響きが少しウラヌスやウランと似るが、ウンラヌというバンド名は何に由来するのだろう。金森幹夫さんから5日の夜9時半頃にメールがあり、三つのバンドが出演するという翌6日の西院ネガポジでのライヴに誘われた。

急なことだが、西院なら会場まで30分だ。昨日は仕上げねばならない作業が困難をきわめ、ようやく埒が明いた時は6時過ぎで、食事をそそくさと済まして雨の中を出かけた。花粉症で目を擦り過ぎて10歳は老けて見える皺だらけの目頭を気にしながら、夕暮れにサングラスをかけると怪しい人物に見られるので、西院交差点北東の交番前は通らずに西大路通りの西側の歩道を歩いた。店に着いたのが7時で、筆者は2番目の客だ。どういうわけか、どのライヴでも舞台に向かって左手最前列に座る。金森さんは30分後の開演直前に姿を見せた。その頃は満席で、前回訪れた1月より客は多かった。金森さんのメールにはウンラヌは「ヘヴィーサイケロック」のバンドとあった。ギターとヴォーカル担当、ベース、ドラムスの3人編成はロック・バンドでは必要最小人数だが、たまに四条大宮近くでカレーライス店を経営する、昨夜は客席にいた男性がキーボードで加わると金森さんは言った。特にベースとドラムスはかなり痩せ型で長髪、ベルボトムのジーンズとタイトな柄シャツ姿という、60年代末期から70年代初頭そのままのファッションであることが、「サイケロック」という一種の様式美に徹していることがわかった。先ほど彼らの名前で検索すると、ライヴ告知のチラシ・デザインも、サイケな配色によるサイケ時代の文字を使っていて美意識は徹底している。ギタリストだけはサイケというよりグランジで、それなりのこだわりがあるのかもしれない。3人組ロックの代表であるクリームやポリスは、ベースがリード・ヴァーカルを担当したが、ウンラヌはベースが歌わない分、終始派手な動きを見せた。そういうステージ上の動きが客に反応して一緒に踊り出すというのが本当はライヴハウスの理想と思うが、そういうバンドはなかなか出て来ないのだろうか。またそれには音楽がダンサブルであることが必要で、その点ウンラヌは「アートロック」であり、クリームを連想させる。筆者はまだブギウギのリズムで客を踊らせようとするロックンロール・バンドをライヴハウスで見ていないが、今は流行らないのだろうか。あるいは、過去のあらゆる音楽の様式はいつでもどこでも模倣され得るので、いつ登場してもおかしくないし、また活動しているだろう。ただし、ポップスにも「加上」の歴史があるはずで、より基盤にある単純な音楽よりも凝ったものが作られやすいし、また歓迎されやすい。その意味でウンラヌは彼らが生まれていない頃のサイケロックとは違う何かを加えているだろうが、ファッションやチラシのデザインは過去の模倣そのものだ。
曲名くらいは記した方がブログを書くのに便利かと思い、昨夜は初めてメモ用紙を持参したが、ウンラヌは曲名を語らなかった。曲の切れ目で数えれば5曲演奏し、ブルース調の最初の曲のみ英語で歌い、続く4曲は日本語の歌詞であった。3曲目はどこかはっぴいえんどを思わせる歌い方とメロディで、日本語で歌うとなると、はっぴいえんどを模倣しようと思わなくても似るのは致し方がないだろう。その点において、日本は日本独自の価値あるロックを生んで来たと見る人と、どこまでも模倣で独創性は乏しいとみなす人がある。中村とうようは後者であったと言ってよく、筆者もそうだが、最近は違うことを考える。それは日本は大昔から先進国から文化を輸入し、それを真似しながら独自のものに仕立て上げたことだ。もっとも、それがどこまでも独自のものと言うほどではないとする厳しい見方もある。たとえば日本は漢詩を真似て作る知識人が多くいたが、平仄つまり音韻まで正確に作る詩人となると中国語を完全に理解して会話も出来る必要があり、そういう知識人は江戸時代でもごく限られた。一方で日本には和歌があったから、漢詩など作らずに和歌を詠めばいいではないかと思う知識もいたが、何せ中国は憧れの国であり続けたので、詩や書、絵画はいつも中国が手本になった。ここ半世紀の日本のポップスも同じようなもので、欧米の流行を一時も早く知り、それを模倣し続けて来た。