潮流が大きく変わるのか気になる新年号の発表だが、それがまた30年続くと筆者は生きていないが、20年なら認知症になりながらもさらに次の年号を知る可能性がある。
ところで、筆者のような昭和生まれは、筆者が子ども時代に明治生まれの人に感じた古めかしさを今の若者から感じられるのだろうが、筆者にとっての明治生まれは威厳や貫禄があった。今の若者が昭和20年や30年代生まれの人に対してそのような思いを抱くかとなれば、敬老の精神は希薄になり、ただの厄介者という眼差しを向けるのではないか。だが、そんな若者が40年経てば筆者の知らない年号生まれの若者からどのような扱いを受けているのかとなると、今の昭和生まれよりももっと残酷なことになっているかもしれない。そういうボタンのかけ間違いを日本がいつしたのかとなると、戦後の昭和時代という意見が多いだろうが、百年や二百年ほど経たねば本当のところはわからない。その頃に日本がどのような国になっているか。富士山の大噴火や原発事故がまた起こって住めないというのでなければ、今とさして変わらず、それなりにやりくりしていると想像する。国が貧しくなって困るという意見は、金持ちを代弁しているように筆者には思える。貧乏暮らしで育った筆者は日本が今後さらに貧乏国になっても「はあ、そうですか」と思うだけで、いくらでも楽しく過ごせる方法があって何ら困らない。そういう生き方を清貧と呼ぶようだが、その言葉が昔流行った時、それを嘲笑する意見を読んだことがある。それは成金らしい物の考えで、金さえあれば幸福になれるという価値観だ。豪華な食事やあちこち旅行出来る金がないならば、筆者はたっぷりとある時間を費やして洋書をじっくり読み、また「カラマーゾフの兄弟」や「戦争と平和」などの長編小説を読破したい。人それぞれ価値観が違うのはあたりまえだが、充実した時間を過ごすのに金を多く使う必要はない。それどころか、筆者の場合は何かに集中して時間を忘れる時は、金を使う暇がない。美を享受するにはたとえば美術館に訪れたり、コンサートに行ったり、それなりにお金を使うが、本当はそれらの行為は筆者の創作の糧とすることが目的で、外出が出来なくなれば部屋にこもって創作に没頭するだけのことだ。実際はもっとそうすべきであって、あまりふらふらと楽しみのためにほっつき歩くことは戒めねばならない。人生の残り時間がますます少なくなって来ていることを感じているのでなおさらだ。ただし、生活を一変させるにはもう1年ほどかかる。5か月前に筆者は遠方から始まった爆発が次々に筆者に向かって来て、ついに数十メートル離れたところで爆発があったところで目覚めたが、夢判断によれば吉祥の兆しであった。そしてその実現には月日がかかるとのことで、筆者にとって来年は生活が激変するかもしれない。もちろん、悪い方向にではない。
24日は家内や義兄、義妹と一緒に新幹線で東京に向かった。家内はどういうわけか新幹線の車内からこれまでまともに富士山を見たことがなく、今回も通路から右側に座ったので諦めていたが、富士山が見え始めた頃、大いにはしゃいだ。晴天で雪を被った山頂部が見えたからだ。そして家内は筆者のボロ・カメラを持ち、義兄の考えにしたがって連結部近い扉口に移動して撮影した。それが今日の最初の2枚の写真だ。雲が中腹にかかっているが、見事な形の山で、「不二」と呼ぶだけはある。この山に比べると日本の他のすべての山はドングリの背比べのように平凡に思えてしまうが、実際はどの山も唯一無二で、地元の人たちからは愛されている。形のいい富士山を誰しも認めはするが、それはそれであって、身近な山はもっと親しみがある。人は誰しも理想とする異性はいるだろうが、富士山のような高嶺の存在は憧れであって、手が届かないことを最初から知っている。それで時に諦めも混じって身近な出会いから伴侶を決めるが、そうして決めた相手に幻滅するかあるいは不二の存在と思えるようになるかは、本人たちにもわからない。唯一無二の理想の相手と思っていたのに、実際はそうではなかったと思うに至った場合、それは自分の眼力のなさを自覚すべきでもあって、そのようにして人間は少しずつ成長して行くと思えばよい。とはいえ、人生は限られた年月であるから、いつまでも失敗を繰り返すことは出来ない。そのことをごく若い時から真剣に思い過ぎると身動きが出来ないので、ある程度は賭けの気持ちも必要だ。また賭けであるからには外れることもあると達観しておいたほうがよい。真剣に賭けて外れた時はなるべく軽く考えることだ。不二と思っていた相手ではなかったことを知っても、本物の富士山は間近で見ればただのごつごつした岩や砂利だらけであって、どこにでもある平凡な山に豊かな自然があることを思い出せばよい。そしてそうした山を不二と思えば人生は微笑んでくれる。もちろん、本当の不二のような立派な人はあちこちにいるが、そういう不二にはふさわしい不二としての伴侶がいるもので、またそのふたりは遠目に見ればごくありふれた山にも見えるものだ。26日は福島に滞在し、駅から東を見ると雪を被った連峰が見えた。それは近畿にはない眺めで、東北に来た実感があったが、帰宅して地図を見ると、吾妻小富士や安達太良山であることを知った。初めて知る名前の山だが、「小富士」と言うからには地元では「不二」の扱いだ。麓には温泉が多く、また西側には北から順に檜原湖、磐梯山、猪苗代湖がある。猪苗代湖のすぐ西は会津若松で、車の免許証のない筆者はその辺りを観光するには1週間はかかるだろう。富士山周辺ですら中学校の修学旅行以降、観光したことのない筆者で、東北に行くことはもうないような気がする。