」を利用していて、奥さんは筆者の家内と仲がよい。家内の最もよく話す常連客はその奥さんだが、先日その奥さんから、Mさんが「風風の湯」に行くことをとても楽しみにしていると言われた。常連客と話をするのが楽しいのだ。そのことはMさんの表情に溢れている。Mさんはとても小柄で痩せていて、白い山羊髭を生やして仙人らしい風貌だが、常連客の中では最もよく誰とでも話す。その次が筆者で、この調子で筆者が80代になると二代目Mさんになりそうだ。筆者がMさんと話していて楽しいのは、芸術にも詳しいことだ。一昨日は実に面白い話題を筆者に話しにやって来た。250年ほど前に公卿が嫁入りに持たせたような春画を若冲の贋作として作れないかというのだ。筆者は若冲はそういう絵を描かなかったはずと言ったが、Mさんはそうだとしても、あるいはそうであればなおさら古い無落款の春画の巻物をどこかで入手して来て、そこに若冲の未発見の印章を捺せば、若描きの真作らしくなると茶目っ気たっぷりに言う。なかなか贋作に詳しい人の意見で、実際Mさんは日本の有名な贋作事件をよく知っている。その話をしながら、なおも筆者はやはり若冲のそうした贋作はすぐに見破られると意見したが、Mさんは特殊な絵では、また若描きでは若冲の筆法が顕著ではないはずで、春画なら騙されて買う金持ちがいるだろうと言って笑った。こうした話は若者に出来るだろうか。美術好きなら出来ると思うが、大多数の若者はそういうことには関心がない。先ほどネットで、ほとんど人と話さない孤独な高齢者が多いことを読んだが、「風風の湯」の常連客に限れば、よく話し、またそのことを楽しみにしている。ただし、そうでない常連も同じくらいの数がいて、話が苦手なのだろう。そういう人が前述のネット記事のネタになる。それはともかく、話好きは本人は気分がよくていいが、話好きでない人には苦痛であるから、そこは相手の様子を見ながら接しなければならない。もっとも、話し好きはだいたい話し好きと時間を過ごす。その意味で筆者は自治会には親しい人が何人かいるし、むしろ家内よりも外に出て他者と話す機会が多い。それで家にいる時は出来る限り家内と話すべきだが、3階にこもり切りで、時に家内にさびしい思いをさせている。とはいえ、家内の妹夫婦とは何倍も会話していることが、家内の妹の電話内容からわかる。
 先のネット記事で目を引いた点は、老人は自慢話が多いことだ。これにはぎくりとした。筆者もそうであると思ったからだ。自慢ではなく、自分の関心事を言っているだけと思っていても、聞かされる相手は自慢と思うかもしれない。若い人に話す時は特にそうで、『老人はこれだから困る』と内心舌打ちされるだろう。筆者はこのブログで好き勝手にさまざまなことを書いているが、自慢話をしていないと思っていても、自慢と受け取る人がいるに違いない。以前、コメント欄に「上から目線の頭悪い人」と書き込まれたが、その「上から目線」は自慢話をしているという意味かもしれない。だが、これは難しい。何を書いても自慢と受け取る人がいる。人生に何の楽しみも意義も見出せない人は若者にも高齢者にもいるはずで、そういう人はとにかく目障りな物事には突っかかろうとする。それでなおさら孤独になるが、そういう人につける薬があるのだろうか。誰でもそれなりの孤独を抱えている。それをどう抑制するかは、人生のごく早い段階、小学生時代に知る必要があると思う。先日も書いたが、筆者はひとりで過ごすことが平気で、またその状態でなければ仕事にならない人生を歩んで来た。その一方で、その無言の生活と釣り合いを持たせようとの本能からか、談笑が大好きで、初対面で大いに話すことも多い。ただし、勢いあまって自慢話にならないように気をつけなければならないことは先に書いた。そのために必要な態度は、聞き上手になることだ。そのことで思い当たることがある。2か月ほど前にようやく話すことになった常連がいる。金閣寺付近から来ている70代前半のK夫婦で、やはり家内はその奥さんとよく話すが、そのことを家内から聞いていた筆者は、その旦那さんがサウナ室でいつもひとりで黙って座っていることを知って、ある日、思い切って声をかけた。筆者より年長であることがわかるので、もちろん筆者が先に自分の名前を名乗った。するとKはびっくりした表情をした後、自分の名前を言い、言葉少なげに筆者の話に相槌を打った。ほとんどそれ切りであったが、その後家内はKの奥さんから、筆者がKに親し気に話しかけたことをKがとても喜んでいたという話を聞かされた。これは悪い気がしない。それでこれはつい先日だが、久しぶりにKと会ったので、また筆者から話しかけた。すると、驚くことにKは15分もの間、金閣寺付近の興味深い地元の話題を立て続けに話してくれた。それは地域の住民にしかわからないことで、Kとの距離が一気に縮まった。思えばKも孤独なのだろう。自分より年下に笑顔で話しかけられ、また筆者の話の導きがうまかったのかもしれないが、意気揚々に滔々としゃべって、それまで見たことのない笑顔を浮かべていた。たとえ温泉の中だけの付き合いとしても、やはり楽しい会話はあったほうがよい。それを重ねることで常連の輪が広がる。
by uuuzen | 2019-04-10 23:59 | ●新・嵐山だより
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