淀川を下って大坂から太宰府に行った菅原道真だが、淀川のどの辺りから乗船したのだろう。ネットには長岡京辺りとあるが、長岡天満宮が出来たのは道真が太宰府に左遷される途中で立ち寄ったからで、邸宅から長岡京までは歩いたのだろうか。

当時高瀬川は開削されておらず、川を下った可能性は大きい。あるいは大宰府に行くのが嫌で、ゆっくりと長岡京まで歩いたとも考えられる。それはともかく、天満宮は各地にあって、菅原道真を象った天神人形も産地が多い。そればかり集めている人がいるが、どれもほとんど同じ正面向きの座像で、細部の差を楽しむ。もっとも、同じに見えるのは細部に詳しくない人の思いで、収集家にとっては大きな違いだ。目が肥えるとはそういう細部の差が即座にわかるようになることで、これは音楽でも香りを楽しむ場合でも同じだ。何事においても細部の違いがわかる専門家がいる。その能力を訝る人は専門家になれる素質があるが、身の程知らずであることによる侮りの場合も多い。道真が左遷されたのは、要は敵を作ったからだ。そして道真が死んだ後に京都に災いがよく起こったので道真の霊を鎮めるために天満宮が創建された。当時の政敵は今ではほとんどの人が知らないから、道真は死後に敵に勝ったことになるが、死んでからでは本人はわからず、生きている間に道真を失脚させた連中はこの世の春を謳歌した。彼らは死んで名を残そうとは思わなかったであろう。そう考えるとうまく辻褄は合っていて、生前に不遇を囲ったゴッホやモジリアニが死後に有名になったことも同じで、才能があまりないことを自覚せずに売れない絵を一生描き続ける人はいつの時代でも無数にいるが、不遇で死んだ後に名声が与えられると呑気なことを考えて身近な者を困らせない方がよい。それはさておき、大阪天満宮で紅白の梅が一緒に咲く盆栽を買えなかったこともあって、翌25日は久しぶりに北野天満宮を訪れた。1年ぶりくらいだろうか。いつもの市バスとは違って嵐電を利用した。「風風の湯」でよく話す81歳のMさんがよく25日の天神さんの縁日に出かけ、嵐電を使うと言っていたからだ。市バスなら天満宮以外にあちこち行くことが出来るが、母を見舞いに病院に行くのは後日に回すことにし、北野天満宮行きだけとした。嵐電の1日乗車券は市バスより100円安い500円で、これに家内も気をよくし、どこかのスーパーで買い物をして帰ることにした。途中下車はいくらでも出来るので、めったに訪れない場所にあるスーパーだ。結論を言えば、北野白梅町前の大型スーパーで買い物をし、嵯峨嵐山駅と北野白梅町駅間を往復しただけとなって1日乗車券を買った意味がなくなった。それで一旦家に戻ってから出かけ直し、嵐電に乗って車折神社駅近くのスーパーに行った。歩くよりは電車待ちの時間を入れてもほんの少し早く、元を取った気分になった。

25日の天神さんの縁日を訪れる楽しみは、昔は伏見人形を買うことであったが、ここ10年ほどはほとんど見かけなくなった。もう出尽くしたのだ。筆者が毎月12日の東寺の弘法さんの縁日とその4日後の北野天満宮での縁日に欠かさず出かけるようになって何人かの業者と顔見知りになったのは、人生のよき出会いで、今もそれが続いている人がいる。その代表は園部在住のSさんだ。親子で弘法さんと天神さんに出店していたのが、10年ほど前に天神さんのみとなった。同じ頃に筆者も弘法さんには出かけなくなったが、Sさんが元気にしている姿を見るのが、天神さんに出かける最大の目的になっていると言ってもよい。家内と一緒に行くと、筆者が話し好きなあまり、家内はひとり取り残されたように思ってその場を去り、遠くから筆者を睨み続けるが、筆者はそれを無視して10分程度は話す。それ以上になると商売の邪魔をするので、往来する人を見ながらだ。Sさんはかなり高齢で、前回出かけた時は息子さんが風邪で休んでいると言った。ところが先日はいつもと変わらぬように背筋を伸ばして椅子に座っていて、筆者と目が合うなり、声をかけられた。次の瞬間、隣りに出店しているおとなしい息子さんもこちらを向き、筆者と挨拶し合った。Sさんは91歳になって最近は疲れ気味だと話し始めたが、とてもその年齢とは思えないほど、以前の風格のままで、そばにいた家内も驚いた。Sさんは達筆で、学問はしていないと思うが、崇高な儒者か武士の風格がある。弘法さんと天神さんのすべての露天商の中で最高の人格者でまたとても優しく、家内もSさんは他の業者と全然雰囲気が違うと言う。それでこれを読む人はすぐにSさんがわかるはずだ。Sさんは売茶翁を思わせる。それほどにSさんとたまに顔を合わせることが楽しみで、Sさんの顔を見ればもうほとんど用はないが、Sさんの店から50メートルほど離れたところに15年ほど前から店を出している松山市内から来ている夫婦とも毎回話す。Sさんと同じように、筆者の姿をしばらく見なかったことを言われた後は世間話だ。当日は好天で梅花祭でもあったので、外国人観光客を含めていつも以上の賑わいであったのに、財布の紐が固くて少しも売れないとこぼしていた。そう言えば車に毎回積んで来るレモンやみかんなどの柑橘類がまだ多く残っていた。あまり安価ではないからだが、売れ行きの悪さは一目でわかり、筆者は重くて後の行動が不自由になるにもかかわらず、名前の知らない柑橘類の大きな一袋を買った。顔馴染みなのでそれくらいは当然だ。とはいえ、Sさんの店ではいつもほしいものがなく、立ち話だけだ。今日の3枚の写真は植木の露店が並ぶ境内西端で、その北端に行くと梅苑が見えたので撮った。梅苑に入るには今は600円すると思うが、鉄条網を巡らせた外側からでも梅の香りが感じられた。