その過程で日本独自を考え、英語ではなく日本語で歌うことが主張されて来た。これには歌を除いた楽曲は欧米のものに引けを取らず、また世界で流行してもおかしくないものと、日本独特とひとまずは言ってよいヨナ抜きや沖縄の旋法などが混じるが、その意味で日本は欧米以上に多様性に富んでいる。ただし、英語は下手なので日本語で歌うという一種の欠点がある。それはまた、多様に富むという調性や音階、旋法に日本語の歌詞をどう違和感なく載せるかという問題も突きつけるが、さらに複雑なのは五七調や七五調という日本の伝統的かつ洗練された形式美である韻律を絶対視しないどころか、そういう形式で書く才能がないことによる自由な形式の詩がいわば氾濫し、作詞と作曲との関係が自由奔放ではあるが後世に残る形式や様式を持つとは思えないことだ。先日ジョン・レノンの「ディア・プルーデンス」の歌詞について少し書いた。その歌詞にはヨーコ・オノから教えられた俳句の影響が濃厚にある。ジョンは押韻を忘れない一方、英語の詩の伝統上に俳句らしい短くてわかりやすい言葉使いを駆使した。それと同様のことを日本の音楽家がやれないのであれば、ジョンのように世界の歴史に残る曲にはならないだろう。伝統に革新を加えることで作品が優れたものと評価されるとして、それには作詞も作曲もその構造の様式の斬新さが必要で、しかも双方が有機的に絡み合う必要がある。
アート・ロックの代表のクリームのベーシスト、ジャック・ブルースはバッハの対位法をそれなりに研究した。クリームばりの演奏を目指すのであればバッハ研究は当然で、さらに別の何かが欠かせない。そうでなければクリームの模倣にも至らない。創作とはそのように極地に行った者との距離で優劣が測られる。才能のあるものがとことん努力して遠くまで行った者が名声を得るのが芸術の世界で、大多数は趣味で終わり、世間に広く知られない。話を戻す。ウンラヌはサイケロックの様式美を重んじている。日本語で歌うからには、日本の様式美が混ざる。前言を繰り返すと、日本の様式美として認められるには、自由律の詩であっても五七調や七語調に負けない洗練さないし大きな特徴や個性が必要だ。そして一方で日本のロックの歌は、はっぴいえんどのフォーク調は無視出来ないだろう。筆者はライヴハウスで一度歌を聴いただけでは歌詞が聴き取れず、またわかっても意味がつかみにくい場合がとても多い。あるいは作者の意図が伝わっても普遍性があるとは思いにくい。どこかで聞き覚えたメロディを少し変え、そこに詩とは言えないような歌詞を適当に載せるのが大多数のシンガーソングライターだと思うが、そうした素朴な作品であっても、時に解剖台上でミシンとこうもり傘がたまたま出会ったようにそれなりに意外で面白いものが出来る。ただし、ロジェ・カイヨワのようにそうした超現実主義的な技法で作られた作品に価値を認めない立場もある。形式や様式に厳格であるのは古典主義者で、ウンラヌがどこまで新古典主義的にサイケロックを目指しているかだ。それとも単なる復古主義であるのか、それは30分程度の演奏ではわからない。また話を戻す。言葉の発声には抑揚があるから詩には素朴なメロディが本来具わっている。それを作曲する場合、旋律はあまり起伏を持たず、語り口調が基本となりやすい。日本語がわからない外国人がウンヌラの演奏聴けば、おそらく英語で歌われることと区別がつかないほど違和感がないと思うだろう。だが、それでは日本らしさがなく、復古主義に過ぎないのではないか。それほどにウンラヌの演奏の歌はいわば添え物的だ。また2曲目がそうであったように、長めのギター・ソロを駆使したジャム・セッションに持ち味がある。2曲目はポリスのソロを思わせたる部分があったが、4曲目もギターは大爆音を奏でるなど、見せ場が多かった。5曲目はブルースを基調にし、サビはマイナーでわかりやすい曲であった。機材の進歩のためもあろうが、音楽を目指す者同士の切磋琢磨の歴史を経て、技術的に優れた者が出て来ている。それは中国に漢詩を学びながらも日本独自の漢詩人をやがて生むようになったことと同じだ。ただし、ライヴハウスで生まれる音楽は知識人階層が特に好むものではない。それゆえに難しいことを考えず、演奏者も聴き手も刹那的になりやすい。