形あるものはいずれ崩れるのは事実だが、その崩れた形というものがある。その伝で言えば、形あるものは永遠に崩れない。気体になっても分子、原子単位で見れば形があって、形は永遠だ。
形あるものはいずれ崩れるという表現は、たとえば誰もが振り向く美人が数十年後に見る影がないという場合に使うが、その時点で別の美女がいるから、人間を総体として見れば美しい形は常に存在する。さて、
先月17日に「その9」として、渡月橋から少し下流の左岸にある市営駐車場前の小さな植え込みの切り株の写真を載せた。最初の投稿は「その1」とは題していないが、去年3月6日だ。その後、誰が接着剤でその切り株上に小さな人形を固着していたのか知らないが、切り株上の人形は増え、やがてほぼ1年後にほとんどなくなった。接着剤の効果がなくなって風で吹き飛ばされたか、切り株が劣化して木片とともに剥がれ落ちた。後者は深刻で、新しい人形を用意しても意味がない。ただし、そういう切り株上端部の劣化は1か所のみで、それを避ければまだ賑やかに人形を飾ることは出来る。「その9」を投稿してから家の中のガラクタを探していると、昔息子が遊んでいた玩具の袋を家内がいくつか見つけた。そのひとつにちょうど適当な大きさの人形がたくさんあって、それらから適当に4個を選んで切り株上に接着することにした。それを実行したのが今月18日だ。今日の2枚の写真は接着前と後で、2枚目の赤い矢印からわかるように、「その9」にはあった半ば以上崩れた切り株上の人形はまた消えていて探しても見つからなかった。なお、右端の切り株にはいずれ人形を接着する。4個の小さな人形を接着する前に、
18日に写真を投稿したように、儀式のつもりで右岸にある排水桝のコンクリートの蓋に、松ぼっくりで象った円の中心に並べて撮影した。瞬間接着剤の効き目はさまざまで、筆者が使った安価なものではすぐに接着効果がなくなると思うが、24日の早朝、東京に行く前にこの切り株前を通ると、太陽の光を浴びてぴかぴかと4個は輝いていた。つまり、設置して6日間は変化がなかったが、現在はどうか知らない。観光客がよく通る道沿いにあって、子どもが見つければ力任せに取ってしまう可能性が大きい。そういうことがなくても1年は持たないはずで、なくなればまた別の人形を使う。ただし、ミッキーマウスやハローキティといった誰もが知る人気キャラクターの人形は手元にない。また買わずに家にあるガラクタを使う。不用品再利用の場としての認識だ。切り株自体が不用品と同じで、また形あるものはいずれ崩れるから、きれいに取り除かれる日が来るのは間違いない。最初に人形を設置した人は、その切り株に最後の華やぎを与えた。そして筆者はそれを受け継いで新たに人形を設置し、こうして文章を書いている。