釈明のために一昨日は野見神社の「その4」を投降した。間違いに気づいたのは、城北通りを挟んで野見神社の東側の建物の角地にあるムクノキ大明神だ。これの玉垣に気づいて祠の正面に回っている間に、家内と息子は城北通りを北上した。
それに早く追い着く意味からも、珍しくも白く塗られた鳥居だと思いながら写真だけ撮った。野見神社と関係があるのだろうと想像したが、この祠の場所にかつては大きな椋木があったためだ。ということは、現在の城北通りにも樹木が繁茂し、辺りは鬱蒼としていたであろう。椋木がいつ倒れたのか、また倒されたのか知らないが、現在は歩道際にあって、すぐ際に商工会議所が建っている。その建物が出来る前からこの祠があったのかどうかだが、建物あるいは城北通りを造るうえで邪魔になったことも考えられる。そういう理由で切り倒したのであれば、巨木の霊に祟られないように祠を建てて祀るのは当然であろう。また、切り倒したとすれば商工会議所の一画にあるので、商売が優先されたことになる。それは悪いことではないが、この祠の真横に商工会議所があるのはいかにも現代の日本を表わす。一昨日書いたように、城が消えて現代の民衆に必要な諸施設が建った。また動かせない神社はそのままあるので、これらの変化は民主主義時代に妥当と言える。欲を言えば図書館や美術館もほしいが、税金をどう使うかとなれば、高槻市は美術館の多い京都と大阪に挟まれていて、美術館を建てる意味が少なく、贅沢な施設だと言われるだろう。枚方には市役所の一室だったか、たまに美術展が開催されるが、高槻はそういうことも聞かない。ところが立派な現代劇場という施設がある。舞台と客席があれば演劇とは限らず、音楽にも使える。また実際コンサートの開催が多いだろう。大きなホールは近隣の市とだぶらないようにとの配慮からとしても、どれほど観客が入って賑わっているのだろう。一方、筆者は見たことはないが、高槻では町興しとして1999年からジャズ祭りが開催され、毎年10万人ほどを集めるようだ。この祭りは92年に現代劇場が出来たことによるものだろう。相乗効果によって高槻市は音楽の街としいて知られることを望んでいるように見えるが、そう言えば市内にライヴハウスがあるのだろうか。またジャズは少々ハードルが高く、また世界的に有名なジャズ・ミュージシャンがたくさん集まるというのでもない限り、見に行こうという気が起こりにくい。演奏場所は路上が中心だと思うが、8月にはこれも市民が開催する高槻祭りがあって、これには二度少しだけ人混みに加わったことがある。高槻市が現在のような大きな街になったのはこの半世紀ほどで、そのためそうした祭りは地元の若者が闊歩するだけでまだ風格と呼べるものはない。それでも新しい街並みには新しい祭りが必要だ。