奇病と言っていいのではないか。今日の筆者は花粉症が最大にひどくなって、両方の瞼を擦り過ぎて人相がごろりと変わり、それでも痒いのでまた掻いて下の瞼がごろごろりと山のように膨れ上がった。
もちろん鼻から水がたらーりと垂れ続け、目の前には瞼の千倍ほどの嵩のある濡れティッシュの山だ。このようにひどくなったのは、今日税務申告するために往復2時間ほど自転車で走ったからでもあるだろう。瞼の腫れを隠すために濃い色のレンズの大きなサングラスをかけようと思うが、適当なのがなく、また買わねばならない。筆者の花粉症は5,6年前からだと思う。6月になればいつの間にか治るので、何事もなかったかのように気を持ち直すが、これからも毎年悩まされると思うとこんな愚痴を読まされるYOUも鬱の憂鬱だが、潜伏期間を経て発症することを先日知った。杉花粉に晒され続けて来て、ある限度を超えると目の痒みやくしゃみの連発が始まる。杉がなければいいかとなれば、そのほかにも花粉症を引き起こす植物はある。つまり、現代の奇病で、杉花粉に限れば人災だ。杉が儲かるとばかりに山に杉ばかり植えて来たが、予想に反して杉を使わない建物ばかりとなって、杉は放置され過ぎで、かくて花粉が毎年大量生産され、花粉症に悩む人が増え、眼科医と目薬業者とティッシュ製造会社が儲かることになった。花粉症に悩む人は杉を植えっ放しにしている山林業者を集団で訴えればいいと思うが、日本全国に三千兆すなわち「数えきれない」ほどあって、伐採は無理だ。また伐採すると山が禿げ、今度は山崩れや土石流が頻繁に起こって花粉症どころではない被害が続出する。となれば、最初に杉が儲かると踏んで植えることを奨励した人物が最悪の頭をしていたことになるが、ともかく目先の金儲けを考えることの愚かさを示すのが花粉症だ。目先と言っても、杉を植えてそれが使いものになるには何十、何百年とかかり、まるでそのことが美談のように筆者は小学校の授業で教えられた。そうして代々継いで行く林業の尊さ、日本の山々の美しさということであったが、その杉が放置され、花粉症で無数の人を困らせるのであるから、つくづく人間の愚かさを思うし、また自分個人ではどうにも出来ない状態に人間が晒されていることを思う。原発は格安で便利であるからという理由で設置されたが、もしもの被害があればとは誰も考えず、また考えても口を押えられた。そして実際に被害があって初めて「これは少々やばいんじゃねえの」と内心誰しも思うようになったが、それでも一部の儲けたい人の考えによって原発はなくなるはずがない。あるとすれば別の儲け口をそういう連中が見つけた時で、平気で戦争でもする。世の中はそういう貪欲な口をした連中が牛耳っていて、ごく普通の人は自分が拒否したいことでも否応なしに押しつけられる。そのひとつが杉花粉でもある。
杉花粉が異常に多いのは人災だ。誰かがいいと思って昔にやったことによって、今莫大な数の人が苦悩している。先人は傍迷惑になるとは考えなかったので、まあ許してやろうじゃないかとの考えがわからないでもないが、杉の植え過ぎによって、「上杉謙信! 植え過ぎの杉を検診しろ!」ととばっちりをばっちり受ける人もいて、何事も過ぎたるが及ばざるがごとしだ。戸をばっちりと閉じ、瞼にサングラスの蓋をしても花粉症の根本的治癒にならず、瞼を腫らし続けていつか晴れると諦めの境地だが、次の奇病の話題。数日前、「風風の湯」のサウナ室で、ごくたまに出会う70代半ばの男性とこれまでになく話が盛り上がった。きっかけは酒の話題で、その人は昔は三条のアサヒビールで一晩で2万円は使って大ジョッキのビールを何倍も飲んだが、近年は1万円で充分足ると言った。老齢になって酒量が減るのはあたりまえで、酒好きは奇病ではない。その人は今はスリムでとても元気そうだが、飲み過ぎから内臓を悪くし、三度の手術で10キロ痩せたそうだ。その人が筆者と同時にサウナ室から出て水風呂に入る時、老人ホームの話題をした。「そういう施設に勤務している人が一番困るのは、老人の恋愛だそうです。色ボケした爺だけではなく、エロ婆もいるそうで、いい年齢してみっともない。わたしはそんなことのないようにと思っていますよ」「老人ホームでの恋愛は以前NHK-TVでもやってましたが、周囲に迷惑をかけず、微笑ましいものであればいいのではないですか?」「いいや、働いている人が困ることがあるのです」。その具体例を訊かなかったが、想像はつく。ひとりの女性を巡って複数の男性が喧嘩になり、刃物を持ち出すこともあると読んだこともある。それが若者の恋愛とどう違うかと言えば、70代半ばでは多くの経験をして来て物事の理屈をよく知っているはずなのに、残り少ない人生と思って後先考えないのだろうか。数十年前に年配の女性から、高齢になるほどに異性に対する評価は厳しくなると耳にしたことがある。その女性の年齢を超えた筆者はその言葉は正しいと思うし、同世代はみんなそう思っているはずだが、老人に限らず、男女が身近に集まる場所では恋心の火花が散りやすいのだろう。老人ホームの恋愛も現代の奇病と数えていいが、老人ホームに入居出来る金持ちではない人や、また酒を思う存分飲む金のない人は、老境の暇をどうつぶすべきか。そのひとつのいい例は筆者だ。花粉症に憤りながら、その憤懣をこうして文字を連ねることに代える。駄文を毎日綴るのは明らかな奇病だが、たとえば花粉症の奇病を制するには奇病で応じるしかない。自殺する子どもやコカイン俳優、若者のスマホゲームも大いなる奇病であり、SNS中毒者やすべての自惚れの強い人らも奇病に冒されている。