「
で、テセウス爺、元気を取り戻したら次は何に夢中になるの?」「アリアドネ様、いくら何でもそれはまだわかりませぬ。ひとまずたまっているやるべきをこなします」
「そうね、相手のあることは思惑どおりにならないから、自分で決めた自分のことに夢中になるのが一番ね」「はい、それなら物事が自由に進められます……」「そんなこと最初からわかってるじゃん!!」「それが道端には地雷もあれば落とし穴もあります」「何の話?」「まあ、出会いということです」「んもーっ!! もっといい表現が出来ない?」「はい、ついつい育ちが出ます」「はははは、否定しないわ。ところで、テセウス爺の住む嵐山はもう花盛り?」「はい、一昨日桜は満開になりました」「大勢の人が来るわね」「夕方になればそうでもないです」「爺は桜が好き?」「花は何でも好みます。誰でもそうでしょう?」「とは限らないわ。花の名前を知らない人は多いもの」「それでもきれいなものに興味のない人はいないでしょう。そう言えば先日福島である若い女性に見所がどこかと訊ねました」「で?」「すると、花見山がいいと言われました。個人所有の小高い山に桜を初めいろんな花が咲いてとてもきれいだそうです。ところがまだ花は二分咲きとのことで出かけませんでした」「その花見山は一昨日満開になったとTVでやってたわね」「わたくしが福島で最も見たいのは滝桜です。もう30年ほど思い続けておりますが訪れる機会がありませぬ。福島駅ではその滝桜がある三春を路線図で探しましたよ」「5月に満開になるようで、行く気があれば行けばいいじゃん」「はい、それはそうですが、そのためにだけでは踏ん切りがつきませぬ」「それもそうかもね、嵐山でなくても京都には桜の名所がたくさんあるからね」「ま、はい……」「あれっ? 爺は滝桜には何か特別の思いがありそうね」「は、まあ、それはいいです。今は嵐山の桜が満開になり、また思うところがあります」「何? ああ、ひょっとすればあのことね。まだ引きずっているの? 爺らしくないわね。もう足踏みし始めたと言ったじゃんか!」「確かに、それで今日は夕暮れに散歩がてらにひとりで桜を見に出かけました。ああ、ここではこうしたかった、あそこではああしたかったと思いを反芻しながら、例のコンクリートの蓋まで来ると、そこには松ぼっくりがひとつもありませんでした。それで近くを探しても見つからず、今度は背後の桜の木の植え込みを30分ほど不審者に思われながら目を凝らして探したのですが、ひしゃげたものが1個見つかっただけでした」「で、それどうしたの?」「ひとつだけ蓋の上に置くのはさびしいですが、仕方ないです。本当は2個並べたかったのですが……」「テセウス爺はホントについてないわね。まるで今の爺そのものを象徴した出来事ね」
「はい、それでそのひしゃげた1個をどのように置いたと思われます?」「ひとつなら真ん中しかないわね」「そのとおり。ですが、蓋についている2か所の小さな取っ手口の真ん中ではなく、下に少しずらせて置きました」「なぜ?」「そうすると蓋全体は横長の長方形の笑顔になるからです」「で、その写真を撮ったの?」「はい、もちろん。でもすでに辺りは真っ暗で、ほとんどその笑顔は写っていませんでした」「惜しいと言うより却ってよかったじゃん」「はい、わたくしもそう思います。孤独の笑顔を確認しても楽しくありませぬ」「そうよ、全くそう」「アリアドネ様、わたくしは孤独の笑顔をしておりますか?」「そういう時もあるけど、それは誰しもよ」「花真っ盛りの季節が訪れたというのに、なぜ物悲しいメロディばかりが口をついて出て来るのでしょうか」「それは爺がよく知ってるはずよ。そんなことは口外すべきことじゃなくって?」「はい、確かに……確かに……」「爺、何事もいつまでも同じ状態じゃないわよね。何事も刻一刻と変わるといつも爺は言ってたじゃん。花は明日に散るし、また来年には咲くわ。これ、爺が昔言ってくれたことじゃんか。どのような周囲の変化にもかかわらず、心をしっかりと保って前に進むだけのことよ。さあ、頭を切り替えて」「アリアドネ、ありがとね」「んもーっ!! ま、もう大丈夫のようね」「アリアドネ様、そのように自己暗示をかけます」「そうよ、思いひとつで何事も一瞬で変わるわよ。うじうじしていては蛆虫みたい。うーと呻いている爺は無視よ!!」「そう来ますか」「そうよ、テセウスうー爺無視よ」「またいつもの漫才が始まりそうですな」「そうよ、その調子!」「調子いい!!」「はははは、戻った戻った」「アリアドネ様、どうですか、嵐山の花見は」「そうね、爺と見ても楽しくないけど、爺がどうしてもと言うなら……」「どうしてもとは言いませぬ。気晴らしになればとの思いです」「それで爺はどこかいい場所を案内してくれるの?」「はい、それはもう任せていただきたい。決して飽きさせません」「爺のおしゃべりを聞き続けるより、ホントはきれいな若い男と黙って歩きたいわね」「いやいや、アリアドネ様とはそんな恋人同士の仲ではありませぬから……」「そうね、爺は単なるガイドか。ま、考えておくわ」「お返事を早くいただかねば、花はすぐに散ってしまいますよってに」「爺はホントに無粋ね。暗に断っていることがわかんないの?」「???」「だから爺は駄目なの。ダメンズにもなれないダメンジ、つまりDAMAGEよ」「はっ! それは最悪の害ある存在という意味で?」「それくらいは悟れるのね、まだほんの少しは救いがあるわね。でも、もう自分を第一に考えて気分的にも疲れないようにすることね」「はい、わたくしはアリアドネ様のような相談相手がいて幸福者です。今後ともよろしゅうまい」「!!!」