降参した者を優しく扱え。TENDER SURRENDERを直訳するとこうなるか。連日YOUTUBEでスティーヴ・ヴァイの同曲を聴いていると、自動再生のためにやがてジョー・サトリアーニの曲に変わる。
それがまたいいのでそのままにしているとまたヴァイの曲になるので、おかしいなと思って画面を見ると若い女性がカヴァー演奏していた。フランスのh
Tina Sという人で、これが超絶技巧の演奏家で、見ていて惚れ惚れするが、他のカヴァー曲はセンスが今ひとつで、またオリジナル曲でいい演奏を聴かせてほしい。昨夜TVで山本直純の生涯を紹介する番組を見ていて、彼が東京芸大の学生の頃、先生が10本の指で出鱈目な10音を一斉に鳴らし、たとえばその直後に高い方から2番目の音の5度上の音を発声してみなさいという即興のテストに対し山本が正解を続けたというのがあった。10の音が混じって聞えるのに、そのすべての音を正確に覚えられる耳のよさをしていたのだが、天才とはそういうものかと恐れ入る。そういう音感のない人は無理に音楽の道に進まない方がいい。上には上がいることを早い段階で知り、決してかなわないことを自覚することは、人生を過たずに済む。別の道を進めばもっと平穏でしかも幸福が待っているというのに、夢に固執して馬齢を重ねる。それは国力が増した時代の話かと言えば、江戸時代でも俳諧の道でそういう人生を無駄にした人がたくさんいたことが上田秋成の本に書かれる。芭蕉も罪なことをしたと秋成は言うのだが、家族を捨て、自分の人生も捨てて俳諧に邁進しても、名声どころか何も残らなかった人が珍しくなかった。現代でも周囲を見渡せば似たことをしている人がいる。才能がないのに、金と暇があるから、大いに勘違いして自作が芸術だと思い込む。自分が幸福であれば傍からとやかく言われる筋合いはないと意気軒昂が人を遠ざけ、そのことが本人をさらに孤高の存在であると勘違いさせる。昨日書いた辻まことは孤高の人と言っていいが、酒場によく繰り出して人づき合いはよかったようだ。それで団地住まいで貧困のうちに自殺したが、全集が発売されるほどに名を残し、今もファンがいる。それはさておき、隣家で辻まことの本を探している時、昔よく使っていたはがき大のスケッチブックをまとめた箱に気づいた。その中から2002年から2004年頃に使っていた2冊を持ち帰った。1冊100ページ少々あると思うが、このスケッチブックをいつも携帯し、気になったものを写生した。まだデジカメを持っていない頃で、暇なことをしていたものだが、描いている間は緊張感があった。それは日常生活に必要なことだと思う。人間は人生に降参して緊張がなくなれば、顔や体、動きがだらしなくなる。未使用の同じスケッチブックは数冊残っているが、もうめったに描かない。
筆者は親類の子どもの顔を描くのが好きで、はがき大のスケッチブックにはそういう素描がいくつかある。今日はそれらから選んで紹介する。最初の写真の3点は2002年11月2日の夜だ。この日は家内の父が亡くなってその通夜で、子や孫が集まって徹夜した。筆者は退屈しのぎと、めったに会わない家内の姪らと懇親の機会になると考えて、横顔を描かせてもらった。女ばかりであるのは、女系の家柄であるからだ。最初の写真の上2枚は次男の娘で、上はキャビン・アテンダントになった美人だ。最初の写真の3枚目は長男の長女で、3人の中では一番幸福な結婚をした。19年の間に離婚、再婚など、若い女性の人生は大きく変わる。2枚目の写真の上は2003年元旦で、家内の妹の長女だ。悲しそうな表情は、この当時大いに悩みがあったからだ。2枚目の2,3枚目は2004年の元旦で、家内の姉の息子の子だ。ふたりとも今は横浜にいる。3枚目の写真の上は2004年3月21日で、筆者の従姉の長男の娘で、今年京都の美大を卒業した。下の落書きのような絵は、2枚目の中央の小さな女の子に筆者が描かせた。筆圧が強く、真剣に描いたことが伝わる。全く筆者に似ていないが、彼女にはこのように見えたのだ。成人した彼女はその絵のことを覚えているだろうか。きっと覚えていると思う。人の顔をまじまじと見つめて描く経験はそうあることではない。2004年元旦以降、筆者はこの女の子に会っていない。15年などあっと言う間だ。その瞬間の人生に写真もいいが、こうした遊びの絵も楽しい。筆者は消しゴムを使わず、一発勝負で描くが、その緊張が描かれる者に伝わる。それでたいていはいい表情になる。横顔にしたのは、目を合わさずに済むからだ。斜め前や正面では描かれる者に筆者の手元が見えて、気が散りやすい。それにこの当時の筆者は横顔に関心が強かった。今でも美人を見ると描きたいと思うが、そこまで親しくなれない。それに今ではみんなスマホで撮影、さらに写真を加工する。それはさておき、昨日の最後に載せた筆者の横顔の写真がいつ撮ったものか気になり、先ほどアルバムを調べた。すると42歳の初夏で、もうすぐ43という頃だとわかった。早速昨日の投稿を訂正しておいた。38くらいかと思っていたが、そう言えば筆者は50歳過ぎまで、見知らぬ人から「兄さん」と呼ばれたほど貫禄がなかった。今もそうで、それだけ苦労知らずということか。筆者は自分の写真をここ10年はほとんど撮ったことがない。オットー・ディックスやロヴィス・コリントは自分の肖像をたくさん描き、年齢とともに崩れて行く様子を凝視し続けた。女性はそういうことをしないが、80の高齢になっても品のよい女性はたくさんいる。男もそうだが、それは数年で身につくものではない。老化の顔は人生の歴史だ。いい経験もそうでないことも刻まれている。